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第63話

 昼間に見る古寺は、随分と朽ちていた。


 瓦が地面に散らばり、三角の大きな屋根には穴があいている。


 周りの木々も手入れをされていないようで、伸び放題だ。大きくなり過ぎた木が影を作っているせいか、神社は緑色の苔に覆われている。


 ——夜に見たから不気味に感じたのかと思っていたけど、昼間に見ても不気味だな……。


 扉は内側に倒れて、寺の内部が見える。真っ暗で、恐ろしい姿をしたものが立っている様子を想像してしまう。


「ここに神と呼ばれるような存在がいなくて良かったですね。こんなに粗末な扱いをしていたら、土地が荒れますよ」


 御澄宮司が古寺を見ながら、ため息をついた。


「荒れたら、また御澄宮司が呼ばれることになっちゃいますね」


「本当ですよ。どうにもならない状況になって呼ぶのは、勘弁してほしいです……。そういえば、夜に来た時は石段の下で、薄い膜を通り抜けるような感覚がありましたけど、今は何も感じませんでしたね」


「そうですね。何も感じなかったので、忘れていました。やっぱり昼間は、人ならざるものの霊気が弱くなるんでしょうね」


 夜に来た時は、この辺りでも、生暖かい湿った空気が身体に纏わりつくような感覚があって、息苦しくなったはずだ。でも今は、特に何も感じていない。


「今日は最低でも、黒い人影が出た場所の、奥まで行きたいと思っています。あれだけ霊気が濃い場所の奥がどうなっているのか、見ておきたいんですよ。一ノ瀬さんはまぁ、行きたくないでしょうけど……」


「そう、ですね……。でも途中で置いていかれるのも怖いので、頑張ります……」


「置いて行きはしませんよ。そのために、札をたくさん作ってきたんですから」


 御澄宮司はコートの内ポケットから、白い札を取り出し、僕に見せる。


「一ノ瀬さんは、左側のポケットに入れておいた方がいいでしょうね」


 僕は左手に、呪具の数珠をつけている。札をすぐに使えるように、左のポケットに入れておけ、ということだろう。


 ——札をもらった時は何も言えなかったけど、今なら訊いてもいいのかな。


「……これって、何の札なんですか?」


「魔除けの札ですよ、かなり強力な。売ったら、いくらになるでしょうね? ふふふっ」


「いくらって……。そんなことを言われたら、使いづらいんですけど」


 漢字にも、絵にも見えるような朱色の文字が書かれた、白い札。


 ただ、今日の札は、朱色がいつもと違う色に見える。いつもより、くすんだ色だ。御澄宮司が手に大きな絆創膏を貼っていることを考えると、強力な札にするために、彼の血を混ぜて作ったのだろう。


 ——霊媒師の人って、みんな平気で自分を傷つけるものなのかな。いくら仕事だって言っても、手を切って血を使うなんて……。僕は、そんな怖いことはできないよ……。


「まぁ、強力な札を持っていても、使う余裕がない状況になったら意味がありませんし、ここの霊気は夜より弱いですけど、山の奥がどうなっているかは、行ってみないと分かりません。決して油断はしないでくださいね」


「分かりました」


 御澄宮司は、腰につけている呪具の刀を確認して、歩き出した。昼間なのに、御澄宮司が進んで行く先に目をやると、木々が生い茂っていて薄暗い。それに、山奥から吹いてくる冷たい風が、吹き抜けずに身体に纏わりついてくる。


 ——なんか、嫌な予感がするんだよな……。


 明るい時間なので、夜に来た時よりも山の霊気は弱まり、今日は呪具の刀もある。それに、御澄宮司が作ってくれた強力な魔除けの札も持っている。安心して良いはずなのに——どうしても、不安になってしまう。


 僕は、自分の予感が外れてくれることを祈りながら、御澄宮司の後をついて行った。




 山の中には、歩きやすい道などない。茶色の落ち葉が積もり、ところどころに短い草が生えた獣道の上を歩いて、山の奥へ向かった。


 夜に歩いた時は気付かなかったが、獣道から外れた場所は、倒木が多い。半分ほど崩れた小屋のようなものがあったので、昔は山の手入れを行っていたのかも知れないが、今は完全に放置されているようだ。


「御澄宮司。この山って、誰も入って来ないんですかね。ちゃんとした山道はないし、薄暗いからハイキングって感じでもないし……」


「そうですねぇ。だから余計に、悪い気が溜まっているんだと思いますよ。人間は入って来ないし、薄暗くて、静かで。人ならざるものにとっては、居心地が良い山なんでしょうね」


「なるほど。僕は、ものすごく居心地が悪いですけどね。昼間だから大丈夫かと思っていたんですけど、やっぱり薄気味悪いというか」


「まだ最初の山ですよ? 私たちは嫌な気配がする方へ向かっているのですから、今は気にせずに行きましょう」


「そうですね……」


 今日は足元がちゃんと見えるので、早く歩ける。それだけが、せめてもの救いだ。


 ——夜は、美奈さんに合わせてゆっくり歩かないといけなかったけど、今日は御澄宮司と僕だけだから、早く着くはずだ。それで、またあの黒い人影が出てきたら、走って逃げよう。


 大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら歩いた。御澄宮司と出会ってから、何度も恐ろしい目に遭っているが、僕はまだ、この世のものではないものに遭遇することには、慣れそうにない。


 そういえば、紅凛は子供たちの霊に、自分から近寄り話しかけていた。おそらく怖いとは思っていないのだろう。幼い女の子が霊を怖がっていないのに、大人の僕がいつまでも怖がっているなんて——考えていると、なんだか恥ずかしくなってくる。




 しばらくの間歩いていると、うっすらと霧が発生しているのが見えた。


「あ、霧が……」


「そろそろ池に着く頃ですよ。それにしても、この辺りまで来るとさすがに、嫌な気配を感じるようになりますね」


「昼間でもこれだけの霊気を感じるなんて、ちょっと異常ですよね……。何かあるんでしょうか、あの池……」


「まぁ水場は、悪い霊気が溜まりやすい場所ではあるんですけどね。ただ、あの意思を持っているような霧は、気になります」


「絶対に、僕たちが美奈さんの後を追うのを、妨害していましたよね」


「そうですね。あの霧がなければ初日に、黒い人影が出た辺りまで行けたかも知れないのに。本当に——邪魔な霧ですよ」


 御澄宮司の声が低くなった。


 彼は連休中に、この依頼を終わらせたいと言っていた。つまり、今日の夜までだ。


 しかし今の時点では、美奈に憑いている良くない霊気の本体まで辿り着けていない。もしかして彼は、終わりが見えないことに、苛立ちを感じ始めているのだろうか。


 池に着くと夜と同じように、ふわりと風を感じて、霧に包まれた。


 やはり嫌な気配はなんとなく感じるし、纏わりついて来る感覚はあるけれど、昼間で霊気が弱まっているので、霧が薄い。今日は池の反対側が見える。


「夜はあまり見えなかったけど、結構広い池だったんですね。周りに川はないから、湧き水なのかな?」


「そうですねぇ。湧き水かも知れませんし、雨水が溜まっているとも考えられます。私たちが歩いてきた道は割と平坦でしたけど、ここは山と山との間で、谷間になっている場所です。雨が降った時に周りの山から流れてきた水が、ここに溜まっている可能性もあると思うんですよ。——緑色の藻に覆われているので深さは分かりませんが、が流れ着いて、溜まっているんでしょうねぇ……」


 御澄宮司は目を細くして、池を見ている。その『色々なもの』が何なのかは聞きたくないけれど、負の感情が宿っているようなものが、池の中にあるんだろうな、と思った。


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