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第60話

 風呂から上がって、タオルで頭を拭きながら廊下を歩いていると、反対側から御澄宮司が歩いて来た。


「あぁ、良かった。遅いので、一ノ瀬さんが風呂で寝てしまっているのではないかと心配していたんですよ」


「えーと……はい。その、通りです……」


「はぁ……。やはりそうですか。もっと早く来たらよかったですね。でも、湯船に浸かっている時に寝るのは、危ないですよ? まぁ、疲れているのは分かっていますけど」


「はい、気を付けます……。それで寝ている時に、美奈さんに憑いている男の記憶を視たんです」


 僕が言うと御澄宮司は、はっとしたような顔をした。


「今朝の夢とは違うものですか?」


「今朝のは、美奈さんが介抱している夢でしたけど、さっきのは、あの男が洞窟に辿り着いた時の記憶だと思います」


「それって——どんな夢でしたか?」


 御澄宮司が、僕の目をじっと見つめる。


「最初は、夜の森の中を歩いている光景で、すごく喉が渇いて水を探していたら、地面に開いた穴に落ちて。あ。落ちるっていうか、傾斜になっていて、滑り落ちたんですけどね。それで、落ちた後に、寝転がって穴の入り口の方を見上げると、土の壁が月に照らされていて、その光景が今朝に視た夢と、一緒でした」


「落ちたということは、見つけづらい場所にある可能性が高いですね」


「そうですね。歩いている時は、洞窟があるとは思いませんでしたから。暗くて視えなかっただけじゃなくて、獣道から逸れて、草むらの中を進んでいる時に、突然落ちたような感じでした」


「なるほど。それを見つけるのは、相当厳しいような気がしますね……。落ちる前の景色は覚えていますか? 何か特徴的なものがあれば、もしかしたら洞窟を発見できるかも知れない、と思ったのですが」


「特徴があるものだったら……。大木が三本並んでいる場所がありました。木の後ろから何かが出てくるんじゃないかって、かなり怖かったんです。そこから少し斜面を下ると、僕の身長の三倍くらいはありそうな、大きな岩があって、隣には半分くらいの大きさの岩がありましたね。穴に落ちたのは、その先で獣道を逸れた後です」


「どちらの方向からだったのかが、少し気になりますが、それだけ覚えていたら、場所が分かるかも知れません。でも……。それはいつ頃の記憶なんでしょうか。もし何十年も何百年も前の記憶だった場合は、大木はない可能性が高い」


「あっ、そうか……。木は枯れるかも知れないですよね。じゃあ、岩と傾斜ですかね。流石にあの大きな岩は、なくならないと思いますし」


「えぇ。一ノ瀬さんを待っている間に考えていたのですが、明日は明るい時間に山へ行ってみようと思うんです」


「昼間なら、霊気が抑えられているからですか?」


「そうです。夜はもう、三つ目の空間に入るのは無理だということが分かりましたから。でも昼間なら、この世のものではないものたちも、静かになるでしょう? あの嫉妬深い男も、美奈さんを家に帰すくらいですからね」


 御澄宮司は、ニヤリと笑う。


「たしかに、それならあの洞窟を探せそうですね。朝から行くんですか?」


「いいえ。先ほどメールに気付いたのですが、不登校になっている子供と、話ができるようなんです。山へ行くのは時間がかかるので、先に子供に話を聞いてから、山へ行きましょう」


「分かりました。でも、明日一日で、見つけられますかね? 僕の休みは、あと一日しかないんですけど……」


「あぁ、気にしないでください。解決しなかった場合は、私が信子さんに電話しますから」


 女性なら、うっとりしそうな笑みを浮かべた御澄宮司は、ふふっと笑った。


 信子さんとは僕の会社の、神原信子社長のことだ。社長は御澄宮司の遠い親戚で、御澄宮司は僕に霊媒師の仕事を手伝わせる時は、なぜか僕よりも先に、社長に連絡をする。僕が知った時には、すでに仕事を休むことになっているのだ。


「あの……僕はただの、会社員なので……」


「大丈夫です、分かっていますよ。ちゃんと有給にしてもらいますし。明日は忙しくなりそうなので、しっかりと休んでおいてくださいね」


 にっこりと微笑んで、御澄宮司は奥の方へ歩いて行った。


「絶対に、分かってないだろ……」


 普通の会社員は、使える有給の日数が決まっていて、突然『明日休みたいので有給を使います』は通用しないのだ。それに、普通の会社員の僕が、霊媒師の仕事の方を優先しなければならないのは、おかしい気がする。


「はぁ……。もういいや。早く寝よう……」


 考えるのをやめた僕は、借りている部屋に入るとすぐに、布団に寝転がった——。




「おはよぉ、蒼汰くん。起きてー」


 身体を揺さぶられて目を開けると、紅凛が僕の顔を覗き込んでいた。


「おはよー……。ありがとね、起こしてくれて」


「目覚ましの音が、ずっと鳴ってたよ」


「えっ、本当? 全然気が付かなかった」


「呼んでも全然起きなかったもん。蒼汰くん、疲れてるんだねぇ。おじさんにこき使われたの?」


「ははっ。そんなことを言ったら怒られるよ? 昨夜は山の中を長時間歩いたり、怖い目に遭ったりしたから、疲れていたんだと思う」


「やっぱり怖い目に遭ったんだ。部屋の外からでも分かるくらい、嫌な霊気が残ってるよ?」


「残ってるかぁ……。まぁそうだよね、おかしな夢を視るってことは、霊気が残ってるってことだよね」


「また祓ってあげようか?」


「うーん……」


 悪意のある霊気は、身体に残さない方が良い。けれど、霊気を放っているものの本体を探しに行くのなら、僕の中に霊気が残っている方が、探しやすいのではないか、と思った。本体が近くなれば、僕の中に残っている霊気が、多少は反応するだろう。


「今は、このままにしておくよ。全部終わったら、紅凛ちゃんにお願いしても良い?」


「うん、良いよ!」


 紅凛は、ニコッと微笑んだ。


「さて、準備をしようかな。今日は黒い靄のせいで不登校になっている男の子に会って、その後はまた御澄宮司の手伝いで、山へ行くんだ」


「そこに悪い幽霊がいるの?」


「幽霊っぽいけど……幽霊じゃないかも知れないんだよね。神無村にいた神様と同じくらい、怖いのがいるのかも」


「ふうん。だからおじさんが、刀だけじゃなくて、お札もたくさん持ってたのかぁ。あの刀で祓えない幽霊はいないんでしょ? 神様も斬ったって聞いたし。それなのに、なんで強いお札をあんなにたくさん、持って行くのかなって思ってたの」


「あぁ……。昨日ね、ものすごい強い霊気が溜まっている場所があって、すぐに引き返したんだよ。だから、強いお札をたくさん持って行くのかも。今日は本体まで辿り着かないといけないからね」


「そうなんだ。……なんだかすごく、危なそうだね」


 紅凛は僕の左手をとり、手首にある数珠を両手で包み込む。そして、目を閉じた。


「蒼汰くんが、ちゃんと帰って来ますように」


 じわり、と左腕が温かくなり、数珠は薄紫色の光を放った。僕が霊力を送った時よりも、随分と光が強い。


「よし、これで大丈夫! お仕事がんばってね」


 紅凛は、僕が自分で身を守れるように、数珠に力を送ってくれたのだろう。紅凛の霊力は温かくて、触れていると心が穏やかになって行くような気がする。


「うん、ありがとう。頑張るね」


 ——本当に、ちゃんと帰って来られるように、頑張らないと。


 僕は、まだ微かに光っている数珠を、じっと見つめた。

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