「はい。ここから車で十五分ほどの場所に、依頼主の家があるんです。近い場所にあるんですから、調べることが一件でも二件でも、さほど変わらないでしょう?」
にっこりと微笑まれて、ガクン、と身体の力が抜けた。
——やられた……!
最初から御澄宮司は、僕に自分の依頼を手伝わせるつもりだったのだろう。紅凛に会わせてくれたのは、優しさではなかったのだ。
「大人げないですよ、御澄宮司……。仕事なら仕事と、最初から言ってくれたら——」
「言ったら、一ノ瀬さんは嫌がるでしょう? 全部、紅凛さんの為だと思えばいいんですよ。私の依頼は、ついでだと思っていただければいいので」
「そういう問題ではないと思うんですけど……」
何かを言いたげな表情で御澄宮司を見ていた紅凛が、僕の方を向いて瞼を閉じ、再び開くと、上目遣いで僕を見た。
「私ね、蒼汰くんのことがすごく心配。でも、みんなが怖がってるから、何とかしてあげてほしいの。蒼汰くんなら、きっと解決してくれるって、信じてる」
「……」
紅凛と御澄宮司が、期待感に満ちた表情で僕を見ている。
——霊媒師の人ってみんな、こんな感じなのかな……。
強引というか何というか。もしかすると、この二人は似ているから仲が悪いのかも……。
僕はまだやるとは言っていないのに、二人は話を進めだした。
「紅凛さんは、その夢を見ていないんですよね?」
「うん」
「それなら、夢を見た子に話を聞きたいのですが。たまに何者かの霊気を感じるのなら、一ノ瀬さんが何かに気付くかもしれませんし」
「じゃあ、友達に話を聞かせてほしいって、言ってみる」
「一人では参考にならないので、できるだけ人数が多い方がいいですね」
「分かった。五人くらいは話を聞けると思う」
「できれば明日中には、話を聞きたいのですが」
「うん。そう言ってみる」
会話のテンポが速すぎて、僕はただ呆然と二人を見ていた。
「それでは一ノ瀬さん。私の依頼主のところへ行きましょうか」
「えっ? 今からですか?」
「はい、午前中に伺うことになっていますので」
御澄宮司が、にこりと微笑む。そして立ち上がり、僕のそばへ来た。
「さぁ、行きましょう」
腕を引っ張られたので、仕方なく僕も立ち上がる。
——もう、行くしかないんだろうな……。
そう思っていても、まだ納得はできていない。
「蒼汰くん、頑張ってね!」
紅凛は満面の笑みを浮かべている。
——誰も助けてくれないんだ……。
なんだか急に、切ない気持ちになった。
これからは御澄宮司だけでなく、紅凛にも使われることになるのかも知れない。そんなことを考えながら、依頼主の家へ向かった——。
御澄宮司の白い高級車に乗って辿り着いたのは、町外れにある二階建ての住宅だ。
車から降りると、五十代くらいに見える夫婦が出迎えてくれた。二人共、目の下には薄黒い隈ができていて、笑顔もない。随分と疲れているようだ。
案内されて客間に入ると、女性がお茶を出してくれた。
彼らは、山里美奈という二十二歳の女性の、両親だという。
「娘さんの様子がおかしい、ということでしたが、その後はどんな様子ですか?」
御澄宮司が訊くと、男性は小さくため息をついた。
「残念ながら、昨夜も夜中に出て行きました……」
「出て行く?」
思わず口を挟んでしまった。
「あぁ、そうでした。一ノ瀬さんにはまだ事情を説明していないので、もう一度娘さんについて、教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい……。ええと、この方は?」
「彼は一ノ瀬さん。私の助手です」
「そうですか……。よろしくお願いします。——娘が夜中に家を出て行くようになったのは、三ヶ月ほど前からです。最初は、近くにあるコンビニへ行ったのかと思っていましたが、結局帰ってきたのは明け方で。しかも、帰ってきた娘は様子がおかしくて、話しかけても、何の反応もありませんでした。そのまま眠ってしまったので、起きてから、どこへ行っていたのかと尋ねたのですが——なぜか、何も覚えていないと言うんです。それからは毎日、夜中になると、どこかへ行ってしまうようになりました……」
「それって、尾行してみたことはないんですか?」
山里は五十代くらいに見える。女性の歩く速さについて行くことは可能だろう。
「もちろん、何度もやりました。でも、いつも見失ってしまうんです」
「見失う?」
「近くに使われなくなった寺があるんですけど、その辺りで、必ず見失ってしまうんですよ」
「そのお寺の周りには、何があるんですか?」
「そうですねぇ……。古い家が何軒かあって、あとは田畑があるだけです」
「じゃあ、建物や路地が入り組んでいるから見失う、ってわけでもないんですね」
「はい。でも、いつの間にか、娘はいなくなってしまうんです……」
御澄宮司を見ると、視線がぶつかった。
「私は最初、夢遊病なのかも知れない、と思ったのですが、話を聞いている内に、別の可能性を考えるようになりました。一ノ瀬さんはどう思いましたか?」
「僕も、いつも見失うってところが、何だか引っ掛かります。寺の周りで見失うのなら、そのお寺に『何か』がいて、娘さんはその何かに呼ばれているのかなと……」
「そうですよね。『私たちは』そう考えますよね」
霊力を持っている僕たちは、非現実的なことが起こると、どうしても、この世のものではないものの関与を疑ってしまう。ただ、憶測ではなく、実際に人ならざるものが関わっている事件は多い。
同じ場所で事故が何度も起こったり、自殺者が相次いだり、神隠しと呼ばれるものもそうだ。霊力がない人たちには視えていないだけで、人ならざるものたちは、すぐそばにいる。
御澄宮司は、再び山里の方へ顔を向けた。
「山里さん。娘さんの体調の方は、どうですか?」
「以前に比べて、随分と食が細くなりましたし、やつれた印象があります。それに、まともに話すことができない時間が増えたのですが……病院へ連れて行っても、何の異常もないと言われてしまうんです。どう見てもおかしいのに……」
明らかに異常な状態なのに、病院へ行って検査を受けても、異常なしと言われてしまう。これも、霊障を受けている時によくあるパターンだ。
霊力のある人間でないと、霊体や霊気が憑いているのは視えないし、霊障を受けているかどうかは、血液検査をしても分かるはずがない。
「お祓いをしてもらいに行ったことは?」
「近所のお婆さんに勧められて、行きました。そのお婆さんは、幽霊が視える人だという噂がありましたし、何度も言われたので怖くなって、行ったんです。お祓いをしてもらって、しばらくの間は落ち着いていたんですけど、最近はまた、夜に出て行くようになってしまって……それで、御澄神社に連絡をさせてもらいました」
「私のことは、誰に聞いたんです?」
「お祓いに行った方がいい、と勧めてくれたお婆さんです」
「そうですか……。一般の方には神社のことを公開していないのに、そのお婆さんはなぜ、うちの神社の連絡先を知っていたんでしょうね? 不思議です」
「古寺のすぐ下にある家で、三神さんという方なんですけど……」
「ミカミ……? どんな字ですか?」
「数字の三に、神様の神です」
「あぁ……」
なぜか御澄宮司が、眉間に皺を寄せた。
「この辺りに住んでいて、その名字のお婆さんなら、古い知人の可能性がありますね……。気が進みませんが、後で行ってみましょう。でも、一般の方は幽霊だの何だのと言われても、普通は信じないと思うのですが、どうして三神さんの言うことを、信じたのですか?」
「それは……。たまに、家の中に誰かがいる気がしていたからです。もちろん、家族以外で……。ふとした瞬間に、すぐそばに誰かがいる気配を感じたり、目の端に知らない人が映り込んだり。夜中に誰かが顔を覗き込んでいるのが一瞬視えて、飛び起きたこともあります」
山里は顔をしかめて、自分の左腕をさすった。隣にいる妻も目を瞑って俯いてしまったので、同じようなものを視たのだろう。
「だから、三神さんのことを信じたんです。娘のことだけではなくて、私たちも、恐ろしくなって……」
「なるほど……」
たしかに、視えてしまったのなら、もう信じざるを得なかっただろう。ふとした瞬間に何かが視えたような気がした、くらいなら誰でもあることなのかも知れないが、寝ている時に顔を覗き込まれていたなんて——霊が日常的に視えている僕でも恐ろしい。