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第62話

 男の子は不安げな表情で、僕と御澄宮司を交互に見ている。


「こんにちは。キミが玲央くん?」


 僕が訊くと、男の子は黙ったままで頷いた。そして御澄宮司もなぜか、黙ったままだ。このまま僕が話をしろということなのだろうか。


 ——もう。しょうがないな……。


「ええと……ちょっと訊きたいことがあるんだけど、部屋でいいのかな? それとも、リビングへ行く?」


「……ここでいいよ」


 キィッ、と音を立てながら、ドアが開いた。


「ありがとう。じゃあ、中に入らせてもらうね」


「うん……」


 部屋の中には、学習机やベッド、漫画やゲーム機がある。子供らしい部屋なのに——魔除けの木札や破魔矢が、棚の上に置いてある。ランドセルには、お守りが三つもつけてあった。


 ——やっぱり、怖かったんだろうな。


 玲央がベッドに座り、僕はカーペットの上に座った。


「あのね、訊きたいのは黒い靄と夢のことなんだけど……大丈夫?」


 何も言わずに、玲央は頷いた。


「学校の子たちが、同じような怖い夢を見てるんだけど、玲央くんもあの夢を見たのかな?」


「うん、見た……」


「玲央くんが見たのは、どんな夢だったの?」


「僕が見たのは……。最初は暗い森の中にいて、喧嘩をしているような声が聞こえたから、怖くて、走って逃げて——」


「ん? 森の中で、誰かが喧嘩をしている声がしたの?」


「すごい怒っていて「死ねー!」っていう声が聞こえたから、僕も殺されるかも知れないと思って、逃げたんだ」


「えー……。それは怖かったね。何だろう。まさか、殺人事件とかがあったとか……? でも玲央くんは、ちゃんと言葉が聞こえたんだね。唸り声みたいなのが聞こえたって子はいたけど、他の子はそこまではっきりとは聞こえなかったみたいだからさ」


「うん。二年生の凪くんも、夢にゾンビが出てきたけど、何も喋ってなかったって、言ってた」


「あぁ、凪くんと話をしたんだ。友達なの?」


「凪くんは家が近いから、たまに一緒に帰るんだ」


「そっか。僕も昨日、凪くんと話をしたんだよ。元気だし、良い子だよね」


 僕が凪のことを言うと、玲央の表情が柔らかくなった。これで少しは、緊張がほぐれてくれたら良いのだけれど。


 見知らぬ男が二人もいるせいか、ベッドに腰掛けた玲央は、布団を丸めて抱きしめている。緊張しているか、警戒しているか、どちらかだろう。


「ちなみに、喧嘩をしていたのは、女の人? 男の人?」


「男の人だよ。おじさんみたいな声だった」


「おじさんが喧嘩をしている声か……。玲央くんは不思議なものが視えるって聞いたから、みんなとは少し違う夢を見たのかもね。森の中を走って、その後はどうなったの?」


「森の外にはね、海があるんだ。でも、森から出たら隠れるところがないから、どうしようって思っていたら、下に行く道があって、そこを下りたら広いところに出たんだけど——なんかそこは、怖いんだよ」


「怖い?」


「何もいないんだけど、何かがいる気がするっていうか……」


「祠があるせいかな……? 石で作った小さな家みたいなのがあるから、怖かったのかも知れないね」


 御澄宮司を見ると視線がぶつかった。


「他の子は気付かなかったけど、霊感がある玲央くんは、何かの気配を感じたってことですかね?」


「一ノ瀬さんの力で視た夢ではないので、詳しいことが分かりませんが……。その祠が何者かの霊気を纏っていて、子供たちはその霊気に呼ばれている、という可能性は充分にありますよね。一ノ瀬さんが言った通り、霊力がある人間しか、その存在には気付けません」


「祠が強い霊気を纏っていれば、夢を見るのも、祠のせいかも知れないってことですか?」


「そうですねぇ。でも先に、夢に出てくる森や祠が実在するのかどうか、ですよね」


「あ、そうか。実在しないかも知れないのか……」


「子供たちの話だけでは、何とも言えないですね」


「うーん……。僕がその夢を視ることができたらなぁ……」


 子供では分からないことに、気付けるかも知れないのに。ただ、あの不気味な霊気を身体に入れるのは、絶対に嫌だ。


「それで玲央くんは、広場に行った後はどうしたの?」


「怖いから、すぐに戻ったんだ。そうしたら、いっぱい人が追いかけて来て……。なんか、落武者みたいな格好だった」


「落武者? 凪くんもそんなことを言っていたような……」


「うん。同じだねって話をしたよ。でも、凪くんはまた森の中へ逃げたみたいだけど、僕は喧嘩をしている声がして怖いから、頑張って起きたんだ」


「あぁ、夢だって分かってたんだ」


「途中から夢だって分かってたよ。たまにそういう夢を見るんだ」


「僕もよく見るよ。夢だって分かっている夢のことを、明晰夢って言うんだ。ちゃんと起きられる時はいいんだけど、怖い夢を見ていて起きられない時は、地獄だよねぇ。はははっ」


 僕が笑うと玲央も、頷いて微笑んだ。


「玲央くんは、黒い靄も視たんだよね? 実は僕たちも学校に行って探してみたんだけど、四葉のクローバーの栞にも、黒い靄が憑いていたんだ。玲央くんは、栞に黒い靄が憑いているのを知っていたの?」


「うん。——だってあのクローバーは、嫌な感じがする森で、みんながとってきたやつだから……」


「えっ! どこで摘んだか、知ってるの⁉︎」


「遠足で行ったところだよ。そこの、木のソリで遊ぶところに、いっぱい生えてるんだ」


「その遠足で行ったところって、どこ?」


「ええとねぇ、遊ぶところとか、牧場があるところ。ママが知ってるかも」


 玲央が言うので、母親の早苗に目をやった。


「あ、はい。隣町に、アスレチックとふれあい牧場がある、総合公園ができたんです。パンフレットがあるので、お見せできますけど……」


「じゃあ、後で見せてください」


「はい」


 ——良かった。こっちの件はなんとかなるかも。


 総合公園の中にある、クローバーが生えている場所を探せば、黒い靄のように視える霊気の発生源を、見つけられるかも知れない。


「ねぇ、玲央くん。その遠足って、いつ行ったの?」


「寒くなる前くらい?」


「秋に行ったんだね。だから紅凛ちゃんは、取り憑かれなかったのか。こっちへ転向してきたのは、年末だったから……。それと、玲央くんはさっき、嫌な感じがする森って言ったけど、夢に出てくるのと同じ場所だったってことはない?」


「どうなんだろう……。分かんないけど、森の中から男の人の声が聞こえたような気がした」


「総合公園の森でも、男の人の声がしたの?」


「森の方から風が吹いてきた時に、聞こえた気がしたんだ。なんかあの声、夢で聞こえた声と、似たような声だったなって——」


「他の森だったら、たぶん、男の人の声はしないよね。やっぱり夢に出てくる場所は、実在しているのかな……」


 森が実在する場所なら、そこへ行けば、御澄宮司が何とかしてくれるはずだ。


「御澄宮司。どうしますか? そこへ行ってみたら、黒い靄のことが分かりそうですよね」


「そうですね。先に山へ行ってから、子供たちが遠足で行った総合公園の方へ行ってみましょうか」


「分かりました」


 子供が集まる場所なら、一刻も早く解決しておきたい。

「ねぇ。お兄ちゃんたちも、あの場所へ行くの?」


「そうだよ。あっちにいるお兄さんは霊媒師っていう、悪い幽霊とかを退治してくれる人なんだ。これ以上、みんなが怖い思いをしないように、黒い靄は消してもらうから、安心してね」


「黒いのがなくなったら……僕も学校へ行くよ」


「そっか。じゃあ、もう少しだけ待っててね」


「うんっ」


 玲央の表情は明るい。学校へ行きたくないわけではなく、怖くて行けなかっただけなのだろう。


 早苗にもらったパンフレットを見た御澄宮司は、車で三十分もかからない場所だと言った。山へ行った後でも充分行ける距離だ。




 御澄宮司が玲央の中に残っている霊気を祓った後、僕たちは古寺の裏にある山へ向かった——。

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