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第42話

「うーん」と唸りながら御澄宮司は、客間の中を見まわす。


「ただ……今のところは、おかしな気配は感じないんですよね。夜になると、何者かの気配を感じる、といったところでしょうか?」


「そうです。昼間にそういった恐ろしい目に遭ったことはありません」


「では、夜はずっと何かの気配を感じるのですか? 時間帯などを教えていただけないでしょうか」


「時間帯……。早い時で、夕食を食べている時間。十九時くらいでしょうか。朝、新聞が届く頃には、もう何も感じませんね。あっ、そういえば……」


「何です?」


「ずっと、と言われて気がついたのですが……。娘が家にいない時は、恐ろしい思いはしていないような気がします……。久子は、どうだ?」


 山里が妻の方へ顔を向ける。


「そうね。たしかに、美奈が家にいる時だけだわ。それに、私は雨の日の夜が怖かったんだけど、よく考えたら雨の日は、美奈が家にいるのよね……」


 二人とも、困惑した表情を浮かべながら、顔を見合わせている。


「そうですか。それなら——家に何かが憑いているのではなくて、娘さんに憑いている可能性が高いですね。娘さんは、二階ですか?」


「は、はい……。自分の部屋で、眠っています」


「少し様子を見させてください」


「分かりました」




 山里の後をついて行き、端にある部屋へ入ると、ベッドで女性が眠っていた。僕たちが横に立っても、起きる気配はない。熟睡しているようだ。


 昼間は全く外へ出ていないのか、顔や首は蒼白く、唇も血の気がないような色。目の周りは窪み、頬は骨の形が分かるほど肉が落ちている。


「あまり良くない状態ですねぇ……」


 御澄宮司が呟いた。そして美奈の顔に、右手の平を近付ける。


「……何となく気配は感じますが、ここに何かがいるわけではないような気がします。昼間は妙な気配は感じないと言われていましたし、夜になると、何かと繋がってしまうのかも知れないですね。一ノ瀬さんも、お願いします」


「えっ、僕も?」


「はい。さぁ、どうぞ」


「えぇ……。あのう。すみません、山里さん。娘さんの手を、布団の上に出してもらってもよろしいでしょうか……」


「分かりました」


 僕は御澄宮司のように、手をかざすだけで気配を読む、なんて芸当はできないが、触れると弱い霊気でも感じることができる。


「これでいいでしょうか?」


「はい、ありがとうございます」


 山里が美奈の腕を布団から出してくれたので、手首のあたりに、そっと触れた。


 御澄宮司が言う通り、何となく霊気は感じるけれど、それだけだ。


「うーん……。やっぱり、正体までは分からないですね」


「断片的にでも、視えそうにないですか?」


「今は、何も……」




 その時。寝ているはずの美奈が、僕を見た気がした——。




「えっ」


 勢いよく美奈の顔へ目をやったが、やはり寝ている。


「一ノ瀬さん? どうかしましたか?」


「い、いいえ……。この女性が、僕を見たような気がしたんですけど……」


 御澄宮司が美奈の顔を覗き込む。


「目を開けたような感じは、しませんでしたけどね……。もしかすると美奈さんではなく、彼女を操っている『何か』が一ノ瀬さんを見たのかも知れませんね」


「でも、こんなに気配が弱いのに……」


「視線を感じたということですよね?」


「視線……。いえ、目がこちらを向いたというか……あれっ、僕は手を見ていたんだから、目が見えるわけがないか」


 僕は眠っている美奈の顔へ目をやった。たしかに彼女は呼吸をしているかどうか確かめたくなるほど、深く眠っているように見える。僕たちが話をしていても起きないのだから、目を開けたとは考えづらい。


 ——見られたような気がしたんだけどな……?


 そう思いながら、じっと顔を見つめていても、美奈は微動だにしない。


 ——やっぱり、気のせい……。




 ぬるり、と美奈に触れている右手に、何かが絡みついた。




「うわっ!」


 驚いて立ち上がる。


 しかし、手には何もついていない。


「何かありましたか?」


「いや……今何かが、手に絡みついて来た気がしたんです。でも、何も視えなくて」


 呪具の数珠をつけている左手で、右手を強く擦った。何もついていないはずなのに、粘り気のある生暖かいものが、手に絡みついているような気がする。


 ——数珠が光ってるってことは……。


 数珠が淡い紫色の光を放っているので、やはり気のせいではないのだろう。


「うぅっ、気持ちわる……!」


 手首をぎゅっと握りしめた時。親指の爪が歪んで視えた——。




 ゆらり、と靄のようなものが浮かび上がる。黒と見間違えるような暗緑色だ。




「なっ!」


 僕の声が漏れたのと同時に、御澄宮司が僕の右手を掴んだ。そして、自分の顔に近付ける。


「これか……。暗緑色の霊気はたまに視ますが、随分と色が濃いですね」


 彼は暗緑色の靄を睨みつけた。


「な、何なんですか、これ……! 僕の、腕の中に」


「大丈夫。呪具に止められて、一ノ瀬さんに中に入れなかったんですよ。まぁ、この程度では、一ノ瀬さんが操られることはありませんけどね」


「本当に、大丈夫なんですか? 腕が気持ち悪いんですけど……!」


「その気持ち悪さは、一ノ瀬さんの身体が、この霊気を拒絶している証です。抵抗できない人間だと、気持ち悪さは感じないんですよ。あっという間に身体の奥に入られて、操られてしまいます」


 御澄宮司が話している間も、生暖かいものが腕の内側を這いまわっているような感じがする。


「ううぅ……! 御澄宮司、何とかしてください! もう無理です!」


「仕方ないですねぇ」


 小さくため息をつきながら、御澄宮司が、僕の左腕についている数珠に触れる。


 今までは淡い紫色だった光が一気に強くなり、眩しくて、思わず目を瞑った。


「はい。これでもう、何も感じないでしょう?」


 そう言われて目を開くと、たしかに腕の気持ち悪さはなくなっていた。数珠の光も消えている。


「もう、祓ったってことですか?」


「えぇ。この程度なら、呪具に力を込めると祓えますよ。次はやってみてくださいね?」


「そんなことを言われても……」


 先ほどの数珠の光を見ても分かる。僕と御澄宮司では、霊力の強さが全く違うのだ。僕だと淡くしか光らないが、御澄宮司だと眩しいくらいの光を放つ。


 ——でもこれ以上言うと、また力の使い方を学びに来いって言われるしな……。


 言いたいことを、ぐっと飲み込んだ。


「一ノ瀬さん。目が視えたと言っていましたが、それは美奈さんの目でしたか?」


「え?」


「美奈さんはずっと目を閉じている状態なので、私たちは美奈さんがどんな目をしているのか、想像することしかできませんが、一ノ瀬さんが視た目がどんな目だったか、思い出してみてください。美奈さんの目ではない可能性があります」


「は、はい。分かりました……」


 瞼を閉じて、先ほど視た目を脳裏に浮かべる。


 丸みがなく、どちらかというと鋭い目。黒い瞳の下には白目がある。それだけで男女の差があるとは言えないけれど——。


「本当に目しか視えなかったので、違うかも知れないですけど……男?」


「男、ですか……。先ほどの霊気では、判断ができなかったんですよね。呪いのような、不気味な気配は感じましたけど。でも、一ノ瀬さんが目を視たというのなら、人間ということですかね……?」


 御澄宮司は美奈の方へ目を向けた。彼は眉間に皺を寄せているので、考え事をしているのだろう。


「山里さん。まだはっきりとしないのですが、とりあえず、家の中も見せていただけますか? それから、何かの気配を感じたことがある場所も、教えてください」


「はい。では、二階から——」


 山里夫妻、御澄宮司の後に部屋を出てから、ドアを閉めた。

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