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第61話

 準備を終えて御澄宮司のところへ行くと、僕も札の束を渡された。


「持っておくだけでも、霊気の影響を受けづらくなりますから。紅凛さんの札と違って、しっかりと効き目があるので、安心してくださいね」


 そう言って彼は、にっこりと微笑む。


 漢字にも絵にも見える、朱色の文字が書かれた、白い札。ただ、朱色がいつもと違う色に見えた。いつもより、くすんだ色に見えるのだ。


 ——これって……あっ。


 御澄宮司は左手の外側に、大きな絆創膏を貼っている。昨夜は貼っていなかったはずだ。


「では、行きましょうか」


 歩き出した彼を後ろから見ると、絆創膏の中央付近には、血が滲んでいる。


 ——もしかして、血を混ぜているから、色が違うのかな……。


 強力な札を作る時は、そうすることがある、と御澄宮司から聞いたことがある。




 痛くないのだろうか。

 僕がいるから無理をして、強力な札を作ったのではないだろうか。

 もう少し、僕が力を使う練習をしていたら、そこまでしなくても良かったのかも知れない。




 色々なことが脳裏を巡ったが、御澄宮司は何も言わなかったのだから、知らないふりをしていた方がいいのだろう。


 僕は黙ったままで、車へ向かう御澄宮司の後をついて行った——。




 住宅街の端にある一軒家の前で、車が止まった。


 庭に四十代くらいの女性が立っている。年齢的におそらく、不登校になっている男の子の母親だろう。


 女性は、助手席に座っている僕と目が合うと、玄関の方へ出てきた。


「御澄宮司。あの人は、男の子のお母さんですかね? もしかして、外で待ってくれていたんでしょうか」


「そうかも知れませんね。先ほど電話で少しだけ話をしたのですが、早く来てほしい、と言われたんですよ」


「えっ?」


「驚きますよね。霊媒師と言うと、ほとんどの人は胡散臭いと感じるものだと思いますが、なぜか歓迎されているようですよ?」


「へぇ……。もしかしたらお母さんは、男の子の話を信じているのかも知れませんね」


「おそらくそうでしょう。男の子は、この世のものではないものが視えているのですから、血が繋がっているお母さんも、同じように視えている可能性が高いです」


「それなら話が早いですね」


「えぇ。行きましょうか」


「はい」


 車から降りると、男の子の母親らしき女性が、小走りで駆け寄って来た。彼女は不安げな表情をして、胸の前で両手を重ねている。


「あのぅ……御澄さんですよね?」


「はい、先ほどお電話をさせていただいた御澄です」


「今日は来てくださって、ありがとうございます。私は玲央の母親で、早苗と申します」


 彼女は、力が抜けたような柔らかい笑みを浮かべた。


 ——本当だ。待っていた感じだな。


「息子は、自分の部屋にいます。こちらへどうぞ」


 早苗が玄関の扉を開ける。御澄宮司の後に僕も中へ入ろうとしたが——ふと気が付いた。


 玄関の両脇には、盛り塩が置いてある。そしてよく見ると、土間の隅にも盛り塩が置いてあった。


「あっ。もしかして、盛り塩が気になりますか?」


 声が聞こえて顔を上げると、早苗と視線がぶつかった。


「すみません、ジロジロ見ちゃって……」


「いいえ。主人には気持ちが悪いからやめろ、と言われているんですけど、置いていないと不安で……。気休めにしかならないと、分かっているんですけどね」


「そんなことはないと思いますよ? 悪い気が家の中に入るのを防いでくれると聞きますし、盛り塩があると、少し空気が綺麗になったような気がしますよね」


 ——霊気を遠ざけてくれる、とは言いづらいんだよなぁ。


「そうですよね! 良かった、分かってもらえて。でも、主人は全然分かってくれないんです。玲央の言っていることも、聞こうともしないし……。あの子は、嘘は言っていないのに」


 ——嘘は言っていない? あぁ、これは……。


「あの、もしかして……。お母さんも『視えて』ますか?」


「えっ……あ。そうですよね、お二人は霊媒師さんだから、隠す必要はないんですよね。大人になったら視えなくなったんですけど、子供の頃は、亡くなった人とか、黒い影のようなものが視えていました。たぶん玲央は……私に似てしまったんでしょうね」


「御澄宮司と、そうじゃないかなって、話していたんですよ。霊力は血で受け継がれるようなので、お父さんかお母さんか、どちらかが霊力を持っているんだろうって」


「血ですか……。そういえば私の母も、子供の頃は視えていたと言っていました。でもおかしなものが視えるのは、玲央だけなんですよ。上の子は、全然視えないみたいで……」


「僕の家も、そうですよ。代々、兄弟姉妹の中でも視える人間と、視えない人間がいたようですから。玲央くんも、早く視えなくなったらいいですね」


「はい……」


 早苗は節目がちに微笑んだ。玲央のことが心配で堪らないのだろう。


 ただ、僕や御澄宮司のように、大人になってもこの世のものではないものが視える場合もある。ある程度の霊力がある人間は、ずっと視えてしまうのだけれど、それは言わないほうが良いような気がした。


 不安にさせるようなことは、言うべきではない。


「——あ。玲央の部屋に案内しますね。上がってください」


 玲央の部屋は二階にあるそうだ。早苗と御澄宮司の後を追うように、僕も階段を登った。




 コン、コン、コン

 早苗がドアを軽くノックする。


「玲央。入ってもいい?」


「……うん」


 部屋のドアが少しだけ開いて、男の子の顔が半分だけ見えた。

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