正直に言うと、ヒューガは自分がモテるモテないという次元の考えを持ったことがない。
基地育ちという環境的に、普段からそうそうは奇抜なオシャレをするわけにもいかないし、彼女を作っても家に呼ぶわけにもいかない。
そもそも自分が人間であるかどうかも微妙なところなので、それを知られたくもない。
不特定多数の女の子に好かれるという状況は、この時点で縁遠いものになる。
好かれたところで何になるのだ、という考えが思考に壁を作る。
クライスのモテを羨んだりもしたが、結局のところ、自分事としては想像していなかったのだ。
そんなヒューガにとって、キャロラインの迫り方はあまりに想定外だった。
(ど、どうするんだ……こういう時はっ……!)
リューガに助けを求める。
が、リューガは呆れた調子で。
(乗ればええんでない? ほらアゴとかつまんでやってイケメンムーブすりゃ、あとは流れでどうとでも)
(お前!?)
(不満ならまた押しのければええじゃろ。それは惜しいと思っとるからこそ慌てとるんではないのか)
(い、いや……そもそもだな、この子明らかに俺を利用しようとしてるだろ!? それに食いついてどうすんだよ!)
(どう利用したって、お望みの
(無責任すぎねえ!?)
(無理言っとると分かってて利用しようとしてくるなら、それはこの娘が悪いんじゃ。せいぜい「仲良く」させてもらえばええ)
(……そんな下衆だと思ってなかったぞ我ながら)
(じゃから迷っとるのはお前の問題じゃろうに。何で関わってもない我にスルリと責任押しつけとるんじゃ)
(ぐっ……)
戦闘時並みの高速でリューガと脳内会話し、結局なんの収穫も得られず追い詰められるヒューガ。
(ジュリエットには塩対応して無理矢理ツバサのケツ追っかけといて、たったこれだけで転びそうになるのは笑えるが、まあ「人間」担当はお前ってのが分担じゃ。好きにすりゃええよ)
(ぬぐぐ……)
(理解もしてやる。年頃の男として、やってみたいことはあるもんじゃしなあ。相手はこっちをたらし込むのが目的じゃから、割と我慢してくれそうじゃし簡単にいろいろできそうじゃよなあ。それこそジュリやツバサより)
白けた口調でさらに煽ってくるリューガ。
こんなに自分の分身が憎たらしく思ったことはかつてない。
だが実際のところ、リューガも理解しているからこそ問題を明確化できるのだ。
それが恥ずかしい思考だと思うのであれば、ヒューガは毅然とした態度を取るべきなのだ。
だが、現実に目の前に女の子がいて、進んでこちらを篭絡しようとしている。このインパクトは雑に拒絶しづらいのは変わらない。
手を少し伸ばせば。
足を一歩踏み出せば。
利害のために、それを受け入れてしまう少女がいる。
あくまで彼女が「仲良くしたい」だけなのだ。ヒューガは何かを売り渡すわけではない。少なくともそんな約束はしていない。
その先を。この薄暗がりの物置き部屋で、何が起きるのかを。
年頃のヒューガが一瞬でも妄想しないというのは、難しい。
だが。
長いような短いような逡巡は、結果的には意味があった。
ドアに何かが盛大にぶつかった音がして、ヒューガもキャロラインもビクンと身を固めたのだ。
大した防音の意図もないドアの向こうから「ドア壊れたらどうすんだよ」「いや俺の方の心配しろよ頭だぞ」などとふざけあう男子同士の声がして、遠ざかっていく。
「…………」
硬直したキャロラインの姿は、明らかに怯えている。
彼女も男に迫ることに慣れてなどいないのだ。
……ヒューガは、続ける雰囲気ではなくなった、と悟る。
この隙に主導権を取って強引に続けることもできなくはないが、ヒューガにはそれができる気性も場をまとめるプランもない。
できても結局「悪いイケメンごっこ」。
そんなことをやりたいかと言われると明確にノーだ。
冷静になれた。
「……そうだな。これからは仲良くやろうか。常識の範囲内でな」
「あっ」
ヒューガはキャロラインの横をすり抜けて、物置き部屋を出る。
(あーあ。このビビリめ)
頭の中でリューガの煽りがなおも聞こえてきたが、無反応を決め込んで教室に戻った。
◇◇◇
キャロラインの人となりはわかったし、ヒューガの態度も(結果的には)示した。
それで、もう諦めるだろうと思ったのだが。
「ヒューガ先輩。尾けられていますよ」
「は?」
数日後、下校時にたまたますれ違いかけたラダンに唐突にそう言われ、背後を見る。
……下校中なので周囲に生徒は多い。その中の誰かが尾行していたとしても、まだわかる段階ではない。
「誰が? っていうか、なんでわかるんだ?」
何かまたオーガ族の秘伝みたいな技能でも使っているのか、と思ったが。
「背丈が違いますので。私の高さから見ると一目瞭然です」
普通に図体の差だった。
「うちの学年の女子が、ずっとヒューガ先輩と一定距離を置いて動いています。何か狙っているようにも見えますが」
「お前の学年って……」
ラダンもジュリエットも一年生。ヒューガは一年生の知り合いは少ない。
となると、キャロラインしか思いつかない。
「……なるほどな」
「心当たりがありますか。制服が違うので転入組のようですが」
「まあな……」
そもそも、彼女が自分に目をつけたのはジュリエットのせいだろう……と言ってしまいそうになったが、ジュリエットの文句をラダンに言うのもおかしな話だし、助けを求めてヒューガの事情を何もかも洗いざらい話すのもどうかと思う。
ヒューガには相手に与える情報を器用に操作するような真似はできない。ラダンを信用しないわけではないが、面倒ごとがさらに増える可能性はあった。
それに、彼女の執念が予想以上だった場合、最終的には軍の大人の手を借りて阻むことになる。
そこにハンター志望……いや、現役ハンターのラダンやその仲間たちを絡めるのは得策ではない。強引に軍に潜ろうとするキャロラインとの絡み方によっては、ハンターとしての信用が落ち、色々不便なことになってしまうだろう。
ヒューガは適当にとぼけることにした。
「なんか興味持たれたみたいだな」
「大丈夫ですか。何か力になれることがあれば」
「そんなに気にするな。俺にも俺のプライベートがあるんだよ」
「…………」
少しカッコつけて言ってみたが、ラダンは何か微妙な温度の目で見てくる。
少しおいて、まるでジュリエットを差し置いて雑に女遊びしようとしているだけに聞こえるな、と思う。
ジュリエットの子分であるラダンには少し受け入れがたいだろう。
(実際ジュリを袖にして遊んでるのは事実じゃろ)
(あ、遊んではいないだろ! どうカタをつけるかは悩むけど!)
(あの時はギリギリまで遊ぼうとしていたくせによく言う)
(……やらねえって!)
難しいのは相手の存在感だ。
頭でどうすべきかはわかっていても、目の前にいざ迫ってこられると、スパッと言うべきことを言って切り捨てるというのは難しいのだ。
それに、彼女に強い目的があるというのも厄介だ。
たとえ強い拒絶を示しても、こちらの好感度が問題なわけではない以上、他のアプローチを探し続ける可能性が高く、何をしてくるか読めない。
だがそれでもヒューガは、なんとかしてやらなくてはと思う。
何より、仮にも同じ
尾行されているというのを前提にして、いくつか寄り道をする。
直接、基地直通の偽装エレベーターに乗るのはリスクが高い。指紋認証をパスしなければならないのでヒューガが置き去りにすれば入れないはずではあるが、次から張り込まれる危険もあるし、何とか入ろうとしてやりすぎれば、テロリストとみなされ、軍の警備要員たちによってお縄だ。
途中で振り切れればいいのだが、公園や店にいくつも滞在して、それから視線をごまかしつつチェックすると、やはりついてきてしまっていた。
(出方を待つ必要もないのではないか。直接言って釘を刺せば)
(適当なところで諦めるならそれでもいいかと思ったんだよ……諦めそうにないけど)
ヒューガは仕方なく、公園の中を多少工夫して歩き、尾行者が距離を詰めざるを得ないように動いた末に……彼女を捕まえる。
「キャロライン。名探偵ごっこはやめろって言ったつもりだぞ」
「あっ」
前回とは逆に、ヒューガの主導権で距離を詰める。
キャロラインは並々ならぬ覚悟があるようだが、それでもすぐに動揺する程度には、物事の経験が浅い。
「
「なっ、なれるわけないでしょ、一度前線都市に出た住民が」
「だよな。つまり無理だ。話は終わり」
「で、でもっ!!」
キャロラインはヒューガが離れようとするのを引き留めて。
「……でも、この街は……ノーザンファイヴは、凄い
「…………」
「ハンターの目撃証言だってある。空を飛ぶ真っ黒い
「テストパイロット……か」
「それなら、正規の軍人以外が乗れる場合もあるんでしょ?」
ヒューガは苦い顔をしてしまう。
誰の入れ知恵か……いや、ネットでなんでも調べられる時代だ。どこかからそういう「特例」の話が漏れているのだろう。
「それがどういうものかわかってるのか? 誰も知らない新型機に、最初に乗るのに相応しいレア人材だ……って思われる必要があるってことだ。元々乗ってる軍人だってもちろん候補になる中で、ごくたまに特殊な民間人が選ばれることもある、って不確かな話だろうが」
「不確かでも低確率でも、今から本国民になって軍に入るよりは現実的でしょ?」
「…………」
どちらも限りなく不可能に近い話。
特にキャロラインは両親を失っているので、財力や血縁の利用・構築などといった非常手段を講じてでも本国民になる……という手も使えない。
ならば、可能性ゼロに近くはあっても、こちらの方が「努力」の価値はある、かもしれない。
「あなたは、この街でも
「……そこまでしてパイロットになったって、自由に戦えるわけじゃない。軍にとっちゃ
「取り引き」
ヒューガの思いとどまらせようとする言葉を、キャロラインはあえて無視する。
無視して、ヒューガの首筋に手をかけて、ぶら下がるように引き寄せる。
いつのまにか、服のボタンは三つも外されている。
「恋人になろうって言うんじゃないの。お互い、やりたいことに協力するだけ。……できる範囲でいいから。そして今、貴方は私にしたいことを言えばいい……♥」
「っ……!!」
(リューガっ……これホントにいいのか!? よくないんじゃないのか!?)
(あーがんばれー。すきにしろー)
(ぞんざい!!!)
(拒否るってあれだけ言っといてその体たらく晒しとるアホに、何言えっちゅーんじゃ)
(あああああ!!)
ヒューガは難しい顔のまま、またしても限界に近づいている。
なんだかんだ言っても結局、ヒューガとリューガは少年×2でしかないのだ。
……そこで。
「……何……してるの」
またしても、いいタイミングの邪魔は入った。
夕方の公園。
見通しの悪い木立の片隅、薄暗がりの中。
物置き部屋よりは人が通りかかる可能性はある。が。
表情を消したジュリエットが幽鬼のように見つめている姿に、ヒューガは心臓を潰されそうになった。