「ここが、紅凛さんが通っている小学校です。降りてみましょう」
車から降りて、校門の前に立つ。御澄宮司も僕の横へ来て、校舎の方へ顔を向けた。
「……古い学校なので多少の霊気は感じますが、特に気になるような気配はないですね。一ノ瀬さんはどうですか?」
「うーん……。僕は離れている場所の霊気は感じ取れないので、中に入らせてもらいたいんですけど、無理ですかね?」
「そうですね、校舎の中も見てまわった方がいいでしょう。少し待っていてください」
御澄宮司がどこかへ電話をかけた後、スーツ姿の男性が校舎から出てきた。五十代くらいで、丸みがあるメガネをかけている。
「教頭の進藤です。私が一緒なら、校舎の中を見ていただいても構わないのですが、それでもよろしいでしょうか」
「では、よろしくお願いします」
普段は、関係者以外は校舎の中へ入ることができないが、校長先生が、分家の神社に地鎮祭を依頼したことがある、という縁があったおかげで、中へ入らせてもらえることになったようだ。
教頭の後ろを歩いて、校舎の中へ入った。
「あの……御澄さんは白榮紅凛さんから、子供たちが見た夢のことを聞いて、ここへ来られたんですよね?」
「そうです。教頭先生も子供たちから、その話を?」
「はい。何度か聞いたことがあります」
「学校で、お祓いなどを依頼したことはないんですか?」
「いいえ、そこまでは……。子供たちが言うことなので、よくある七不思議のようなものだと思っていたんです。それなのに今日、御澄さんが来られたので、少し驚いています。名のある神社の宮司さんだと、校長から聞いたのですが……」
「はははっ。大きいだけで、田舎の神社です。気にしないでください」
——普通の人が想像するより、遥かに大きいけどね。
初めて御澄宮司の神社に行った時は、山の中に大きな鳥居が聳え立っているのを見て、圧倒されたのだ。
それに、分家を含めると、かなりの数の神社があると聞いた。もちろん働いている人も大勢いて、その頂点が御澄宮司ということになる。本当なら、僕のような一般人が、普通に話せる人ではないのだと思う。
「まず一階は、一年生二年生の教室と、保健室、調理室などになります」
教頭先生に案内してもらって廊下を歩く。
「一ノ瀬さん、気になることがあったら教えてくださいね」
「はい、分かりました。でも、学校はどこも同じような感じがしますね。何かが視えるわけではなくても、いろんな場所から、微かな霊気を感じるというか……」
「人がたくさん集まる場所は、死霊が集まりやすいですからね。一ノ瀬さんは、死霊と人間の見分けがつかないので、大変だったんじゃないですか?」
「えぇ、まぁ……。思い出したくないですね……」
うっかりその辺にいる霊に話しかけて、他の子に変な顔をされることは何度もあった。その度に誤魔化さなければならなくなり、後で、嘘をついた罪悪感に苛まれていたことを思い出す。
大人になった今は、もう割り切っているが、子供の頃は随分と悩んだのだ。
——紅凛ちゃんはまだ小学生だし、あの頃の僕みたいに、悩むこともあるだろうな。何かあったら僕から聞いてあげなきゃ。
霊力は強くても、紅凛はまだ幼いのだから。そんなことを考えながら歩いていると。
ピクン、と右手が勝手に動いた——。
「あっ、御澄宮司。一瞬だけ、嫌な感覚がありました。この辺りに、何かがあるのかも……」
教室プレートには『2年2組』と書いてある。
「2組ですね。紅凛さんは何組なんでしょう?」
「白榮さんは3組ですね。3組は隣ですが——2組の教室を開けましょうか?」
「はい、お願いします」
御澄宮司が頷くと、教頭先生が教室の鍵を開けてくれた。
緑色の黒板に、教卓。たくさん並んでいる机と椅子は、今見ると小さく感じる。
「教室の中に入ると、たしかに妙な気配を感じますね」
キョロキョロと教室の中を見まわしながら、御澄宮司は言う。
「どこにあるんだろう……」
僕も右手を気にしながら、ゆっくりと歩く。ふと、午前中に山里家で美奈に触った時、右手に何かの霊気が入り込んだのを思い出した。その影響で、右手が霊気を感じやすくなっているのだろうか。
——嫌だなぁ、わけの分からないものが、身体の中に入り込んだんだもんな。ずっと霊気に対して敏感なままだったら、どうしよう。
気付かずにやり過ごせるなら、その方がいいのだ。こちらが気付いてしまうと、向こうにも気付いたことを知られてしまう。それは、子供の頃に嫌というほど経験した。
もし気が付いても、態度に出さなければいいのだけれど、それは中々難しいことで、やっとそれができるようになったのは、高校生になった頃だ。
オープンタイプのロッカーには、荷物がたくさん置かれていた。同じ色の箱に、縄跳びや布製の袋もある。懐かしくて近付くと。
また右手が、ピクンと動いた。
ほとんどのロッカーに、本が置いてある。背表紙に書いてあるタイトルを読んで、児童書なのだろうと思った。そしていくつかの本から、妙な気配を感じる。
——なんで、本から霊気を感じるんだ? しかも一冊じゃなくて、何冊も……。
近くにある本を手に取り、ペラペラとめくると、栞が出てきた。
「この栞……」
四葉のクローバーの栞だ。押し花のような感じで作ってある。ただ、クローバーの葉は明るい緑のはずなのに、黒っぽい葉だ。珍しいから栞にしたのだろうか——。
「えっ、うわっ!」
突然、栞から出てきた黒い靄のような霊気が、僕の右手に纏わりついた。
「一ノ瀬さん! 捨てて!」
「うわあっ!」
栞は投げ捨てたが、まだ右腕には、嫌な気配がする霊気が纏わりついている。気持ちが悪くて、何度も思い切り手を下に向けて振った。
——あっ、数珠!
左手首には呪具の数珠がついている。僕は数珠をつけている左手で、右手を掴んだ。
「消えろ!」
左手に力を入れると、数珠は紫色の光を放ち、黒い靄のような霊気は、さぁっと消えていった。
「あ……」
「一ノ瀬さん、できたじゃないですか」
「良かったぁ……! これくらいの霊気なら、自分でなんとかできるってことですよね? まぁ今のは、ものすごく弱い霊気だったんだと思いますけど」
御澄宮司は僕の右手を掴んで、じっと見つめた。
「うん、ちゃんと祓えていますね。それにしてもあの栞は、何なんでしょうね?」
床に落ちた四葉のクローバーの栞を、二人で見つめた。
「栞から霊気を感じるような気がしたのと、色がおかしいなと思って見ていたら、黒い靄が出てきたんですけど——あっ! もしかして……。教頭先生は、栞のクローバーが何色に見えますか?」
「何色って、普通の緑色ですが……」
「やっぱり……。黒っぽいのが霊気のせいだと分かっていたら、触らなかったのに」
霊気が視えるせいで、本当の色が分からなかったのだ。
「一ノ瀬さんは、見分けるのが苦手ですもんね」
また御澄宮司が、呆れたような顔をしている。
「自分ではもう、どうすることもできないので、諦めました……。それはそうと、他の本にも栞があるような気がするんです。いろんなところから、同じような気配がするんですよね」
僕が言うと、御澄宮司はロッカーへ顔を向けた。
「微かに、何かの気配を感じますね……」
御澄宮司は近い場所にある本を手に取り、開く。そこにはやはり、四葉のクローバーの栞があった。
「教頭先生。同じ栞がいくつかあるようですが、この栞は学校で配ったものですか?」
「いいえ、そんな話は聞いていませんが……。子供たちがおかしな夢を見るのは、その栞のせいなんでしょうか」
「それはまだ分かりません。ただ、この栞の出所が気になるんです。曰くつきの商品が、どこかで売られているのかも知れないですし、誰かが作ったのなら、このクローバーの葉を、どこで見つけたのかを教えていただきたいんです」
御澄宮司が言うと、教頭先生は眉間に皺を寄せて、首を傾げた。本当に心当たりはないのだろう。
「あのう、御澄宮司。とりあえず、紅凛ちゃんのクラスに行ってみませんか。同じ栞があったら、紅凛ちゃんに訊けば、何かが分かるかも知れません」
「そうですね。向こうも調べてみましょう」
教頭先生に、3組の教室の鍵を開けてもらって、中へ入った。