哲学的な彼女と、防波堤沿いの道を歩く。
夕暮れに反射する海を見て、「きれい」と喜ぶ彼女が、派手なレモン色に塗られた建物を指差した。
「あっ、あそこだよ」
反対車線には、そこだけ場違いにヤシの木が植えられ、店の周辺には人工的な砂浜らしきものが造られている。近くに海はあるものの、公道越しに見るあきらかに、不自然な光景だった。
しかし彼女は、
「へえ、なんとなくカリフォルニアのオシャレなビーチにありそうなお店だね。アメリカ行ったことないけど~」
この不自然さを、すぐに受け入れていた。
僕の彼女は、哲学的であり、柔軟な思考の持ち主だ。
「なんだか、お腹すいてきちゃった。はやく行こうよ」
少し早歩きになった彼女に手を引かれ、ヤシの木に囲まれた店に近づく。そこで、僕の至福度は一気に急降下。半減した。
不自然なヤシの木の下にある、すぐに色褪せそうな真っ白なベンチに、大馬鹿者と
「ミナミーッ」
ブンブンと力まかせに、枯れ枝のような細腕を振るのは、
大好きな彼女の親友だから仕方なく、僕は敬称をつけて「水沢さん」と呼んでいる。
割箸に似た極度に直線的な両足を、制服のスカートからさらす水沢さんは、モデルなんていう自己顕示欲の塊のような仕事をしている。
そのとなりに座っているのが、大金持ちの大馬鹿者であり「水沢さん」の彼氏。
「ひーがーしーやーまーさーん!」
観音寺ハルノブという鉄鋼メーカーの御曹司で、変人と呼ばれて久しい僕が云うのもアレだけど、この男は変人の極みといえるだろう。
この男は水沢さんと出会う前。
13歳の水沢さんがモデルをつとめる雑誌を見て、ひと目惚れしたらしい。
ありえないと思った。動いているなら、いざ知らず。雑誌に掲載されている数枚の静止画を見て惚れるなんて、僕には到底理解できない。
誌面上のモデルたちは総じて、似たりよったりな構図で立ち、適当な笑顔を浮かべている。その多くが見た目からして成人の基準値の体脂肪を満たしておらず、かといって筋肉量があるわけでもない。
薄肉と骨。それを世の男たちがスレンダーと称するなら、僕は不健康と呼びたい。あの筋肉量では血の巡りが悪く、代謝は下がり、免疫力も低いはずだ。
そんな身体を見て、どこに魅かれる要素があるのだろうか。
僕には、まったく理解できないが、そこは美的感覚の相違なのだと無理やり理解している。
痩身の外見を『美』だと認識するか。人体を構成する理想的な骨格と筋肉。そこに質の高い血液が流れているか、否かを『美』とするか。
まぎれもなく僕は後者。
僕の彼女は、陸上で鍛えた、しなやかな筋肉の持ち主で、腹筋も背筋も三頭筋も、とても美しい。
ハイジャンパーの彼女が風を読み、助走し、浮き上がり、バーを越えていくときの、あの流れるような一連の身体の使い方。
そこには、反復に反復を重ね、努力よって磨き上げられた『真の美』がある。
東山さんの美しさは、もちろん、それだけではない。
彼女には哲学的な面もあり、柔軟な思考を持ち、何より常識人だ。こんな非常識で問題だらけの僕には、とても勿体ない存在なのだ。
欲して、欲して手に入れたミナミのことを、僕はもう、一生手放せない。
なぜなら、僕の独占欲は果てしなく、嫉妬心はだれよりも激しく、執着は狂気的なほどだ。これほどまでに狂信的な僕のそばに、嫌な顔ひとつせず、いつも笑顔でいてくれる彼女のために、最大限の愛をつくしてあげたいと思うのは当然だろう。
それなのに僕は、ひどい彼氏だ。
来週には、彼女を日本において、イタリアへ行かなければならない。夏休みのほぼ半分を不在するなんて……どこまで不出来な彼氏なんだろうか。
東山さんは、嫌な顔をしない。それが本心かどうか。人の機微に
だからこそ! せめて、日本を出国するまでの間は、なるべく2人きりで過ごしたかったのに……
ピザ屋の前には、馬鹿みたいに手を振る割箸女と、金しか魅力のない大馬鹿者の彼氏がいる。馬鹿同士でお似合いだ。
「あれ、マユミとハルノブだ。ふたりもデートかな?」
常識人の彼女は、ここでも嫌な顔ひとつしない。
水沢さんと観音寺は、どうしてこうもお邪魔虫なんだろうか。特筆すべき良いところなんて、ひとつもないのだから、せめて、気遣いくらいは見せて欲しいものだ。
馬鹿と大馬鹿だから、それも無理なのか。
東山さんいわく、カリフォルニアにありそうな外観のカフェは、なぜか内装がレゲエ調だった。
赤と黄と緑と黒。レゲエの特色であるラスタカラーが、テーブルや椅子にふんだんに使われている。それなのに、なぜか店内のBGMは邦楽ポップス。
なんて統一性のない店なんだろう。
しかし僕の彼女は、「へえ」と店内をグルリと見回すと、
「和洋折衷じゃないけど、多国籍な感じでいいよね~」
またしても、柔軟に受け止めていた。
彼女の懐の深さに、僕は改めて感心した。
その後、7割ほどの客で埋まった店内で、僕と東山さんは海側の席に案内され、メニュー表を広げる。
「うわあ、いっぱいあるね。どうする、ミナミ? シーフードと明太子餅チーズを頼んでシェアする?」
水沢さんが、メニュー表の№5と№10を指差した。
「…………」
なぜそこにいるんだと、僕は問いたい。
やさしい彼女が社交辞令で誘ったにしろ、このお邪魔虫たちが、のこのこ顔を出したにしろ。
他のテーブルに行けばいいと思う。
ところがお邪魔虫カップルは、さも当たり前のように僕と彼女のテーブルにやってきて、さも当たり前のようにグループ客と化す。
こんなのは、学校の昼休みだけで十分だ。
しかし、どんなに僕が不快感を顔に浮かべていようとも、このお邪魔虫カップルは、まったく気がつかない。馬鹿と大馬鹿だから。
50種類はありそうなピザのメニューを見ながら、
「どうしようかなあ。無料券は2枚だしね」
真剣に悩む彼女といっしょになって、メニューをのぞき込むばかり。
性格に問題を抱える僕が云うのもなんだけど、このふたりは非常に非常識で、無神経極まりないお邪魔虫カップルだと思う。
ある意味、お似合いだ。
僕の不快指数が急上昇していくなか、あれこれと悩んでいた彼女が、ふとメニューから僕へと視線を向ける。
黒い瞳が僕だけを見つめ、
「ねえ、アルキメデスはどれが好き?」
問いかけてくる。
彼女から向けれた視線が嬉しくて、僕の不快指数は急降下。
嬉しさのあまり、
「キミが好き」