「それにしてもー。さすがにもう少し恰好に気を使った方が良くないー? いくら前の記憶が200年前って言っても、当時だって表を歩くにはもう少し小奇麗な恰好が求められてたと思うんだけどー?」
ルティはツバサと名乗った女の姿に、今さら困った顔をした。
艶も何もあったものではないボサボサの黒髪。やけに荒れた肌。
そして、よく見ると緑色のワンピースもあまり体に合っていない。
ほらほら、とルティに向けられた手鏡を見て、ツバサは不機嫌そうに目を細めた。
「……櫛とかある?」
「櫛でどうなるもんでもないと思うけどー。はい」
「自分でもこんなに荒れてるの初めて見たわ。……石化の影響かしら」
「あー。確かにそれはあるかもねー。200年も石化したまま野ざらしにされてたら、一番傷が入るのは髪かー……」
ツバサとまるで長年の友人のように言葉を交わすルティ。
ヒューガは置いてきぼりだ。
「も、もしかして元々知り合いだったり……?」
「えー? 違うよー、知り合って1時間しか経ってないよー」
「身元引受人だって言うから、とりあえず頼らせてもらってるけど」
……ということらしいが。
「それにしちゃ随分と気心知れた感あるぞ……?」
「気心なんてなんも知らなくても私こんなもんでしょー?」
……言われてみれば、ルティの態度は相手によって変わるものではない、かもしれない。
いつも真面目なのかふざけているのかわからないところはあるが、相手の地位が例えどんなに高かろうが、急に行儀良くはしない女だ。機嫌による声音の変化は著しいが。
そして、ツバサの方は、といえば。
「全身石化しながら、私これでもう死ぬんだ、と思ってたからね。……それから意識がなくなって、次の瞬間にはここ。……どう振る舞ったらいいかよくわからないのが、正直なところよ」
「あ、ああ……」
なるほど、と思う。
彼女の身に起きたことを考えれば、ここがどこであれ、ルティが何者であれ、どうにもしようがない。
200年という時間は、何もかもを奪い、変えてしまっている。
今はその200年前をじかに知っている
「一応の説明は受けたけど、正直情報量が多くて。ここ、昔で言うとどのあたり? ミューレ王国の子孫ってどこかにいる?」
「ここは古い言い方だとクリーブン大陸の北方沿岸ー。200年前だと……ユガルト商業連合の管理地だったかなー? ちょうどその時期、バルディッシュ帝国にあちこちブン取られて怪しい時期なのよねー」
「……北方沿岸だと地図も見たことないわね。お手上げ」
「あとミューレ王国は魔獣大戦初期にまるっと踏み潰されてたから、直接住んでた人は多分全滅じゃないかなー。済んでた人の親類とかだったらまだいるかもって感じ」
「…………そう」
ヒューガにとってはほとんど知らない話なので黙る。
いや、この大陸の名前くらいは聞いたことがあるが、今や誰も気にしている者はいないのだ。
良くも悪くも「本国」と「旧大陸」だけで話が通じてしまうのが現代だった。
その旧大陸というのも複数ある。しかし手つかずの魔境と化している他の大陸は実質的に無視されているので、やはりその話題を出すのは滅亡前の旧名を知る出身者くらいだった。
「なんでベルテスみたいなところが残ったんだろう……私の知ってるベルテスは本当にのどかで気候が穏やかなだけが取り柄で、発展しそうもなかったんだけど」
「実は今の本国って200年前のベルテス王国とあんまり関係ないのよねー。途中でアーゼル王朝っていう獣人系民族が国を乗っ取っちゃってー、血筋としてのベルテス本流はそこで終わり。で、アーゼルベルテス王国も途中で分裂して東西でやりあってー、またその途中で主要ポストから本来旗印であるべき獣人系がどんどん消えるっていうバカみたいな状態になってー。その途中で魔獣大戦勃発して真っ先にガルト連邦が退却先として侵略開始。さらに西アーゼルベルテスの支援をしてたゴルポ王国が横入りしてー……」
「……もう全然知らない国名ばっかりだから、手短にまとめていいわ」
「たっくさんの国が逃避先として巨大モンスターのいない貴重な土地の取り合いをした結果、何が何だかわかんない構造の連合政府ができちゃったんで上層部全員保身しか考えてないクソみたいな国になっちゃってまーす♥」
ざっくりしすぎだろ、と思ったが、ルティの視点だとそうなるのだろう。
そもそもルティは、エルフという「異種族」だ。
エルフは飛びぬけた長命という意味では、現代でも類がない。そして、彼ら彼女らから見れば、短命の他種族のやることはことごとく愚かで暴力的、急進的、刹那的と見えてしまうらしい。
この終末的な世界情勢の根本である魔獣大戦からして「愚かで暴力的、急進的、刹那的」な所業ではあるので、そういうルティの辛辣さには反論しづらいのだが。
そして、それを聞いたツバサは溜め息。
「……異世界に突然呼び出されて、たくさんの仲間を亡くして、魔王も……倒したのに、未来がこんな状態なんて。キツいわね」
異世界。
そう、この女は「異世界」から来たのだ。
今となっては又聞きでしか知ることのできない概念。
この世界以外に、人が生きる世界と文化がある。
それと触れ合うことは、本当はとんでもなくワクワクする話のはずなのに。
先祖たちは、そんなワクワクの塊を短絡的に戦争に使って、消費してしまった。
その事実が重い。
その重さが、彼女の背後に広がる歴史にも、異世界の記憶にも、触れることを躊躇わせる。
本当なら、もっと彼女に聞くべきこととか、然るべき扱いとか、色々あるだろう……とルティに言うべきなのに、ヒューガは何も言えなくなる。
が。
「でも残念ながら終わっちゃいないのよー。私もあなたも。……世界なんて、何度救ってもハッピーエンドには程遠い。終わってないなら、足掻くだけでしょー?」
ルティの言葉は、いつものように。
楽観と悲観が複雑に入り混じり、辛辣な鋭さで、前進を促す。
ツバサは、ボロボロの髪を梳る手を止めた。
うつむき気味に、遠くを見る目をして。
「……貴方みたいなことを言う奴に会ったことあるわ」
「そう?」
「いいやつだった。……生き残って、欲しかったな」
彼女の主観では「魔王との戦い」は終わったばかりで。
壮絶な仲間たちとの別れも、遠い過去などではなくて。
なおさら、ヒューガは圧倒されて、踏み込めない。
だからこそ、彼女に強烈な何かを感じて、何も言えなくなりながら、目を逸らして離れることができない。
「ところで、櫛とか使ってブチブチ梳くより、ヘアサロン行く方がいいわよー♥」
「やっぱりあなたから見ても切る方がいい……?」
「200年前は理髪師なんて切る剃る洗う以外なんにもできなかったけど、今のヘアサロンは『伸ばす』もできるから♥」
「伸ばす!? 髪を!?」
あ、そこ驚くんだ、とヒューガは少しだけ微笑ましくなって気持ちが落ち着いた。
魔法と科学が相乗し合う現代は、ヘアサロンは文字通り「好きな髪型に出来る」場所である。ツルツルの禿げ頭だって、店を出る時には正真正銘の長髪を生やせるのだ。
ツバサも二時間後には、彼女曰く「本来の髪型」に戻ることになった。