200年前の戦い、魔王大戦。
それについてヒューガが知っていることは極めて少ない。
ついこの前まで、魔「獣」大戦と混同していたくらいだ。その後にルティから聞いた知識が全てだった。
バルディッシュ帝国による異世界召喚魔術の乱発。それによる世界征服の野望と、宮廷闘争の道具への転化。
やがて「魔王」と呼ばれる存在がその中から生まれ、召喚者であるバルディッシュ皇族を排し、世界最強の帝国そのものを乗っ取り、そのまま世界を巻き込んでの戦いに発展。
わずかに逃げ延びた皇族により対抗戦力が編成され、……おそらくはツバサやその仲間たちにより、「魔王」は討たれ、大戦は終結し、束の間の平和を得た……というのが、現在のヒューガの認識の全てだ。
結局その後、深い話を聞く度胸はなかった。
ヒューガは詳しい戦争の顛末に興味を持ってすらいなかった。それなのに、「どういうことなんだ」と慌てることも、「そんな、嘘だろ」と問い詰めることもできたものではない。
ただツバサという女にフワフワと惹かれているだけ。
そこで何かを言うには、彼女が何に命を懸け、何を失い、何に手を伸ばしたのか、もっと知ろうとしていなければいけなかった。
興味のなかったことをその場で無遠慮にほじくって、思ったよりショッキングな内容だったことに人並みの反応をして……というのが、いいことのようには思えなかったのだった。
◇◇◇
「なあルティ。魔王大戦って結局……魔王にツバサがトドメを刺して終わった、みたいな感じでいいのか?」
「んー? ヒューちゃんもようやくそういうの興味出てきた?」
ツバサが再び
ルティはルティで、ヘルブレイズの修理・改修の合間にちょくちょくと空中都市に行って調査を手伝っているらしく、魔王大戦の話を聞くなら、いいタイミングだと思えた。
「前にあらましは聞いたけど、結局詳しくは聞いてなかったし。ツバサってすごい大事なポジションに見えるんだけど、確定なのかも聞いてないし」
「ま、確かにヒューちゃんから見ると情報不足かー。あんなフィーバーだったし、ガッコで教えてくれるんじゃないかとも思ってたんだけどねー」
「教師もあんまりよくは知らない感じだったぞ」
「……まー、そんなもんかしらねー。ほんと『大戦』ってぐらいの大ネタなんだから知識共有しときゃいいのに、アカデミズムは何してるんやら」
ルティは作業机に足を乗せ、行儀悪く椅子を揺らしながら思案する。
「元々、謎の多い終戦とは言われてたのよー。誰も『魔王』の最期を見てないし、首を取ったと主張する『魔王殺しの勇者』も出てこない。ただ、最後の決戦として、ある日付に『魔王』に挑んで、勝った……っていう伝承だけは残されてる。それが生き残ったバルディッシュ継承者による歴史改竄なのか、本当に勝ったけれどそれを成し遂げた戦士が都合よく雲隠れしたのか、まー議論は絶えなかった感じねー。実際やり遂げた奴が歴史に名を残さず隠れることを選んでもおかしくはないのよ。『魔王』より強い奴が名乗りを上げたってなったら、それを恐れる連中からしたら暗殺するしかないわけだしねー。でも、不自然。その後バルディッシュ帝国内のあらゆる地域で決戦の証拠を探したけど、誰も見つけてない……」
「……つまり、空中都市でツバサがやったと考えるのが自然、って感じか」
「決戦の地があの空中都市なら、痕跡が世界中のどこにも残ってないっていうのも納得いくからねー。……というのがツバサちゃんから聴取する前の前提」
「……違ったのか?」
「なんか、口が重くなっちゃうのよねー。『魔王』が具体的にどういう奴か、とか……どう戦ったか、どういう決め手で倒したか、なんて話になるともうだんまり。……そんな感じで、決定的な史料が作れないのよー」
ルティは肩をすくめて「だから、限りなくクロに近いグレー的な感じ?」と曖昧にまとめる。
(……その「魔王」が、「親友」ってことなら……まあ、言いたくないっていうのも納得いくな)
(しかし「魔王」が親友なんて……どういうことじゃろ。親友などと言うなら、「魔王」が帝国を乗っ取った時点で和解しようと思えばどうとでもなったんではないのか)
(……そこまでに、もうどうしようもないほど罪を重ねてたんじゃないのか。今更勝手に許すってわけにもいかないほど)
(こう言ってはなんじゃが、所詮自分らを道具扱いした
(……いや、ツバサたちにとっての異世界人って俺たちのことだぞ? 相対的には)
(かもしれんが、少なくとも庇う気にはならんぞ)
(……時々
ルティはどうも、エルフ以外の人類を丸ごと見下している気配がある。
かといって同族への愛があるのかというと別にそういう感じもないのだが、そもそもこの先、ヒューガが生きている間に同族と遭遇するシーンがあるのか怪しいくらいにエルフは減っているので、確かめようもない。
リューガもたまにそんな過激な他者蔑視が発露することがある。それはルティのそれともまた違って、実験体として生まれた出自による孤独感の裏返しに近い。
気持ちは多少分かるが、ヒューガはそこまで自分を「異生物」と思いきることはできないので、まだ人間側だ。
……そんな自分内会話を知る由もなく、ルティが独り言のように言葉を続ける。
「そろそろあの空中都市も
「そんなに離れてるのか今」
「元々、微速で動いてたからねー。日速5キロ行くかどうかって感じだけど……飛行船就航したあたりが最接近で、あとはもう離れる一方になってるのよー」
日で5キロなら、大雑把に言って1か月で150キロ。
魔導技術を併用した飛行船の行動範囲を活かしても、ノーザンファイヴという地上の一点を調査基地にできるのは数か月が限度か。
「これ以上は地上の障域をいくつも迂回して通うことになっちゃうし、今はウチが発見者利益として調査してるけど、他の前線都市に調査権利をパスすべきって話になっちゃってるのよー」
「……でも、まだ調べるモン残ってんの? もうモンスターもいないはずだし、こんなに経ったらさすがに調べ尽くしてないか」
「あるわよー。っていうか一番の
「そんなバカな真似……いや、あるか……?」
「というか、量産が利くものならそれこそ領土を空中にどんどん増やして空中国家ってのも夢があるわよねー♥ 地上なんて無理に征服しなくても空中で完結して新国家作っちゃえば、本国の人口集中問題もサクッと解決♥」
「それよりはさすがに地上取り戻す方がいいと思うけど……それに結局、そんないくつも浮いてないってことはコスト高いんだろうし」
ムシが良すぎる気がする。
が、ルティは一旦挙げたテンションをまた下げる。
「でも、解析する時間なかったのよねー。というか、未開放区画を調べるだけで精いっぱいだったわー」
「まだそんなんあったのか」
「これが厄介なやつでねー。この前行った時も下層の変な部屋の解放に挑戦したんだけど……ありゃ血統封呪ねー。まともにかかっても何年がかりで解呪することになるやつ」
「血統……?」
「簡単に言うと家族とか子孫の接触だけが解除キーになって、それ以外の奴が手を出すと酷い死に方させられる奴。……これがもーすっごい趣味悪い奴でねー。こっちが解除しようとして意識がガード外した瞬間に、スルッと潜り込んで体内で爆発するような嫌らしい呪いの仕込み方するもんだから最悪でー。私じゃなかったら2、3回全身コナゴナの血しぶきになってたわー」
「……地味に知らんところで命張ってんなお前」
「あははー。まあヒューちゃんほどじゃないわよー♥」
軽く笑う義母。一応ヒューガに頻繁に命を懸けさせている自覚はあるらしい。
「結局その血統封呪も解除はできなかったしー。……もしあそこにロクでもないもん残ってたらマズいから、本気であの都市墜とした方がよかったかなー……」
「お前が解除できないならもう手を出せる奴いないだろ?」
忘れがちだがルティは「大賢者」である。
ルティは技術者を自称しているが、本来その称号は魔術に精通した稀代の達人に与えられるものだ。
現代人のほとんどが魔力制限処置を受け、低い魔力しか持てずに生まれている今、ルティが手をこまねくような魔術的仕掛けを突破できるものはそうそういないはずだ。
が。
「バルディッシュの皇統は絶えてないのよー。……あれが本当にバルディッシュの血統に反応するのか、それとも『魔王』の縁者でないと反応しない……もう鍵のない箱なのかは、今の時点ではわからないけど。開けられる余地は、まだある」
「それにしたって悪いモノとは限らないだろ。そもそも呪ってまで子孫に残したいものだ。普通に財宝かもしれないし」
「だったら本っ当に助かるんだけどねー……本っ当に……」
はあーーー……と、ルティは深く溜め息をつく。
「でも、バルディッシュはそういう連中じゃなかったのよねー」