武家屋敷のような外観の平屋に着き、車を降りた御澄宮司は、なぜか大きなため息をついた。
「どうしたんですか?」
「まぁ、行ったら分かりますよ。相手にしなくて良いですからね」
「え? はい……」
そう言われると気になるが、今は聞かない方がいいのだろう。
メイドのような服装の女性について行き、和室の中に入ると、お婆さんがお茶をすすっていた。派手な、えんじ色の着物が目を引く。
「はぁ……」
御澄宮司がまた、ため息をついた。山里家にいる時に、気が進まないと言っていたのは聞いたが、本当に、このお婆さんに会いたくなかったのだろう。
お婆さんは顔をこちらに向けて、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「久しぶりだねぇ、御澄の坊ちゃん。あたしが生きている内にまた会えて、嬉しいよ」
「何を言っているんですか、死ぬ予定なんてないでしょう。私より長く生きそうだ」
御澄宮司は、苦いものを噛み潰したような顔をしている。声はいつもより低い。
「まぁね。あたしは百三十までは生きるつもりだからねぇ。はっはっはっ!」
元気なお婆さんだ。本当に百三十歳くらいまで、生きられそうな気がする。
「それで、そっちの可愛らしい坊やは? 坊ちゃんの弟子かい?」
「まぁ、そうなるかも知れませんね」
「なりません」
御澄宮司を横目で見ながら否定すると、お婆さんはまた大きな声で笑った。
「こちらは一ノ瀬さん。たまに仕事を手伝ってもらっているんですよ」
「しかし同業者じゃないんだろう? まだ霊力を使いこなせていない、赤ん坊に視えるよ。坊ちゃんの仕事に付き合わせるのは、危ないんじゃないのかい?」
——そうですよね、もっと言ってください!
思わず言いそうになったが我慢して、御澄宮司をじっと見つめた。
「ご心配なく。私が守りますし、呪具も渡してあるので、ある程度は自分で身を守ることができますから」
「ほぉ、呪具を持たせているのかい。随分と気に入ってるんだねぇ。もしかして弟子じゃなくて、坊ちゃんのイロかい?」
お婆さんはニヤニヤとしながら言う。
「……はい?」
御澄宮司が一気に不機嫌そうな表情になった。眉間には皺が寄っている。
——イロ? 刑事ドラマとかで、愛人のことをイロって言っているよな。全く……。何を言ってるんだろう。でもなんとなく、この二人の関係性が分かってきたな。
「だって坊ちゃんは、好きな子に貢ぐタイプだろう? 近所に住んでいた三つ年上の女の子に、下手くそな文字を書いた護符やら、不恰好な形代なんかを渡して、鬱陶しがられていたじゃないか」
「覚えていませんね」
「あれは、小学校の低学年の頃だったかねぇ。女の子の名前はたしか——。そうそう、美咲ちゃんだよ」
「はぁ……。本っ当に、めんどくさい婆さんだな……」
御澄宮司が低い声で、ぼそりと呟いた。彼が顔を歪めているのを、お婆さんは楽しそうに見ている。
「どうでもいい話はさておき、山里さんのことですが」
不貞腐れているような口調で言う御澄宮司は、なんとなく子供っぽく見える。
「あぁ、お嬢ちゃんのことかい」
「そうです。お祓いに行くように、と勧めたのは、あなたですよね?」
「そうさ。顔を知っているくらいで付き合いはないし、おせっかいになるかも知れない、とも思ったんだけどね。厄介なものに憑かれているようだったから、一応伝えておいたのさ。でも、あまり意味がなかったみたいだねぇ……」
「市内にある大きな寺で、お祓いをしてもらったと聞きましたが、今もまだ、操られていますよ」
「もう会ってきたのかい?」
「えぇ。午前中に、美奈さんに会わせてもらいましたが、あまりよろしくない状態でしたね」
「坊っちゃんは、アレの正体が分かったのかい? あたしには、よく視えなかったんだよ」
「私も濁った暗緑色の靄しか視えませんでしたが、一ノ瀬さんは、何者かの目が視えたようで、人間の男だったそうですよ」
「ほぉ、視えたのかい。やるじゃないか」
「ただ、そのせいで、相手に目をつけられてしまったようですけどね。一ノ瀬さんは憑依体質なので、人ならざるものに見つかりやすいんですよ」
「憑依体質は、霊気を無駄に取り込んでしまうからね。坊やも大変だねぇ。死霊に取り憑かれやすい上に、御澄の坊っちゃんにも取り憑かれて」
「はは……」
僕も困っているんです、とは言えなかった。
御澄宮司は僕の横で、不服そうな顔をしている。ただ、僕に取り憑いている、と言われたことが気に入らないというよりも、とにかく三神のお婆さんのことが苦手なのだろう。
——二人の間に何があったのか気になるけど……訊かない方がいいんだろうな。
僕は、面倒なことには巻き込まれたくない。
「しかし、一体何なんだろうねぇ、山里さんのお嬢ちゃんに憑いているものは。男だと言っていたけど、あたしは人間の死霊だとは思えなかったんだよ。あたしは、お嬢ちゃんがどこかから戻って来た直後に視てるんだけど、やけに禍々しい気配を感じたからね」
「まぁ、普通の死霊なら、私にも視えていたはずですからね。今日の夜は、美奈さんについて行ってみるつもりです」
「そうかい。ただ、気を付けて行きなよ? 山里さんから、お祓いが効かなかったと聞いて、坊っちゃんを紹介したのはあたしだけど、あれは関わっちゃいけない類のものだろうからね。もし御澄の坊っちゃんでも祓うことができなかったら、もうどうにもならないだろうとは思ってるよ」
「そうですね。下手に分家を紹介されていたら、危なかったかも知れません」
「え……?」思わず声が出た。
「どうしました? 一ノ瀬さん」
「いや……。分家の人たちでも危ない現場に、僕を連れて行こうとしてるんですか?」
「一ノ瀬さんでないと、視えないかも知れませんからね。大丈夫ですよ、私が必ず守ります」
微笑まれても、全然安心できない。
「もう、帰りたいんですけど……」
「依頼が片付いたら、家まで送りますね」
「いえ、今すぐに帰りたいんです……」
分家の人たちは、訓練を受けたプロだ。その人たちでさえ危険な仕事について行ったら、二度と帰ることができない可能性もある。
——なんで、こんな目に……。
「そういえば三神さんは、美奈さんが行っている場所に、心当たりはないんですか? 近くにある古寺の辺りで美奈さんを見失なう、と聞いたのですが」
「うーん……。あの辺りは、たしかに嫌な気配が漂っているけど、山里さんのお嬢ちゃんに憑いているものとは、別物のような気がするけどねぇ。でもお嬢ちゃんは、寺の辺りで消えるんだろう?」
「そうなんです。分家の者たちにも訊いてみたのですが、あの古寺がそんなに危険な場所とは思えない、と言っていたんですよね」
「あたしもそう思うよ。まぁ、坊っちゃんも行ってみておくれよ。色んなものが溜まっているだけで、古い寺や神社によくあるような感じだからね。あたしが一つだけ気になっているのは、お嬢ちゃんが、必ず明るくなる時間に帰って来ることだよ。暗い時間に帰ったり、そのまま帰らなくなったりってことはないんだ。毎日、夜が明けるのと同時に帰って来るんだ」
「やはり朝になると、美奈さんを操っているものの力が薄れるということですかね。山里さんも、昼間は異変を感じないそうです。暗い時間の、美奈さんが家にいる時だけ、何かが家の中にいるような気配を感じると言っていましたから」
「本当に、厄介なことに巻き込まれちまったねぇ。なんでそんなことに……」
三神のお婆さんと御澄宮司は、険しい表情で考え込んでいる。こういったことに詳しい人たちでも、悩むような事例なのだろう。
——たしかにお婆さんが言った通り、変だよな。取り憑かれてどこかへ行ってしまった、っていう話は聞くけど、朝になったら、ちゃんと帰って来るんだもんな。あ、もしかして——。