端まで行って、しゃがみ込むと、窪んでいる場所があった。
その真ん中には、僕の手の平と同じくらいの大きさの、岩がある。左上の方は丸く、それ以外はデコボコとした岩だ。
——普通の岩に見えるけど、周りが窪んでるってことは、美奈さんが掘ったんだろうな。どうしてこの岩を掘り起こしたんだろう……。
手を伸ばすと、後ろにいる御澄宮司が「あぁっ!」と大きな声を出した。
「どっ、どうしたんですか? びっくりしたぁ」
「でもあの、それは触らない方が……」
「この岩ですか? 霊気を感じるし、たぶん、美奈さんが掘って出したんだと思うんですよね」
「そうでしょうね。霊気を感じるということは、遺品だと思うんですよ」
「遺品……。でも、どう見ても岩ですよね?」
「いやぁ、私は岩ではないと思いますよ……」
「岩じゃない?」
目の前にあるのは、僕の手の平と同じくらいの大きさで、左上の方は丸く、それ以外はデコボコとしたものだ。
——岩じゃない……?
首を傾けて、気が付いた。
「えっ、うわっ! コレ——頭の骨⁉︎」
思わず飛び退いた。丸い部分は頭の部分で、デコボコしているのは目や鼻の部分だろう。薄暗くてよく分からなかったが、頭蓋骨が斜めに、半分ほど出てきているのだ。
「そうですよ。だから触らない方が……」
「分かってたんだったら、早く教えてくださいよ! それは骨だから触るなって、はっきりと言ってくれたらいいのに!」
「言おうかどうしようかと迷ったんですけど、頭骸骨だと言ったら、一ノ瀬さんが怖がるかなと」
「触る方が嫌ですよ!」
御澄宮司は眉を寄せて、困ったような顔をしているが、僕が気付くまで、わざと言わなかったような気がする。
——御澄宮司って、そういう人だよな!
紅凛に会わせてもらえたのが、優しさではなく、仕事を手伝わせるためだったことを思い出した。
「あ、でも……。一ノ瀬さんは、この男の記憶を視たいんですよね? それなら、触った方が良いのでは?」
たしかに僕の霊力はそんなに強くないので、触らないと視えないかも知れないけれど——。
「大丈夫です! 触らなくても、視てみせますから……!」
触るのは最終手段だ。それに、男の骨を見つけたのだから、どうしても記憶を視なければいけないというわけではない。この場所と、美奈に憑いている霊気を御澄宮司が祓えば、それで解決するはずだ。
——でも、少し気になるんだよな……。
夢の中の美奈が、ただ取り憑かれているだけのようには視えなかったからだ。ちゃんと意思を持って、男と会話をしていたような気がする。
そういえば、と思いながら洞窟の中を見まわした。
「あの黒い影、どこに行ったんでしょうね。この洞窟に入ってからは、視てないんですけど……」
「あぁ。アレは、また山の中を歩いているんでしょう。昼間で霊気が弱くなっていますから、普通の死霊と同じように、死ぬ前の行動を繰り返しているんだと思いますよ」
「そうですか……」
僕もたまに、死ぬ前にしていたであろう行動を、何度も繰り返している霊を視ることがある。おそらく何の意思もないだろう。それが、なんだか悲しい。
僕は地面に片膝をついて、男の頭蓋骨に両手をかざした。
目を瞑って手の平に意識を集中させると、左手につけている呪具の数珠が、すぐにじわりと温かくなる。今日は紅凛が霊力を込めてくれたおかげで、力を使うのが楽だ。
暗く冷たい場所にいる——。
ぴちゃん ぴちゃっ ぴちゃん
水滴が落ちる音だけが聞こえる。
寒い。
寂しい。
じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ
砂を踏む音が近付いて来た。
何かが頬に触れている。
優しく頬を拭かれているようだ。
なんだか温かい。
目を開けると、ハンカチを持った美奈がいる。
彼女の姿が見えると、先ほどまでの寂しい気持ちは消えていった。
『私が……いるから。大丈夫……』
今にも消え入りそうな、弱々しい声だ。
美奈の頬はこけて、虚ろな目をしている。
それでも、満ち足りた気持ちになった。
『いつも……ありがとう』
優しげな男性の声。
『いいの、ヒデアキ……さん』
名前を呼ばれて、嬉しい気持ちが伝わってくる。
黒い靄が手の形になり、美奈の頬に触れると、明るい場所に変わった——。
白いパーカーを羽織った女性が、携帯電話で写真を撮っている。今のようにやつれてはいないが、おそらく美奈だ。
——あっ。ここは、クローバーがあった辺りかも。
近付いて立ち止まると、美奈と視線がぶつかった。
『あっ、ごめんなさい! ここって、入っちゃいけない場所でしたか?』
先ほどまでとは違い、力強く明るい声だ。
『いや……』
『良かったぁ。柵があったから、どうかなとは思ったんですけど、写真が撮りたくて。今日は何か、イベントがあるんですか?』
『いべ……?』
『着物を着ているから、イベント用なのかなぁと思って。違うんですか?』
戸惑っている気持ちが伝わってくる。彼はイベントの意味が分からないのだろう。
きょとん、とした顔で美奈が口を開いた。
『じゃあ山の奥に、着物を着て行くような場所があるとか……?』
『……着物は、毎日着るものだ』
『そうなんですね。何をされているんですか?』
『墓を……。墓を、作っていた。長い間……』
『あっ、お墓を作る方なんですね』
——美奈さんは、墓石を作る人だと思ってるんだろうな。でも、たぶん違う。長い間作ってたってことは、来る時に見た大量の墓はやっぱり、この男が作ったんだろう。
山の中を歩いている記憶の中には、他の人物は出て来なかった。どういう状況だったのかは分からないが、少なくとも死ぬ前は、一人で山の中を彷徨っていたはずだ。
——たくさんの墓を作って死者を弔ったのに、自分はこんな洞窟の中で……。
そう考えると胸が苦しくなる。
正常な精神状態ではいられないはずだ。
『もう……疲れた』
男はそう呟いて、視線を落とした。
『あ、あのっ。私で良かったら、話を聞きますよ?』
美奈が心配そうに、こちらを見ている。
『聞いて、くれるのか……?』
『はい。他に予定はないので、一緒にいられますから。とりあえず、どこかに座りましょう?』
『一緒に……。そうか……ありがとう』
男が言うと美奈は、にっこりと微笑んだ。
「あぁ、それで……」
思わず呟くと、男の記憶は消えてしまった。