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第54話 異世界のこと

 ツバサの提案するデートとは、なんのことはない。

 ただ二人でノーザンファイヴの街を暇潰しに歩くという、それだけだ。

 ツバサは戦い詰めで、未だにこの街のことは最低限しか知らない。

 地下からの出口近辺で用が足りる店をスマホで調べて、前情報通りならそのまま使うだけ。

 元々200年も時代の違う人間だ。絶対にこだわるような品もそうそうない。多少思ったのと違っても、同じ店をそのまま使う。

 万事その調子なので、せっかく近代的で賑やかな街並みなのに、極めて行動範囲が限られている。

 その点、ヒューガはこの時代に生まれ育った少年であることには違いないので、今の文化で当たり前に欲するものは人並みにわかっているし、ツバサほど極端に新しものを嫌っているわけでもない。

 ヒューガの街歩きに任せて歩けば、馴染み切れていない文化的知識の補完にもちょうどいい、というわけだ。


「ごめんね、原始人のお守させて」

「いや……まあ、家にもっと古代の民いるから……」

 自嘲するツバサをフォローしつつ歩くヒューガ。

 もちろん古代の民とはルティのことである。

 本当は、ツバサの時代を知るルティが一緒に歩けば、ジェネレーションギャップなんてすぐに埋められるはずなのだが……ルティは極度の出不精ひきこもりだ。出たとしてもツバサ以上に最低限の店にしか寄り付かない。そして最低限の店なんてものは、実質スナック菓子が売っているスーパーマーケットだけだ。

「でも、教えるまでもない気がするぞ? ツバサは元々ファッションセンスがおかしいわけでもないし……」

「200年の間に、服装とか髪型がとんでもない方向になってなくて、ちょっと安心してる」

「たった200年でそんな変わることある?」

「私の故郷だと、200年前の男はおデコから頭頂部まで全部剃ってたし、女は下着ってものがなかったらしいし」

「……実は変な部族出身だったとか?」

「まあ、変な民族だったのは否定しづらいかも」

 クスクスと笑うツバサ。

「まあ、この世界に来たばかりの時は実際、国によっては変なファッションあったしね。バルディッシュはせいぜい貴族の服がやけに重くて動きづらいって傾向があるくらいだったけど、ある国では成人男子はみんな羊毛のかつら愛用してたし、別の国では顔にペイントしてないと裸より恥ずかしい扱いだったよ」

「何それ……」

「学校でそういうのって習ってない?」

「本国の歴史は学ぶけど、他の滅んだ国の話はあんまり触れる機会ないなぁ」

 滅んだ国は滅んだ国。

 再征服が実現し始めた今、流れによっては何らかの国が再興する可能性もあるが、現状では一度「人類最後の国家」に逃げ伸びた人類は、そんな「終わった」文化を大事に残す考えには至っていない。

「文化の多様性とかって大事なものじゃないのかな」

「ルティによれば、たった一国に全人類がギュウ詰めにされなきゃいけなくなった時点で、そんなの持ち続けたって火種にしかならないよ、ってさ」

「……嫌な現実ね」

「みんなネットで同じように情報受け取る時代なんだ。ルティの言う事も、もっともだと思った」

 なんでも、帰属する文化や歴史を大事にすることによるメリットはさまざまあるらしいが、魔獣大戦で敗走を繰り返した人類は、最後の地で無理を飲み込んで「同化」しなくてはならなかった。

「自分たちの世界」を築ける空間と経済の余裕があってこその文化だ。

 小さな土地を共有して、ギリギリでただ生きるだけの難民となった敗残者たちは、「ここの連中と自分たちは違う」などと思ってはいけない。

 違いは諍いの元なのだ。異端者は排斥感情を生み、対話の困難は教育の格差を生む。

 だから、魔獣戦争以前の歴史は知らないという世代に、無理に過去の文化を伝えることは推奨されていない。

 同じ言語、同じ文脈を共有していれば、みな同じスタートラインに立てる。そのメリットの方がよほど重要なのだった。

「……でも、ツバサは変な恰好はしようとしてないよな」

「私が召喚される前にいた世界は、今のここと似通ってるからね。……スマホもあったし、通貨形態も同じ。……ロボットやモンスターはいなかったけど、パンケーキもポテトチップも唐揚げもあったよ」

「そんなに……?」

「スマホの操作法はさすがにちょっと違うけどね。……本当にそっくり。もっと進んでてもいいんじゃないかと思うくらい」

「進む?」

 ツバサの言った意味を掴みかねて、ヒューガは小首を傾げる。

「……スマホより先の何かを、生み出しててもおかしくない。魔法やロボットさえあるんだもの。もっと先のテクノロジーまで至っていてもいいはず。……でも、そうはならなかった。きっと……これが、、だったから」

 ツバサは手に持ったスマホを、何とも言いようがない表情で見つめる。

「スマホだけじゃなくて、ネットとか、自動車とか、ビルとか……きっとこの世界のいろいろなものは、私の世界から来た人たちが、この世界を故郷のようにしたいと願い続けて提示した、理想のかたち。だから、最初からここに辿り着くのが目的で、その先がなくて……だから急速に進歩しているように見えて、一部の技術は不自然に止まってるんだろうね」

「…………」

 ヒューガは唸る。

 確かにスマホはこの形になってからずいぶん経つ。少なくとも、ヒューガが生まれるよりずっと前にはあったはずだ。

 次の段階のガジェットというものが提示されなくなって久しい。

 その理由を、おぼろげにだが理解してしまって、少し悔しい気持ちになり……いやいや。

 そんなつまらない議論をしたくて、ツバサとデートしているわけではない。

 ヒューガは一拍置き、話題の方向を変えることにした。

「ツバサの世界は……改めて、どんな世界だったんだ? スマホがあるのは聞いたけど」

 必要なのは意見のぶつけ合いではない。彼女について知ることだ。

「魔法もないんだよな。それで、モンスターもいない……で、ビルはある、と」

 指折り数えて、ツバサの様子を観察する。

 言葉で普通に質問する以上に、彼女にとっての地雷……禁忌となる話題を知る意味もある。

 触れて欲しくなさそうな話というのを見極めなくてはいけない。こういうところ、ヒューガは実に小賢しかった。

「もしかして、ツバサは向こうでも強かったのか?」

「……全然。というか、あのまま生きてたら、きっと誰も倒さないどころか、暴力には一切関わらないで死ぬまで過ごしたかも」

「なんかそういう宗教?」

「すごく平和な国だったの。お爺ちゃんの世代でさえ戦争も昔話でしか知らないような……犯罪だって滅多に起きないくらいの」

「……そんなバカな……いや、そうか、世界自体が違うしな……」

「念のため言うと、他の国では戦争はよく起きてたよ。いつだって世界のどこかでは、よく知らない国と国が戦ってた……でも私の国は、平和だったし治安も良かった。私はそんな国で、ただの中学生で……ネットの動画に夢中になったり、友達の恋の話を聞いてきゃーきゃー言ってるだけの、本当にどうでもいい子供だった。あの頃はいつも三つ編みだったな……」

 ヒューガはツバサの言葉から、遠い異世界を想像しようとする。

 ツバサの姿は何となくイメージすることはできたが、魔法もモンスターもない、暴力とすら遠い平和すぎる国のイメージは何も浮かばない。

 良くも悪くも、ヒューガの世代には平和な時代というのは遠すぎるのだった。

 そんなヒューガの納得しかねる顔を見て、彼女は苦笑。

「なんか、わかるよ」

「……な、何が?」

「現実感がないよね。……それこそ宗教の理想みたいで。私も実は、実感が消えてきてる。……脳まで石化してたせいもあると思うけど」

 改めて、スマホに目を落として。

「200年。……この世界で200年過ごしちゃったってことは、もう何かの間違いであの世界に帰れても、200年後。……あの弟の孫の孫のその孫がいるかもしれない……きっと誰も私を覚えてない」

「…………」

「石化する少し前のことは、まだまだ鮮明に覚えてる。あの頃の仲間のことも。……でも、召喚はそれからたった五年前のことなのに。……200年過ぎて、もう帰る意味のない世界になっちゃった、って理解した時から、急にどんどん色あせて、輪郭を失って……家族の顔も、声も、すっかり思い出せなくなっちゃって」

 弱々しく微笑むツバサ。


「何、してるんだろうね、私……こんな時代に来ちゃって」

「……ツバサ」


 ヒューガは、何か気の利いたことが言えないかと言葉を探す。

 そして言葉が見つからず、何か行動できないかと検討する。

 手を握るか。肩を抱くか。頭を撫でるか。

 ……雰囲気的に、急にキスから告白なんていうのも……いやいやいや。何を考えている。

(やれやれー。どんどんキモい詰め方してフラれちまえー)

(雑なヤジ飛ばしてんじゃねーぞ!?)

 投げやりにリューガにも冷やかされ、少しだけ冷静になる。

 せっかくいい感じにデート(という名目だけでも)までこぎつけているのだ。焦ってどうする。

 ……心の中でだけ咳払い。現実では少し目を伏せて、改めてツバサの目を覗き込み。

「……恨んでるか。召喚した誰かを」

「それはもちろん」

 ヒューガとしては、ツバサが少しでも口ごもってくれたら、そこで「俺は感謝してるよ。だってそのおかげで出会えた」的なことでも言おうかと思っていたのだが、間髪入れずに力強い頷きが返ってきて、次の言葉に詰まる。

 恨んで当然なのだ。彼女は利用され尽くしたうえ、助かった今も戦いしか知らず、誰よりも孤独なのだから。

 会話の想定バリエーションはそちらに広げておくべきだった。

 ……などと考えているヒューガに、ツバサは笑みを消して。

 瞳から光をすら消して。


「そのせいで、何年もかけて親友を殺すことになったんだから、ね」


 予想以上に重い台詞を、吐いた。

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