ヒューガ・ブライトンという少年は、
魔獣大戦という戦いは、悲惨で長い戦いだった。
いや、
もはや過去のことのように語る人間が大半だが、誰も停戦も終戦も宣言していない。終わったことなどではない。
ただ、人類が自らの土地も主権も諦め、逃げ延びただけ。
対戦者である「
人類は、彼らをそう造った。ただひたすら暴れ、食らい、飲み込んで増え、対処など不可能なように。
そんなモンスターの災禍に、ある国は何年もなりふり構わず抗った。
ある国は抵抗することを諦め、まるで夜逃げのように数百年の歴史を閉じた。
そしてある国は、他の国が食い潰されていくのを横目にしながら持てる技術の全てを注ぎ込み、対抗手段を練り上げた。
巨大モンスターに同等の巨大モンスターをぶつけるのは最初期に大失敗している。
しかしアプローチはそれだけではない。
モンスターに知能と理性を持たせるのは? 人類への従属意識を持たせるのは?
過ぎた巨体と大魔力が方向性を歪めるのであれば、サイズダウンして戦力を下げる代わりに制御性を高めるのは?
戦闘力を高める代わりに繁殖力と寿命を削って丸儲けを狙うのは?
……ありとあらゆる可能性が試された。
能力を抑えれば、そもそも勝てない。
魔力生産能力を高めすぎれば、設定したはずの欠点は強引に克服される。
知性や理性で行動を縛ろうとしたところで、人類より遥かに強い化け物である彼らは、人類に従う理由をすぐに見出さなくなる。
いくつもの矛盾がいくつもの失敗を生み、失敗の数だけ人類はさらに追い詰められる。
だが、それでも抗うしかなかった。
世界が滅ぶかもしれないなら、たとえ無駄な努力だって、やるしかない。
何よりも、人が自ら生み出した技術だ。それにただただ滅ぼされるのを座って待つなどということは、技術の進歩を司る研究者たちには我慢はできないことだった。
そんな悲壮な努力の末期に生まれたのが、のちにヒューガと名付けられる子供だった。
生まれた時から、まともな人間として育つことなんて一切期待されてはいない存在だった。
おそらくは人の母親が産んだものであろうが、親の顔などもちろん見たことはない。
そもそも使われたのが誰の精子と卵子であるかさえ怪しいものだ。
魔導生命工学は一部の国では狂気の域の進歩を遂げていて、全貌は決して共有はされていなかった。魔獣大戦の惨禍と、相次ぐ「火に油を注ぐ失敗」により、その分野は次第にタブー視されるものになっていったという事情もある。
今ではもう何をどう弄ったのかわからない、複雑怪奇な生体改造と調整の成果物として、「6型ドラゴニュート」と称される実験体が完成した。
それに続く7型の構想があったのか、あるいはこれで目的に達したのか。
その疑問にはもう、誰も答えられない。
その研究所は、いや、その国は、ヒューガを生み出してからいくらもしないうちに
ドラゴンは、かつてこの世界には何百頭もいたらしい。
長らくの間、生態系の頂点であり、人類もその歴史が始まって以来、ずっと
空を統べるものであり、エルフ以上の長命を誇る野生の賢者であり、人類以外に魔術を編むことができた希少な種でもあった。
その雄姿と底知れない戦闘力から、自然界の覇王、あるいは神の眷属とさえ呼ばれ、崇敬と信仰の対象にされていた。
だが。
現在、彼らは既に絶滅している。
人間は時代が下るとともに力を増し、ドラゴンの命をも脅かす武器や魔術を多く編み出した。
そうなると、人類は彼らに怯える時代を終わらせようと動き始める。
どれだけ栄華を誇っても、迂闊にドラゴンの怒りを買えばなすすべもなく殺戮される。
下位種である人類は彼らの機嫌を取って過ごすしかない。
それが終わらせられるのであれば、と、ドラゴンに挑む勇士は増え続けた。
……ドラゴンの中には、人の街や国の守護獣として共存していた者も少なくなかったとされている。
が、一度始まったドラゴン狩りはそんなものすら狩り続けた。
怯えから始まった殺意は収まることはない。絶滅は、必然だった。
ヒューガという実験体を生み出した研究者たちは、そんな滅んだドラゴンの力を再現しようとしていた。
コンセプト的には「肥大化した歪な生命である巨大モンスターに対し、旧来の自然界の覇者であるドラゴンこそ、救世主となり得る可能性がある」という意図だったという。
最初はドラゴンそのものを作ろうとしていたらしい。
だが、もうドラゴンの生体サンプルはどこにもありはしない。未だに残っている他の生命から、ドラゴンの姿かたちを「目指す」のが精いっぱいだった。
そして姿だけを真似ることができても意味はない。
制御不能の災厄と化した巨大モンスターを、征することができるモノが必要なのだ。
ポテンシャルと制御性。
それを求めて調整を重ねる過程で、おそらくは人間を
ただ、新しい生体兵器を生み出し、育成し、実用性を評価するという遠大な研究には、どうしても時間がかかる。
世界が滅びつつあるという状況では、致命的なほどに。
何より、結局は巨大モンスターの持つ圧倒的な破壊力の前には、チマチマと「ギリギリ手懐けられる怪物」を作るなんて手法では元から分が悪すぎる。
魔獣大戦の開戦から三十数年が経ち、それでもその研究者たちが
多くの国はもはや触れることも忌まわしいものとして扱っていた魔導生命工学。この期に及んでそれに邁進しているだけでも、狂気と言ってよかった。
ヒューガが赤ん坊としてこの世に生まれ、それからおそらく一か月もしないうちに、研究所は災禍に飲まれて廃墟となった。
そして、それでも運よく生き残ったヒューガを、ルティが偶然発見して、今に至る。
特殊な身の上だが、ヒューガ自身はそれほど自分の身の上を不幸だとは思っていない。
少なくとも、ルティのおかげで人間らしく育つだけの余裕はあった。
ヒューガはただ生まれた場所が変なだけだが、もっと悲惨にいろいろ奪われた過去を持ち、暗い目をして生きている人間はいくらでもいる。
前線都市は、滅んだ国の敗残の民が多い。そういう場所で、そういう時代なのだ。
……自分にある「6型ドラゴニュート」としての力は不安定だ。
所詮は生み出されっぱなしの、一品物の実験体。その力は由緒正しくもなければ、優秀さが保証されているわけでもない。
力を解放すればどんどん「ドラゴン」に近くなるが、その限界を試したこともない。
変異が進めば戻れない危険だって充分にあり、一生ケダモノとして元に戻れない生活をすることになるかもしれないし、今まで生きてきて培った性格も記憶も失って、本当にただのモンスターになってしまうかもしれない。
だが、それはうまく乗りこなせばいいだけのことだ。
たとえば、ジュリエットもスペックが異常なことに誰もが気付いているが、それは今の時代「有り得る」。
誰がどこでどういうモノにされているかわからない。それがこの終末の時代、滅びゆく国々で生まれた子供たちの宿命だ。
ならばジュリエットも、なにかしらそういうモノなのだろう、と、うっすら納得できるのだ。
……だが、それで自分が「化け物」であるということを開き直れるかは、また別の話である。
特に巨大モンスターと同じ「魔獣」……「魔獣兵器」として生み出された自分は、明確に人類の敵と認識されてもおかしくはない。
誰も騒がずに受け入れてくれるかもしれないし、一斉に銃口を向けられるかもしれない。
だからヒューガは、どこか窮屈に生活するしかなくて。
それこそが、同じくこの時代で孤独の存在であるツバサ・サワノに、どうしようもなく心を惹かれる理由なのかもしれなかった。