僕の挑発に、男は大きく息を飲んだものの、
「よ、よお~し、俺も男だっ! その条件、のんでやる!」
店長らしき存在に確認もせず、「正解なら10枚だ!」と勢いのまま、あっさり了承した。
彼は後先考えずに、「とりあえずやってみよう」とするタイプなのだろう。じつに、浅はかだ。
僕と塩釜のやりとりを見ていた観音寺は、財布から1万円を取り出すとテーブルに置いた。
「もし変人君が負けたら、今日の支払いはコレで」
「おっ、ハルくん、太っ腹!」
水沢さんの御囃子に、観音寺の顔が「エヘヘ~~~」と気味悪くユルんだところで、男は胸ポケットから名刺サイズのカードを出して、テーブルに置いた。
カードの表面には、四葉のクローバーと『 Good Luck! 』の文字。
それを見て、鼻で笑ってしまう。
暗号の解読に、幸運なんてないんだけどな。
男はストップウォッチを片手に説明をはじめた。
「そのカードの裏面に暗号問題がある。暗号を解いて店長の好きな数字を答え、それに関連する店長の趣味を10秒以内に答えること。そのカードに触れた瞬間からカウントがはじまるから準備ができたら――」
ペラペラ塩釜男の説明が終わるより早く、僕はカードを裏返した。
♧ 暗号コード ♧
2.7432 / 0.9144
4.8279 / 1.6093
―― カウントから3秒後
僕は答えた。
「好きな数字は3、趣味はゴルフ」
これが、暗号? あまりに簡単すぎて、拍子抜けした。
「変人君、これってどんな暗号なんだい?」
観音寺が訊いてきた。
「暗号でもなんでもない。見ればわかるだろう。ただの距離換算だ」
「距離換算?」
彼女が首をかしげたので、今度は丁寧に説明する。
「1行目だけど、スラッシュ以下の数字はヤード法の換算式なんだ。そして、スラッシュ前の数字はメートル法にした場合の数字。つまり、2.7432mから0.9144を割り算することで、3ヤードと計算できる」
「へえ~」
水沢さんが判ったような判らないような顔で頷くと「じゃあ、2つ目のコードは?」と、訊いてくる。
自分で考える気はまったくないようだ。
「1.6093これはマイルの換算式で、4.8279はkm単位だから、1つ目と同じように換算すると3マイルになる」
塩釜の顔が青くなってきた。
「3ヤードと3マイル。2つのコードの共通する数値から好きな数字は『3』だとわかる。そして両方ともヤード・ポンド法における長さの単位であることから、関連する趣味はしぼられてくる」
僕の推測では、ヨットやセスナを趣味にする人はそう多くないから、この手の問題には不向きだろう。そうなると残るは、あれぐらい。
「ヤード・ポンド法に関連する手軽な趣味といえば、消去法でゴルフしかない」
僕の答えに、彼女が手をたたいて喜ぶ。
「アルキメデスって、暗算はやいねえ。わたしなら電卓がないと絶対無理だよ」
「そんなことないよ」と云いつつ、彼女に褒められた僕の心は、ほんわかしてくる。
彼女が喜んでくれるなら、僕は摂氏を華氏に、シーベルトをレムに、テスラをガンマにだって、即座に換算してみせるだろう。
「アルキメデスがいてくれたら、割り勘の計算もすぐ出来ていいね」
「うん、いつでも云って」
彼女と僕が見つめ合っている間に、物欲主義者の水沢さんは正解を確認する。
「お兄さん、それで答えは? 正解なの?」
ストップウォッチを握り締めた塩釜の手が震えている。
「せ、せ、正解です……」
そして、口も震わせながら、がっくりと床に膝をついた。
「嗚呼……店長に確認すれば良かった。バイト代から差っ引かれるかも~~~! 俺のバカ、バカ、バカ!」
浅はかな塩釜は、今ごろ後悔し、泣き言を吐いた。
哀れな男を見兼ねた観音寺が、出さなくてもいい助け舟をだす。
「ええっと、お兄さん。大丈夫、お給料から差し引かれないように、僕から店長に云っておくから」
「へっ?」
ポカンとする男に、観音寺は云った。
「この店の店長を雇っているのは僕だから。じつは僕、この店のオーナー」
「えええええっ!」
バイト男よりも先に驚きの声をあげたのは、水沢さんと彼女だ。
「ここって、ハルノブのお店なの?」
「ハルくん、いつの間に商売なんかしてんのよ!」
「いや~、僕の店というか~ 出資をしたというか~」
うしろ頭を掻く大馬鹿者を見て、僕は思う。
どうりで、外観、内装、BGMに統一性がないわけだ。
こんなチグハグな店に出資するのは、外観は剛鉄、内装はロココ調、裏庭にはガラスのピラミッドという『戦艦の館』に平気で住んでいるこの男ぐらいだろう。
「ありがとうございましたあっ!」
約束どおりMサイズの無料券を10枚もらい、元気になった塩釜に見送られて、僕たちはピザ屋から出た。
観音寺と水沢さんは、迎えに来た観音寺家の車に乗って帰ると云い、僕と彼女は手をつないで歩いて帰ることにした。
お邪魔虫カップルに、
「東山さんと変人君も乗っていきなよ」
「ミナミだけでも乗って帰ろうよ。陸上部の練習で疲れているでしょ」
大迷惑なことを何度も云われたが、僕は断固拒否。
これ以上、彼女との時間をつぶされたくない。
彼女が疲れているというなら、僕が背負ってもいい。ぜひ、そうしたい。
無理やりお邪魔虫カップルを迎えの車に押し込め、観音寺家の凄腕ドライバーである清水さんに詰め寄る。
「このお邪魔虫たちを連れて、さっさと行ってください」
そして、ようやく。
彼女との至福の時間を、僕は再開することができた。