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第75話

 端まで行って、しゃがみ込むと、窪んでいる場所があった。


 その真ん中には、僕の手の平と同じくらいの大きさの、岩がある。左上の方は丸く、それ以外はデコボコとした岩だ。


 ——普通の岩に見えるけど、周りが窪んでるってことは、美奈さんが掘ったんだろうな。どうしてこの岩を掘り起こしたんだろう……。


 手を伸ばすと、後ろにいる御澄宮司が「あぁっ!」と大きな声を出した。


「どっ、どうしたんですか? びっくりしたぁ」


「でもあの、それは触らない方が……」


「この岩ですか? 霊気を感じるし、たぶん、美奈さんが掘って出したんだと思うんですよね」


「そうでしょうね。霊気を感じるということは、遺品だと思うんですよ」


「遺品……。でも、どう見ても岩ですよね?」


「いやぁ、私は岩ではないと思いますよ……」


「岩じゃない?」


 目の前にあるのは、僕の手の平と同じくらいの大きさで、左上の方は丸く、それ以外はデコボコとしたものだ。


 ——岩じゃない……?


 首を傾けて、気が付いた。


「えっ、うわっ! コレ——頭の骨⁉︎」


 思わず飛び退いた。丸い部分は頭の部分で、デコボコしているのは目や鼻の部分だろう。薄暗くてよく分からなかったが、頭蓋骨が斜めに、半分ほど出てきているのだ。


「そうですよ。だから触らない方が……」


「分かってたんだったら、早く教えてくださいよ! それは骨だから触るなって、はっきりと言ってくれたらいいのに!」


「言おうかどうしようかと迷ったんですけど、頭骸骨だと言ったら、一ノ瀬さんが怖がるかなと」


「触る方が嫌ですよ!」


 御澄宮司は眉を寄せて、困ったような顔をしているが、僕が気付くまで、わざと言わなかったような気がする。


 ——御澄宮司って、そういう人だよな!


 紅凛に会わせてもらえたのが、優しさではなく、仕事を手伝わせるためだったことを思い出した。


「あ、でも……。一ノ瀬さんは、この男の記憶を視たいんですよね? それなら、触った方が良いのでは?」


 たしかに僕の霊力はそんなに強くないので、触らないと視えないかも知れないけれど——。


「大丈夫です! 触らなくても、視てみせますから……!」


 触るのは最終手段だ。それに、男の骨を見つけたのだから、どうしても記憶を視なければいけないというわけではない。この場所と、美奈に憑いている霊気を御澄宮司が祓えば、それで解決するはずだ。


 ——でも、少し気になるんだよな……。


 夢の中の美奈が、ただ取り憑かれているだけのようには視えなかったからだ。ちゃんと意思を持って、男と会話をしていたような気がする。


 そういえば、と思いながら洞窟の中を見まわした。


「あの黒い影、どこに行ったんでしょうね。この洞窟に入ってからは、視てないんですけど……」


「あぁ。アレは、また山の中を歩いているんでしょう。昼間で霊気が弱くなっていますから、普通の死霊と同じように、死ぬ前の行動を繰り返しているんだと思いますよ」


「そうですか……」


 僕もたまに、死ぬ前にしていたであろう行動を、何度も繰り返している霊を視ることがある。おそらく何の意思もないだろう。それが、なんだか悲しい。


 僕は地面に片膝をついて、男の頭蓋骨に両手をかざした。


 目を瞑って手の平に意識を集中させると、左手につけている呪具の数珠が、すぐにじわりと温かくなる。今日は紅凛が霊力を込めてくれたおかげで、力を使うのが楽だ。




 暗く冷たい場所にいる——。


 ぴちゃん ぴちゃっ ぴちゃん

 水滴が落ちる音だけが聞こえる。


 寒い。

 寂しい。


 じゃりっ、じゃりっ、じゃりっ

 砂を踏む音が近付いて来た。


 何かが頬に触れている。

 優しく頬を拭かれているようだ。


 なんだか温かい。

 目を開けると、ハンカチを持った美奈がいる。


 彼女の姿が見えると、先ほどまでの寂しい気持ちは消えていった。


『私が……いるから。大丈夫……』


 今にも消え入りそうな、弱々しい声だ。

 美奈の頬はこけて、虚ろな目をしている。


 それでも、満ち足りた気持ちになった。


『いつも……ありがとう』


 優しげな男性の声。


『いいの、ヒデアキ……さん』


 名前を呼ばれて、嬉しい気持ちが伝わってくる。




 黒い靄が手の形になり、美奈の頬に触れると、明るい場所に変わった——。


 白いパーカーを羽織った女性が、携帯電話で写真を撮っている。今のようにやつれてはいないが、おそらく美奈だ。


 ——あっ。ここは、クローバーがあった辺りかも。


 近付いて立ち止まると、美奈と視線がぶつかった。


『あっ、ごめんなさい! ここって、入っちゃいけない場所でしたか?』


 先ほどまでとは違い、力強く明るい声だ。


『いや……』


『良かったぁ。柵があったから、どうかなとは思ったんですけど、写真が撮りたくて。今日は何か、イベントがあるんですか?』


『いべ……?』


『着物を着ているから、イベント用なのかなぁと思って。違うんですか?』


 戸惑っている気持ちが伝わってくる。彼はイベントの意味が分からないのだろう。


 きょとん、とした顔で美奈が口を開いた。


『じゃあ山の奥に、着物を着て行くような場所があるとか……?』


『……着物は、毎日着るものだ』


『そうなんですね。何をされているんですか?』


『墓を……。墓を、作っていた。長い間……』


『あっ、お墓を作る方なんですね』


 ——美奈さんは、墓石を作る人だと思ってるんだろうな。でも、たぶん違う。長い間作ってたってことは、来る時に見た大量の墓はやっぱり、この男が作ったんだろう。


 山の中を歩いている記憶の中には、他の人物は出て来なかった。どういう状況だったのかは分からないが、少なくとも死ぬ前は、一人で山の中を彷徨っていたはずだ。


 ——たくさんの墓を作って死者を弔ったのに、自分はこんな洞窟の中で……。


 そう考えると胸が苦しくなる。


 正常な精神状態ではいられないはずだ。


『もう……疲れた』


 男はそう呟いて、視線を落とした。


『あ、あのっ。私で良かったら、話を聞きますよ?』


 美奈が心配そうに、こちらを見ている。


『聞いて、くれるのか……?』


『はい。他に予定はないので、一緒にいられますから。とりあえず、どこかに座りましょう?』


『一緒に……。そうか……ありがとう』


 男が言うと美奈は、にっこりと微笑んだ。




「あぁ、それで……」


 思わず呟くと、男の記憶は消えてしまった。


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