それ以上近づくと障域に侵入してしまい、
滞留する空間魔力の作用により、物理的に有り得る誤動作は大抵起きるので、障域内でそれを防ぐなら、車なら車輪を外し、タンクならポンプを分解しておくなどの処置が必要になる。
このタンクトレーラーは作戦前の最終補給が主任務なので、そこまでして標的に近づく理由はない。
エリクシルリキッド以外にも数基の
それらを全て牽引する運転台部分はちょっとした移動司令部といった趣の広さがあり、
本来ならここを占拠して忙しく指示を出す指揮官が随行していてもよさそうなものだが、今の高級将校は率先垂範などという概念を持ち合わせておらず、「前線に出る必然性がない」と臆面もなく言い放って、障域の狭間を電波リレー回線で辿った先の後方でふんぞり返っていた。
「ま、コーヒー飲む時にまで偉いさんに気を使う必要がないというのは、なにも悪いことじゃない」
サーク隊長はそう言ってまとめる。
「でも、1000キロ近い彼方でぬくぬくしてる連中が俺らの
「近くても遠くても変わらんさ。奴らが尊敬できる類の輩じゃないことはな」
「他人に命懸けさせるなら自分も少しは、って責任感は欲しいじゃないですか」
「味方殺し以外の能がない奴に『責任感』なんて高尚なことを宣われても、ヘドしか出んだろうよ」
「隊長……」
「……悪いな。コーヒーに悪酔いしたようだ。
「……いえ、少し気持ちはわかりますよ。遺書なんか改めて書かされてんですから」
「パイロットなんかをやるんだ。いつでも死ぬ覚悟はしているつもりだが……さすがに
「お袋です。手書きの手紙なんてこっ恥ずかしいもの、できれば送らずに済ませたいもんですがね」
「俺は、娘だ。……15歳になったら届く手筈になっている」
「今いくつです?」
「4つだ。物心つくかどうかってところだな。……もし
「俺は4つの頃の記憶なんかなんもねえですよ」
「俺もだ。……娘が天才であってほしいものだな」
エルフは耳がいいので、数十メートル程度の距離では何も問題なく聞けてしまう。
「楽しい気分になれる夜じゃないわねー……」
「明日に控えてるのが楽な戦いだったら、楽しい遠足なんだろうけどな」
ルティのすぐそばに腰かけ、ぼんやりと星を眺めているヒューガ。
瘴気の影響が弱い地点なので、明るい星ならなんとか見える。方角によっては雲のような瘴気に紛れてしまうが。
ルティの耳に聞こえてきた会話は、おそらくヒューガには全然聞こえていない。だが盗み聞き同然の他人の会話を解説するほどルティも野暮ではない。「そうねー」と適当に相槌を打つに留める。
「ノーザンエイトとノーザンイレヴンの部隊の到着予定が3時間後。ノーザンスリーの部隊……というか二機だから部隊といえるか微妙だけど、それが4時間後。それで到着予定全機揃うわー。最終ブリーフィングは彼らに燃料補給と損傷補修をした後だから、まあもろもろマージンみて明朝5時ってとこねー。夜更かししないで寝た方がいいわよー」
「目が冴えてる」
「催眠魔術使ってもいいけどー?」
「……そこまで強引に寝なきゃダメか?」
「徹夜でやれる作戦じゃないわよー。一番シビアなのヒューちゃんなんだからー」
「正確にはリューガだけどな。……これでも頑丈が取り柄だ。二徹や三徹でフラつくような身体してないぞ」
「明日それで一つでもミスしたら、多分気持ちが耐えられないわよー」
「…………」
「どんなに万全でもミスはあるものだけど、できる努力をしなかったせいで起きたことは無限に悔やむしかないからねー。……休むことも戦いのうちよー。月並みな言い方だけどねー」
「…………」
返す言葉が思いつかない。
溜め息をついてヒューガは立つ。
そこにツバサが帰ってきた。
「お疲れさまー。ツバサちゃんも寝といていいわよー」
「私は明日は待機だから大丈夫」
ツバサは周辺地域のモンスターを掃討しに行っていたのだ。
ある程度以上のモンスターは直接
もちろん小さいからには実害は少ないのだが、それでもタンクトレーラーや待機中の
「手伝わせちゃって悪いわねー」
「居候だから。それに、ヒューガに比べれば大したことはできないもの」
ちらりとヒューガを見るツバサ。
……ヒューガはなんとなく目を逸らす。
ルティは作戦の要であるヘルブレイズの能力を最もよく知る者として、作戦立案に関わることになっている。
これまた随分と司令部を脅しつけてようやく叶ったことのようだ。
そして、この攻撃拠点の設営と
ゴールダスもそれに首を突っ込みたがっていたが、結局彼はノーザンファイヴに待機させられていた。
おそらくは上層部はゴールダスまでは危険に晒したくないのだろう。旧大陸攻略を真面目に考えていないとはいえ、
「それにしても、そんな
ヒューガはかねてからの疑問を口にする。
ただでさえ通信の途切れる障域に深く踏み込む必要がある上、
もちろん危険極まりないその領域に、しかし偵察として
つまり、誰かが
しかし、ルティはそのカラクリを知っていたようだ。
「それ専門の
「ハンターじゃなく……? 軍、でもないよな?」
「どっちでもないわねー。……エルフは私だけじゃないってことー」
現代人、つまりここ百年ほどの間に生まれた人類は、無事に生まれるために魔力を生まれつき制限されている。
ゆえに
だが、百年を超えて生きる長命種、ことに不老とさえ言われるエルフであれば、その限りではない。
自前の魔力で操る本来の「魔術」には、今の常識ではありえないような手段が多く存在する。
ルティが以前見せた転位魔術もそのひとつであり、ツバサが
「ずっと大障域に挑んではアホみたいなサバイバルをこなしてる奴がいるのよー。……そいつのおかげで
「……すげぇな」
「すごいけどそのせいで定期的に大量に腕利きパイロットが死んじゃってるって面もあるからー……」
でも奴がいないとみすみす
「だいたい、間が悪すぎるのよー……せめて二体だったら手に負えそうなのにー……」
「……やっぱり明日、私も戦闘に加わる?
「一機分増えたって大差ないから問題なのよー。というかそれでいいなら私も戦うわよー」
地味に自分も生身で
「私やツバサちゃんの明日の仕事は、撤退支援。……ヘルブレイズかスミロドンがやられたら即刻戦闘中止。残存機は全部引き揚げさせる、って司令部の承認取り付けたわー」
「……責任重大ね」
ヒューガは複雑な顔になる。
つまり、自分が死んだ後のフォローだ。
もちろんスミロドンが先に落ちる可能性もあるが、なんにせよ彼女たちはヒューガの敗北でようやく動く。
(言っても仕方ない話だけど……やっぱり力を合わせて戦う、の方がモチベ上がるよな)
(はっ。甘ったれるでないわ。……要は勝てばそれでいい話よ)
リューガはあくまで強気。
だが、自分自身でもあるヒューガは、リューガの
◇◇◇
落ち着かない夜が過ぎ、明るくなる。
決戦の朝が来る。