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第68話

「これって、クローバーに憑いている霊気ですかね? どこにあるんだろう」


 御澄宮司に目をやると、彼も眉間に皺を寄せていた。


「妙ですね……。正直に言うと、私が想定していた霊気の強さを、遥かに超えているんです」


「思っていたよりも、強い霊気を感じるってことですか? たしかに僕も、ここまで嫌な霊気を感じるとは、思っていませんでしたけど……」


「あの少年に、もう少し詳しく聞いておけば良かったです。四葉のクローバーを摘んでいた、とは聞きましたけど、どのくらいの範囲なんでしょうね……? たかが草に、こんなに強い霊気が憑くことはありません。あるとすれば、相当広い範囲に、霊気が溜まっている場合ですが……」


 より嫌な気配を感じる方へ目をやると、山への入り口があった。舗装されていない細い道があるが、木製の柵があり、入れないようになっている。ただ——。


 そんなに高い柵ではない。

 それに、下には三十センチほどの隙間がある。


「あの柵……。子供なら、下から簡単に入れそうな……」


 僕が呟くと御澄宮司が、柵がある方へ向かって歩き出した。


「やはり、あの辺りの霊気が強い。子供たちは、ここへ入って行ったんでしょうね」


 御澄宮司は柵を固定してある杭に手を掛け、ひらりと飛び越える。


 僕も彼に続いて柵を飛び越え、辺りを見まわした。


 木がまばらに生えていて、陽当たりは良い場所だ。草もよく育っている。


 ざっ、ざっ、ざっ


 音がして、そちらへ顔を向けると、御澄宮司が山の中へ向かっていた。


「あっ。待ってくださいよ」


 ——疲れてるって言った割に、歩くのが速いな。


 僕がなんとか追いついたのと同時に、御澄宮司は足を止めた。


「この辺りから、草木に霊気が宿っていますね」


 たしかに、草木にぼんやりと黒い靄が憑いているのが視える。僕は周辺を見まわした。


「あっ! 御澄宮司、ありました!」


 道から外れた場所に、緑色に染まった一帯がある。近寄ってみると、クローバーがたくさん生えていた。


「ほら、ここ!」

「へぇ。他の草は枯れているものが多いのに、クローバーって寒い時期でも枯れないんですね?」

「家の近所に土手があるんですけど、そこのクローバーも枯れていませんよ。ここも陽当たりが良くて暖かいから、冬でも枯れないんだと思います」


「……陽当たりが良くて、冬でも暖かくて、幸運をもたらすと言われる四葉のクローバーがたくさんあって、子供たちの笑い声が聞こえて——。この嫌な霊気さえなければ、良い場所なんでしょうねぇ」


「そうですね。この霊気さえなければ……」


 クローバーの絨毯の上には、黒い靄が漂っている。明るい場所のはずなのに、僕たちは霊気が視えるせいで、暗く視えてしまうのだ。


「しかし……。嫌な霊気の元はここではありませんね。もっと山の奥でしょう。また山の中を歩くことになりますけど、一ノ瀬さんは行けそうですか?」


「行けるというか……。もう行くしかないんだろうな。とは思ってます」


「潔いですね。まぁ、私も行きたくはありませんが……行きましょうか」


「そうですね」


 ここまで来たのだから、早く解決したい。

 子供たちのためにも、自分のためにも。


 僕は、浮かない表情をした御澄宮司を気にしながら、山の中へ向かって歩いた。




 舗装されていない道を進む。この辺りは木々の手入れがされているようなので、おそらく車が入れるように作った道なのだろう。


 振り返ると、柵が遠くに見えた。


「結構進みましたよね。さすがに子供たちも、この辺りまでは入って来ていないと思うんですけど……」


 木が生えている間隔は、まだまばらだ。密集してはいないのに、なんとなく薄暗い。


 ——青空が見えるのに薄暗いってことは、濃い霊気が溜まっているんだろうな……。


「まぁ、クローバーは手前の方にたくさんありましたしね。わざわざ奥へは入らないかと。それに、黒い靄が視えていた少年が、他の子供たちがクローバーを摘んでいるところを見ているということは、間違いなく手前で摘まれたものだと思うんですよ。怖がりの彼は、こんなに嫌な気配を感じる場所へは来ないでしょう」


「たしかに僕も、玲央くんは来ていないと思います。もし、霊力を持っている玲央くんがここまで来ていたら、もっと霊気をたくさん取り込んでいると思うんですけど、すぐ近くで話をしていても、大した霊気は感じませんでした」


 霊気の濃い場所では、影響を受けやすい人間は、操られてしまう可能性が高い。子供たちが奥の方まで入って、帰ることができなくなっていたら——そう考えると、ゾッとした。


「あぁ……。先ほども見たような光景ですねぇ……」


 ため息をつきながら言う御澄宮司の、視線の先へ目をやると、なだらかな上り坂の向こうに、獣道しかない薄暗い山の中が見えた。


「たしかに、あんな感じの山の中を、歩いたばかりですよね……」


 山の中はどこも同じような景色だ。ただ、霊気の濃さは違う。木々が生い茂って暗い山の中は、ところどころに太陽の光が差し込んでいる。


 しかし、霊気のせいで暗い山は、濃い色の霊気が充満しているので、僕たちの目には、太陽の光が差し込んでいる様子が見えないのだ。とても不気味で、別の世界に入り込んでしまったような気分になる。


「はぁ……。また行くのか……」


 思わずため息をつくと、御澄宮司も隣で大きなため息をついた。




 しばらく歩くと、まばらに生えていた木は一気に増えて、薄暗くなった。砂利が敷かれて整備されていた道路は終わり、この先は足場の悪い獣道しかないようだ。


「ここからは、気を引き締めて行きましょう」


 そう言って御澄宮司は、薄暗い獣道を進んで行く。


 ——子供たちは、すごい楽しそうに遊んでいたよな。そのすぐ近くに、こんな場所があるなんて……。


 クローバーが生えている周辺だけに、霊気が溜まっているのなら、御澄宮司が祓えばそれで解決していたはずだ。しかし今の場所から見えるだけでも、かなり範囲が広いのが分かる。


 普段は霊力なんていらないのに、と思うことが多いけれど、こういう時はほんの少しだけ、あって良かったのかも知れない、という気持ちになる。


 もし、霊力がなかったら、ここに良くない霊気が溜まっていることに気付けなかったのだ。知らずに長時間、ここにいたらどうなるだろう。恐ろしい夢を見るだけならまだいいが、取り憑かれて操られてしまったら——。


 ただ『知らない、気付かない』それだけのことで、人生が狂ってしまうこともある。


「これってやっぱり、クローバーが纏っている霊気と同じものですよね?」


「そうですね。札をたくさん作っておいて、良かったです」


 声が少し高くなった。僕の前を歩いているので彼の顔は見えないが、得意げな表情をしている気がする。


 ——あの札……何枚作ったんだろう?


 古寺の裏山に行った時は、上着のポケットに一枚だけ札を入れていたが、今は全てのポケットに入れて、腰のベルトにも挟んである。


 ただ、安心はできない。靴の底にも札が敷いてあるけれど、脚は無防備な状態だ。御澄宮司は気にならないのだろうか。


 僕はなんとなく、耳なし芳一が脳裏に浮かんだが——何も言わないでおいた。



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