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第45話

 武家屋敷のような外観の平屋に着き、車を降りた御澄宮司は、なぜか大きなため息をついた。


「どうしたんですか?」


「まぁ、行ったら分かりますよ。相手にしなくて良いですからね」


「え? はい……」


 そう言われると気になるが、今は聞かない方がいいのだろう。


 メイドのような服装の女性について行き、和室の中に入ると、お婆さんがお茶をすすっていた。派手な、えんじ色の着物が目を引く。


「はぁ……」


 御澄宮司がまた、ため息をついた。山里家にいる時に、気が進まないと言っていたのは聞いたが、本当に、このお婆さんに会いたくなかったのだろう。


 お婆さんは顔をこちらに向けて、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「久しぶりだねぇ、御澄の坊ちゃん。あたしが生きている内にまた会えて、嬉しいよ」


「何を言っているんですか、死ぬ予定なんてないでしょう。私より長く生きそうだ」


 御澄宮司は、苦いものを噛み潰したような顔をしている。声はいつもより低い。


「まぁね。あたしは百三十までは生きるつもりだからねぇ。はっはっはっ!」


 元気なお婆さんだ。本当に百三十歳くらいまで、生きられそうな気がする。


「それで、そっちの可愛らしい坊やは? 坊ちゃんの弟子かい?」


「まぁ、そうなるかも知れませんね」


「なりません」


 御澄宮司を横目で見ながら否定すると、お婆さんはまた大きな声で笑った。


「こちらは一ノ瀬さん。たまに仕事を手伝ってもらっているんですよ」


「しかし同業者じゃないんだろう? まだ霊力を使いこなせていない、赤ん坊に視えるよ。坊ちゃんの仕事に付き合わせるのは、危ないんじゃないのかい?」


 ——そうですよね、もっと言ってください!


 思わず言いそうになったが我慢して、御澄宮司をじっと見つめた。


「ご心配なく。私が守りますし、呪具も渡してあるので、ある程度は自分で身を守ることができますから」


「ほぉ、呪具を持たせているのかい。随分と気に入ってるんだねぇ。もしかして弟子じゃなくて、坊ちゃんのイロかい?」


 お婆さんはニヤニヤとしながら言う。


「……はい?」


 御澄宮司が一気に不機嫌そうな表情になった。眉間には皺が寄っている。


 ——イロ? 刑事ドラマとかで、愛人のことをイロって言っているよな。全く……。何を言ってるんだろう。でもなんとなく、この二人の関係性が分かってきたな。


「だって坊ちゃんは、好きな子に貢ぐタイプだろう? 近所に住んでいた三つ年上の女の子に、下手くそな文字を書いた護符やら、不恰好な形代なんかを渡して、鬱陶しがられていたじゃないか」


「覚えていませんね」


「あれは、小学校の低学年の頃だったかねぇ。女の子の名前はたしか——。そうそう、美咲ちゃんだよ」


「はぁ……。本っ当に、めんどくさい婆さんだな……」


 御澄宮司が低い声で、ぼそりと呟いた。彼が顔を歪めているのを、お婆さんは楽しそうに見ている。


「どうでもいい話はさておき、山里さんのことですが」


 不貞腐れているような口調で言う御澄宮司は、なんとなく子供っぽく見える。


「あぁ、お嬢ちゃんのことかい」


「そうです。お祓いに行くように、と勧めたのは、あなたですよね?」


「そうさ。顔を知っているくらいで付き合いはないし、おせっかいになるかも知れない、とも思ったんだけどね。厄介なものに憑かれているようだったから、一応伝えておいたのさ。でも、あまり意味がなかったみたいだねぇ……」


「市内にある大きな寺で、お祓いをしてもらったと聞きましたが、今もまだ、操られていますよ」


「もう会ってきたのかい?」


「えぇ。午前中に、美奈さんに会わせてもらいましたが、あまりよろしくない状態でしたね」


「坊っちゃんは、アレの正体が分かったのかい? あたしには、よく視えなかったんだよ」


「私も濁った暗緑色の靄しか視えませんでしたが、一ノ瀬さんは、何者かの目が視えたようで、人間の男だったそうですよ」


「ほぉ、視えたのかい。やるじゃないか」


「ただ、そのせいで、相手に目をつけられてしまったようですけどね。一ノ瀬さんは憑依体質なので、人ならざるものに見つかりやすいんですよ」


「憑依体質は、霊気を無駄に取り込んでしまうからね。坊やも大変だねぇ。死霊に取り憑かれやすい上に、御澄の坊っちゃんにも取り憑かれて」


「はは……」


 僕も困っているんです、とは言えなかった。


 御澄宮司は僕の横で、不服そうな顔をしている。ただ、僕に取り憑いている、と言われたことが気に入らないというよりも、とにかく三神のお婆さんのことが苦手なのだろう。


 ——二人の間に何があったのか気になるけど……訊かない方がいいんだろうな。


 僕は、面倒なことには巻き込まれたくない。


「しかし、一体何なんだろうねぇ、山里さんのお嬢ちゃんに憑いているものは。男だと言っていたけど、あたしは人間の死霊だとは思えなかったんだよ。あたしは、お嬢ちゃんがどこかから戻って来た直後に視てるんだけど、やけに禍々しい気配を感じたからね」


「まぁ、普通の死霊なら、私にも視えていたはずですからね。今日の夜は、美奈さんについて行ってみるつもりです」


「そうかい。ただ、気を付けて行きなよ? 山里さんから、お祓いが効かなかったと聞いて、坊っちゃんを紹介したのはあたしだけど、あれは関わっちゃいけない類のものだろうからね。もし御澄の坊っちゃんでも祓うことができなかったら、もうどうにもならないだろうとは思ってるよ」


「そうですね。下手に分家を紹介されていたら、危なかったかも知れません」


「え……?」思わず声が出た。


「どうしました? 一ノ瀬さん」


「いや……。分家の人たちでも危ない現場に、僕を連れて行こうとしてるんですか?」


「一ノ瀬さんでないと、視えないかも知れませんからね。大丈夫ですよ、私が必ず守ります」


 微笑まれても、全然安心できない。


「もう、帰りたいんですけど……」


「依頼が片付いたら、家まで送りますね」


「いえ、今すぐに帰りたいんです……」


 分家の人たちは、訓練を受けたプロだ。その人たちでさえ危険な仕事について行ったら、二度と帰ることができない可能性もある。


 ——なんで、こんな目に……。


「そういえば三神さんは、美奈さんが行っている場所に、心当たりはないんですか? 近くにある古寺の辺りで美奈さんを見失なう、と聞いたのですが」


「うーん……。あの辺りは、たしかに嫌な気配が漂っているけど、山里さんのお嬢ちゃんに憑いているものとは、別物のような気がするけどねぇ。でもお嬢ちゃんは、寺の辺りで消えるんだろう?」


「そうなんです。分家の者たちにも訊いてみたのですが、あの古寺がそんなに危険な場所とは思えない、と言っていたんですよね」


「あたしもそう思うよ。まぁ、坊っちゃんも行ってみておくれよ。色んなものが溜まっているだけで、古い寺や神社によくあるような感じだからね。あたしが一つだけ気になっているのは、お嬢ちゃんが、必ず明るくなる時間に帰って来ることだよ。暗い時間に帰ったり、そのまま帰らなくなったりってことはないんだ。毎日、夜が明けるのと同時に帰って来るんだ」


「やはり朝になると、美奈さんを操っているものの力が薄れるということですかね。山里さんも、昼間は異変を感じないそうです。暗い時間の、美奈さんが家にいる時だけ、何かが家の中にいるような気配を感じると言っていましたから」


「本当に、厄介なことに巻き込まれちまったねぇ。なんでそんなことに……」


 三神のお婆さんと御澄宮司は、険しい表情で考え込んでいる。こういったことに詳しい人たちでも、悩むような事例なのだろう。


 ——たしかにお婆さんが言った通り、変だよな。取り憑かれてどこかへ行ってしまった、っていう話は聞くけど、朝になったら、ちゃんと帰って来るんだもんな。あ、もしかして——。

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