目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第6話 キス



 イタリア行きを中止しようとする僕を、彼女は許さなかった。


「ダメだよ。ご両親だって会いたがってるのに。花火大会は来年も再来年もあるんだから、楽しみは来年以降にとっておこうよ。それとも、今年じゃないと、わたしと花火大会には行ってくれないってこと?」


「そんなことはゼッタイにないよ! 僕はこれから一生、嵐が来てもひょうが降っても、東山さんと毎年、花火大会に行く」


 僕の返事に、彼女は満足気に頷いた。


「夏に嵐はくるかもしれないけど、雹はめったに降らないと思うよ。でも良かった。それじゃあ、来年こそは花火大会に行こうね」


 僕は泣く泣く、イタリア行きを決めた。


 そして今日のピザ屋で、彼女が「花火大会デート」の中止を水沢さんに告げると。


「えっ、本当に! やったあ! じゃあ、ミナミ、わたしたちと一緒に見に行こうよ!」


 デリカシーの欠片が1ナノグラムもない水沢さんが、喜び勇んで彼女を誘った。


 なにが、「やったあ!」だっ!


 彼女の親友じゃなかったら、そのデカイ口に液体窒素を流し込んでやるところだ。


 嬉々として誘う水沢さんに対して彼女はというと、


「う~ん、それはちょっと。マユミとハルノブの邪魔はしたくない」


 口から泡を噴きそうになっている観音寺を見て、1度は断っていた。


 ―― が、しかし。デカい口の水沢さんには、そういった気遣いは伝わらない。


「ええっ! なんで!? ミナミのこと邪魔だなんて、そんなのあり得ないよ!」


 彼女の断りの理由を真っ向から否定した水沢さんは、よりにもよって観音寺に話しを振った。


「ハルくんだって、ミナミといっしょに行きたいよね!」


 この状況で「行きたくない」といえるヤツは、世界人口の1パーセント未満だと、非常識人の僕にだってわかる。


 観音寺は非常に複雑な表情で、「い、行きたいようぅぅ」と尻すぼみに応えた。


「ほら、ハルくんだって、いっしょに行きたいって!」


 額面どおりにしか受け取れない水沢さんは、半ば強引にふたたび彼女を誘った。


「だってキリシマはイタリアなんでしょ。だったらなおさら今年行かないと! だってさあ、この変人のことだから、来年からは絶対にミナミとふたりで行くとか云いそうだしさ!」


 デリカシーの欠片はないが、そこは間違っていない。


 無理強いする水沢さんに、ついに彼女も折れた。


「じゃあ、ちょっとだけ見に行こうかな」


「やったあ、すっごく楽しみ!」


 手をたたいて喜ぶ水沢さんの隣りで、意気消沈する観音寺であったが、水沢さんの次の発言で一気にテンションが上がった。


「ねえ、ミナミ。せっかくだから浴衣着て行こうよ」


「水沢さんのぉ! ゆ・か・た!」


 観音寺につづき、僕も思わず口にする。


「ゆかた……東山さんの浴衣姿」


 ―― 見たい。


 すごく、見たい。身を乗り出した僕と観音寺の目の前で、水沢さんと彼女の話しがまとまっていく。


「浴衣かあ、いいけどまだ家にあったかなあ。たしか、最後に着たのはマユミと行った夏祭りのときだから、もう5年くらい前だよ」


「問題ナシ! このまえ撮影で使った浴衣セットが2つあるの。明日、写真持ってくるから好きな方選んで」


「えっ、いいの?!」


「もちろん、着物メーカーの人からガンガン着てくださいって渡されてる分だからさ。これも宣伝よ。だから、メイクもヘアもばっちり決めて行こう」


「わあ、なんだか楽しみになってきた」


 彼女同士の会話に、身を乗り出した僕と観音寺は対称的だった。


「水沢さんの浴衣姿が見られるなんて! 僕って幸せ者~~」


「東山さんの浴衣姿を見逃すなんて、なぜ僕はイタリアに……」


 夕日色に染まった海面を指差す彼女。


 浴衣を着た彼女と花火を見上げるはずだった砂浜で、寂しさから僕は、彼女を抱き寄せた。


「東山さんと……見たかった」


 彼女もまた、僕の背中を抱きしめてくれた。


「わたしも見たかったよ」


 ポンポンと僕の背中をたたいて、慰めてくれる。


「花火の写真が上手に取れたら、添付して送るね」


「花火より、浴衣がいい」


「わかった。ハルノブに、マユミと一緒に写してもらうから」


「水沢さんはいらない。ミナミだけでいい」


「……了解。アルキメデスはイタリアで楽しく過ごしてね」


「うん」


 太陽が沈む瞬間。


 僕は、彼女にキスをした。






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?