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第2話 馬鹿と大馬鹿


 今月オープンしたばかりのピザ屋は、僕たちが通う修英館高校から海側に歩いて20分ほどのところにあるらしい。


 海風に吹かれる髪を手で押さえながら、彼女は訊いてきた。


「ねえ、アルキメデスのご両親って、どんな人」


「進化よりも退化を望んでいるような人たち」


 そう答えたら、彼女は少し難しい顔をして、それからすぐに笑顔になり、


「なるほど、なんでもかんでも便利になればいいってもんじゃないよね。アルキメデスの両親はきっと、地球にやさしい精神の持ち主なのね」


 ひどく哲学的なことを云った。


 地球にやさしい、ってなんだろう。


 哲学的な彼女と、防波堤沿いの道を歩く。


 夕暮れに反射する海を見て、「きれい」と喜ぶ彼女が、ゆるくカーブする道の先で、


「あっ、あそこだよ」


 派手なレモン色に塗られた建物を指差した。


 公道を挟んだ場所にある人工的な砂浜らしきもの。そこには南国気分を装った不自然なヤシの木が多数植えられている。


 近くに海はあるものの、公道越しに見る砂浜は、あきらかに不自然な光景だった。


 しかし彼女は、


「へえ、なんとなくカリフォルニアのオシャレなビーチにありそうなお店だね。アメリカ行ったことないけど~」


 この不自然さを、すぐに受け入れていた。


 僕の彼女は、哲学的であり、柔軟な思考の持ち主だ。


「なんだか、お腹すいてきちゃった。はやく行こうよ」


 少し早歩きになった彼女に手を引かれ、ヤシの木に囲まれた店に近づく。そこで、僕の至福度は一気に急降下。半減した。


 不自然なヤシの木の下にある、すぐに色褪せそうな真っ白なベンチに、大馬鹿者と割箸わりばし女のカップルがいた。


「ミナミーッ」


 ブンブンと力まかせに、枯れ枝のような細腕を振るのは、水沢みずさわマユミという女子。


 大好きな彼女の親友だから仕方なく、僕は敬称をつけて「水沢さん」と呼んでいる。


 割箸に似た極度に直線的な両足を、制服のスカートからさらす水沢さんは、モデルなんていう自己顕示欲の塊のような仕事をしている。


 そのとなりに座っているのが、大金持ちの大馬鹿者であり「水沢さん」の彼氏。


「ひーがーしーやーまーさーん!」


 観音寺ハルノブという鉄鋼メーカーの御曹司で、変人と呼ばれて久しい僕が云うのもアレだけど、この男は変人の極みといえる。


 この男は水沢さんと出会う前。


 13歳の水沢さんがモデルをつとめる雑誌を見て、ひと目惚れしたらしい。


 ありえないと思った。動いているなら、いざ知らず。雑誌に掲載されている数枚の静止画を見て惚れるなんて、僕には到底理解できない。


 誌面上のモデルたちは総じて、似たりよったりな構図で立ち、適当な笑顔を浮かべている。その多くが見た目からして成人の基準値の体脂肪を満たしておらず、かといって筋肉量があるわけでもない。


 薄肉と骨。それを世の男たちがスレンダーと称するなら、僕は不健康と呼びたい。あの筋肉量では血の巡りが悪く、代謝は下がり、免疫力も低いはずだ。


 そんな身体を見て、どこに魅かれる要素があるのだろうか。


 僕からしてみれば、骨格標本と大差ない。


 しかし、そこは美的感覚の相違なのだと理解はできずとも、口出しはしない。


 骨格標本と皮に比べたら、僕の彼女は、陸上で鍛えた、しなやかな筋肉の持ち主で、腹筋も背筋も三頭筋も、とても美しい。


 彼女には、ニュートンの運動方程式を体現するために磨き上げられた『体躯の美』がある。


 彼女の美は、もちろん、それだけではない。内面もまた素晴らしい。


 哲学的な思考と柔軟な思考を合わせもつだけでなく、何より常識人である。こんな非常識で問題だらけの僕には、もったいない存在だ。


 けれども14歳のときから欲して、17歳にしてようやくその手を取れたミナミのことを、僕はもう、一生手放せない。


 なぜなら、僕の独占欲は果てしなく、嫉妬心はだれよりも激しく、執着は狂気的なほどだ。これほどまでに狂信的な僕のそばに、嫌な顔ひとつせず、いつも笑顔でいてくれる彼女のために、最大限の愛をもって、つくしたいと思うのは当然だろう。


 それなのに僕は、ひどい彼氏だ。


 来週には、彼女を日本において、イタリアへ行かなければならない。夏休みのほぼ半分を不在するなんて……どこまで不出来な彼氏なんだろうか。


 東山さんは、嫌な顔をしない。それが本心かどうか。人の機微にうとい僕では、正確に推し量ることができないのが悩みであり、無念だ。


 だからこそ! せめて、日本を出国するまでの間は、なるべく2人きりで過ごしたかったのに……


 ピザ屋の前には、馬鹿みたいに手を振る割箸女と、金しか魅力のない大馬鹿者の彼氏がいる。馬鹿同士でお似合いではある。


「あれ、マユミとハルノブだ。ふたりもデートかな?」


 常識人の彼女は、不快さなどひとつも感じさせない顔で、手を振り返していた。僕には、まだまだ到達できない領域だ。


 最大値の忍耐をもってして、僕はふたりを睨みつけるだけに留めたのだが――にしても。


 水沢さんと観音寺は、どうしてこうもお邪魔虫なんだろうか。特筆すべき良いところなんて、ひとつもないのだから、せめて、気遣いくらいは見せて欲しいものだ。


 馬鹿と大馬鹿だから、それも無理なのか。


 東山さんいわく、カリフォルニアにありそうな外観のカフェは、なぜか内装がレゲエ調だった。


 赤と黄と緑と黒。レゲエの特色であるラスタカラーが、テーブルや椅子にふんだんに使われている。それなのに、なぜか店内のBGMは邦楽ポップス。


 なんて統一性のない店なんだろう。


 しかし僕の彼女は、「へえ」と店内をグルリと見回すと、


「和洋折衷じゃないけど、多国籍な感じでいいよね~」


 またしても、柔軟に受け止めていた。


 彼女の懐の深さに、僕は改めて感心した。


 その後、7割ほどの客で埋まった店内で、僕と東山さんは海側の席に案内され、メニュー表を広げる。


「うわあ、いっぱいあるね。どうする、ミナミ? シーフードと明太子餅チーズを頼んでシェアする?」


 水沢さんが、メニュー表の№5と№10を指差した。


「…………」


 なぜそこにいるんだと、僕は問いたい。


 やさしい彼女が社交辞令で誘ったにしろ、このお邪魔虫たちは、他のテーブルに行けばいいと思う。のこのこ顔をだしてくる必要はない。


 しかし、大迷惑なお邪魔虫カップルは、さも当たり前のように僕と彼女のテーブルにやってきて、さも当たり前のようにグループ客と化す。


 不快極まりない。こんなのは、学校の昼休みだけで十分だ。


「ミナミ―、お昼食べよー」


 おなじクラスの水沢さんは、千万歩譲って仕方がないにしても、


「水沢さ~ん、東山さ~ん、御茶買ってきたよ~ ほら、変人くん、優しい僕はキミの分まで、ちゃ~んと用意してる。おおいに感謝したまえよ」


 頼みもしない御茶を買ってきて、こちらのクラスで弁当を食べる大馬鹿者の御曹司までいる。


 それが、放課後までつづくなんて、地獄だ。


 消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、地球上から消えてしまえ。


 しかし、どんなに僕が不快感を顔に浮かべていようとも、全身からありったけの不機嫌さをアピールしても、このお邪魔虫カップルは、意に介さない。馬鹿と大馬鹿だから。 


 いまも、50種類はありそうなピザのメニューを見ながら、


「どうしようかなあ。無料券は2枚だしね」


 真剣に悩む彼女といっしょになって、メニューをのぞき込むばかり。


 僕の不快指数が急上昇していくなか、あれこれと悩んでいた彼女が、ふとメニューから僕へと視線を向ける。


 黒い瞳が僕だけを見つめ、


「ねえ、アルキメデスはどれが好き?」


 問いかけてきた。


 彼女から向けられた視線が嬉しくて、僕の不快指数は急降下。


 嬉しさのあまり、間髪かんぱつ入れずに答えていた。


「キミが好き」




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