イタリア行きを中止しようとする僕を、彼女は許さなかった。
「ダメだよ。ご両親だって会いたがってるのに。花火大会は来年も再来年もあるんだから、楽しみは来年以降にとっておこうよ。それとも、今年じゃないと、わたしと花火大会には行ってくれないってこと?」
「そんなことはゼッタイにないよ! 僕はこれから一生、嵐が来ても
僕の返事に、彼女は満足気に頷いた。
「夏に嵐はくるかもしれないけど、雹はめったに降らないと思うよ。でも良かった。それじゃあ、来年こそは花火大会に行こうね」
僕は泣く泣く、イタリア行きを決めた。
そして今日のピザ屋で、彼女が「花火大会デート」の中止を水沢さんに告げると。
「えっ、本当に! やったあ! じゃあ、ミナミ、わたしたちと一緒に見に行こうよ!」
デリカシーの欠片が1ナノグラムもない水沢さんが、喜び勇んで彼女を誘った。
なにが、「やったあ!」だっ!
彼女の親友じゃなかったら、そのデカイ口に液体窒素を流し込んでやるところだ。
嬉々として誘う水沢さんに対して彼女はというと、
「う~ん、それはちょっと。マユミとハルノブの邪魔はしたくない」
口から泡を噴きそうになっている観音寺を見て、1度は断っていた。
―― が、しかし。デカい口の水沢さんには、そういった気遣いは伝わらない。
「ええっ! なんで!? ミナミのこと邪魔だなんて、そんなのあり得ないよ!」
彼女の断りの理由を真っ向から否定した水沢さんは、よりにもよって観音寺に話しを振った。
「ハルくんだって、ミナミといっしょに行きたいよね!」
この状況で「行きたくない」といえるヤツは、世界人口の1パーセント未満だと、非常識人の僕にだってわかる。
観音寺は非常に複雑な表情で、「い、行きたいようぅぅ」と尻すぼみに応えた。
「ほら、ハルくんだって、いっしょに行きたいって!」
額面どおりにしか受け取れない水沢さんは、半ば強引にふたたび彼女を誘った。
「だってキリシマはイタリアなんでしょ。だったらなおさら今年行かないと! だってさあ、この変人のことだから、来年からは絶対にミナミとふたりで行くとか云いそうだしさ!」
デリカシーの欠片はないが、そこは間違っていない。
無理強いする水沢さんに、ついに彼女も折れた。
「じゃあ、ちょっとだけ見に行こうかな」
「やったあ、すっごく楽しみ!」
手をたたいて喜ぶ水沢さんの隣りで、意気消沈する観音寺であったが、水沢さんの次の発言で一気にテンションが上がった。
「ねえ、ミナミ。せっかくだから浴衣着て行こうよ」
「水沢さんのぉ! ゆ・か・た!」
観音寺につづき、僕も思わず口にする。
「ゆかた……東山さんの浴衣姿」
―― 見たい。
すごく、見たい。身を乗り出した僕と観音寺の目の前で、水沢さんと彼女の話しがまとまっていく。
「浴衣かあ、いいけどまだ家にあったかなあ。たしか、最後に着たのはマユミと行った夏祭りのときだから、もう5年くらい前だよ」
「問題ナシ! このまえ撮影で使った浴衣セットが2つあるの。明日、写真持ってくるから好きな方選んで」
「えっ、いいの?!」
「もちろん、着物メーカーの人からガンガン着てくださいって渡されてる分だからさ。これも宣伝よ。だから、メイクもヘアもばっちり決めて行こう」
「わあ、なんだか楽しみになってきた」
彼女同士の会話に、身を乗り出した僕と観音寺は対称的だった。
「水沢さんの浴衣姿が見られるなんて! 僕って幸せ者~~」
「東山さんの浴衣姿を見逃すなんて、なぜ僕はイタリアに……」
夕日色に染まった海面を指差す彼女。
浴衣を着た彼女と花火を見上げるはずだった砂浜で、寂しさから僕は、彼女を抱き寄せた。
「東山さんと……見たかった」
彼女もまた、僕の背中を抱きしめてくれた。
「わたしも見たかったよ」
ポンポンと僕の背中をたたいて、慰めてくれる。
「花火の写真が上手に取れたら、添付して送るね」
「花火より、浴衣がいい」
「わかった。ハルノブに、マユミと一緒に写してもらうから」
「水沢さんはいらない。ミナミだけでいい」
「……了解。アルキメデスはイタリアで楽しく過ごしてね」
「うん」
太陽が沈む瞬間。
僕は、彼女にキスをした。