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~第一章 赫いカナリア~ 第七話 嘘と抱擁

 箱馬車の馭者だった若者は、レオナルドの部下で隠密部隊の一員らしい。主な任務は暗殺、諜報、伝達係だ。襲撃騒ぎに乗じて本部に連絡を取り、再びこの村まで迎えに来る手はずだという。しかし、レオナルドの判断では、仲間の到着を待つより先にラパンを目指して出立した方が良い、とのことだ。


「もう、彼奴にも俺たちの件は伝わってるだろ。ここまでしつこく追いかけてきたってことは、とっくにコッチの荷物には気づいてるって訳だ」

「……そうですね……。お屋敷があのような状態となれば……」


 街道沿いの村落の空き家で、メルティーユは休息を摂っていた。貧しい村の村長は、レオナルドとの取引で一晩宿泊を許可してくれたという。とはいえ、寝台は一台しかなく、他には長椅子と椅子が三脚のみだ。まともな毛布も防寒用の設備も存在しない。当然ながら、魔法石スペルストーン魔製道具ソーサラーツールもないので、便利なお屋敷生活に慣れたメルティーユには新鮮な体験だった。

 現在は魔法石の普及も進んでいるとはいえ、今も磨製道具は貴重な高級品だ。富裕層や一部の魔術師ウィザード以外、おいそれとは入手できない。

 自分がどれだけ恵まれた環境に軟禁されていたのか。今更ながら、メルティーユは思い知った。 


――この感じ……。まるで、村にいた小さい頃に戻ったみたい。お母さん、お姉ちゃん……。それから、お父さん……。ごめんね、ずっと思い出してあげられなくて……。わたし、結局何もできなかった。


 村人の厚意でわずかばかりの食料は提供されたが、それでもレオナルドが支払った金銭に見合った内容ではない。瓶に入った井戸水と硬いパンが一斤、あとは乾燥した木の実とヤギの乳を発酵させた発酵乳ヨーグルトだった。


「食え。何も食べてないだろ、お前。顔色も悪ィし、移動の途中でまたぶっ倒れでもしたら面倒だからな」

「二人は……?」

「私は、メルティーユ様が眠っている間にいただきましたから……」

「……」

 まだ重い体を無理やり動かし、メルティーユはテーブルについた。浅く椅子に腰かけるとギィッと軋み、その音でこめかみが痛む。木製のスプーンは年季が入っており、ところどころ樹皮が剥がれて変形していた。

 ヤギの乳のヨーグルトを掬い、一口口に運ぶ。淡泊な味と舌に絡む触感が懐かしく、メルティーユは思わず俯いた。

「う……」

「メルティーユ様?どうなさいましたか?」

 気がつくと正面の椅子に、ドリーが腰かけていた。

 ヨーグルトの器を見つめるメルティーユの瞳に、自然と涙が溜まっていく。一度こじ開けられた記憶の扉は、彼女が望むと望まざるとに関わらず、次々と

溢れ出していった。

「ドリー。ブラウ様……いいえ。あの人は、わたしをずっと騙してたんだね」

「……はい」

「ドリーも知ってたの?わたしのお母さんが……あの人に……」

「すみません、メルティーユ様……。私は、ロート・レーゲンの諜報員エージェントです。組織の命により、あの館のメイドとしてブラウに仕え、組織に情報と近況を伝達していました」

「ロート・レーゲン?……諜報員……って?」


 聞き覚えの無い単語に、メルティーユは顔を上げてドリーを見つめる。

ドリーは目を伏せると、頷いて続けた。

「私とここにいるレオナルド様は、ロート・レーゲンという反国家勢力レジスタンスの一員なのです」

「えっ?」

 反国家勢力。それは、温室育ちのメルティーユにとって、馴染みのない言葉だった。彼女はミラディア王国の歴史のほんの触り程度しか、教育を受けていない。首を傾げるメルティーユを見たレオナルドは短く息を吐くと、壁にもたれかかったまま語った。


「この国は腐ってやがる。体制を変えない以上、ラギオンとの因縁は終わらねえ。国民がみな平等に平和に生活するなんざ、夢のまた夢ってことだ。この村もそうだが、王都周辺都市以外で生活する貧困層は、みな明日をも知れねえ命だからな。お前も知っているだろ、メルティーユ。安全圏を一歩出れば、夜盗や強盗、浮浪者が溢れ返ってる。……おまけに場所によっては、ラギオンが放った魔獣に襲撃される可能性がある」

「そんな……」


――戦争。夜盗。貧困により心身喪失した浮浪者。獰猛な魔獣。さらには王国に対立する反国家勢力レジスタンスまで登場し、メルティーユの心は状況を整理できなかった。まさか、ずっと憧れ続けた外の世界がこれほど危険と隣り合わせで、謀略と悪意に塗り固められていたなんて。

 隔離されたお屋敷でぬくぬくと生活していた自分は、どれほど安全で果報者で、恵まれていたのか。――そして、一体どれほど憐れで非力な存在だったのか。

「じゃあ、ドリーとレオナルドさんは……その組織ロート・レーゲンに、これから戻るつもりなんですか?」

「はい。メルティーユ様は私たちが保護し、ブラウ一味から必ず、お守り致します」

 ドリーはきっぱりと言いきった。その力強い口調と鋭い視線に、メルティーユはどきりとする。幼少期から身近で世話を焼いてくれた女性が、初めて見せる女諜報員レジスタンスの顔だった。

「あのブラウは、何の目的でわたしやナディ、アンナを保護していたの?」

 それは、メルティーユが今すぐにでも知りたいと願う核心だ。しかし、同時に真実を突きつけられるのが酷く恐ろしい。記憶の蓋が開き、母親の死の真相を知った今、自分がこれまであのブラウと同居していた事実そのものが、メルティーユを苛んでいた。ドリーが静かに唇を開く。


「ブラウは、王都・ラパンを拠点に活動する宗教機関“リラ・クランツ”の聖職者プリースト普段は王都でミラディア国民を導き、信徒の教育や布教、さらに式典などの業務を行っています。しかし、聖職者として機関に属しながら、あのひとは独自に魔法研究に没頭していました。それが、魔法複製人形レプリカント研究なのです」

 それは、箱馬車で移動中にレオナルドの口からも聞いた言葉だった。

メルティーユが壁際のレオナルドへ視線を移すと、彼は腕組みをしたまま口を開く。


魔製道具ソーサラーツールはお前も知っているだろうが、魔力……

或いは魔法石スペルストーンを内蔵することで誰でも魔法を扱える道具、それが魔製道具だ。一方、魔法複製人形レプリカントは文字通り、魔力を込めた人形を意味している。元々は隣国・ラギオンに対抗するため国が内密に研究を進めていた、戦闘兵器の一種さ」

「戦闘……」

「ああ、戦争となれば兵士が必要になる。だが、徴兵にも限度があるだろ。ましてやラギオンとやり合うには、強靭な軍隊が必要だ。生身の人間じゃ勝てない。そこで、国のお偉いさん方は使い捨ての駒を量産する計画を立てたってことだ」


 いつの間にか、メルティーユの両手は膝の上でぎゅっと拳を握っていた。次々ともたらされる情報に混乱は募る一方だ。ゆっくり食事を摂る気分になど、到底なれない。

 レオナルドの説明をまとめると、ブラウは王都の宗教機関リラ・クランツの一員で、普段は聖職者として役目を果たしながら、秘密裏にあの館で魔法研究を進めていた事になる。しかし、それでは一体何故、自分たちはあの館に軟禁されていたのだろう。メルティーユにはブラウの目論見が、いまいち理解できなかった。


「魔法の研究に、なぜわたしたちが必要なんですか?」


 握りしめた拳に力をこめ、メルティーユは質問を投げかける。レオナルドの視線は真っ直ぐに、メルティーユに注がれていた。


「より精巧な人形を創るため、だろう」

「え……」


 レオナルドの顔を見上げたものの、言葉の意味が即座に飲み込めない。

正面に座るドリーは、小さく首を振って言った。 


「これまで王都の研究機関では、人形ドールボディを鉱石や貴金属で成形していました。人形の核に魔術師ウィザードたちが魔力を込めることで、動かしていたのです。ですが、やはり人形は微調整が難しく、記憶できる指令にも限りがありました。軍事利用する為には、より精巧で人間に近い魔法複製人形レプリカントが必要だったのです……」

「ハッ、ここまできたら、下手な誤魔化しは無意味だろ。魔力の高い人間を器にし、最強の魔法複製人形を創る――これが、イカれた計画の全貌ってワケだ」


「……人間を、人形に……?」


 その刹那、メルティーユの全身に鳥肌がたった。認めたくはないものの、ここまでの話の流れからすれば、否が応にも察しがついてしまう。


「わたしは……ナディやアンナは……。人形にされるために、連れて来られたんですか?そんなことのために、十年以上もお屋敷に閉じ込められて……?」

「メルティーユ様……」

「どうして……?どうして、そんな――……っ」


 ――寒気がする。体の芯から氷みたいに冷え切って、心臓まで凍り付いてしまいそう。

 込み上げてくる怖気に、メルティーユの震えは収まらなかった。怒り、悲しみ、嘆き、憎悪。言葉では言い表せない仄暗い感情が溢れ、ぐちゃぐちゃに潰れてしまいそうになる。ぎゅっと自分の体を抱きしめ、メルティーユは背中を丸めた。

 自由に憧れ大空を羽ばたく鳥のように、いつかは自分もきらきら輝く外の世界で生きる日を夢見ていた。しかし、現実はどこまでも非道にメルティーユを縛りつけようとする。

「どうして、わたしなんですか」

 優秀な魔力の才を持つ人間なら、王都に数多く存在している。それなのに、なぜ農村出身の自分が選ばれたのか、メルティーユには理解できなかった。アンナやナディも条件は同じはず。彼女たち二人も記憶喪失だったが、いずれも孤児だったとブラウは話していた。館にはペットのエルやドリーを除き、同じ年代の少女が三人軟禁されていただけ。なぜ、自分たちが選ばれたのだろう。

 「人形を創る」研究の詳細は不明だが、メルティーユは館にいる間、特にブラウに危害を加えられた記憶がなかった。だからこそ腑に落ちない。あの環境で共同生活を送る意味が、どこにあったというのだろう。

「メルティーユ様……」

 ドリーの表情が、目に見えて曇っている。先ほどの話が正しいのなら、ドリーは始めから間者だった。ブラウと敵対する組織の一員でありながら、長きに渡ってあの歪な共同生活を支え続けていたのだ。

「ドリーは全部分かっていたのに、どうしてこんなこと……。ブラウの命令に、従っていたんでしょ?」

「ええ、そうです。そうすることが、組織のためでしたから」

「なんで……なんでよ……」

 寂しそうに目を細める彼女の仕草は、やはりメイドのドリーそのものだった。メルティーユの瞳から、知らず涙が伝い落ちる。


「お前も、真相が知りたいんだろ。だったら、選択権はねえ。組織ロート・レーゲンに協力しろ」

「……」

 壁から離れたレオナルドが、メルティーユの元へ近づいてくる。

「お前には、まだ隠された秘密が残されている。貴重なサンプルってことだ」

「……っ、レオナルド様!そのような言い方はおやめください……!」

 レオナルドの発言にいち早く反応したのはドリーだった。椅子から立ち上がると、声を荒げて彼を睨みつける。レオナルドは眉間に皺を寄せると、やれやれと溜息をついた。

「このままアイツらのいいようにされて、悔しくないのか?真実を明らかにすることでしかお前は自由になれねえぞ、メルティーユ」


 レオナルドの言葉が、メルティーユの胸に刃のように刺さった。頬から流れ落ちた雫は汚れた木目のテーブルへと広がって、黒い染みをひとつ作った。



 いつの間にか、日が落ちようとしていた。レオナルドは早朝この村を出発し、仲間とはラパンの中間地点の関所で合流するつもりらしい。


 メルティーユは、小屋の窓からぼーっと外を眺めていた。頬を撫ぜる風が、新緑の香りを運んでくる。そこらじゅうに、懐かしい気配があった。家畜の鳴き声に小さな田畑、木の板と藁で造られた平屋。あまりにも自分の故郷に酷似した光景が、メルティーユの胸を締めつける。

 レオナルドたちの話では、こういった農村がミラディア王国の領土の半分を占めているらしい。人々の多くは飢えと病に苦しみ、死と隣り合わせの環境で怯えながら暮らしている。


 もう、あんな悲しみを繰り返したくない――どうして村は燃やされてしまったのか。ブラウはなぜ、図ったようなタイミングであの場に訪れたのか。自分に秘められた魔力については、メルティーユにも心当たりがなかった。それでも、このまま立ち止まっていられない。知りたい。真実を知りたい。そして、わたしはわたし自身を取り戻したい。もう二度と、籠の中の鳥には戻れないのだから……。

 恐怖の奥に眠る真実への欲求が目覚めた時、メルティーユの覚悟は決まった。

「メルティーユ様、ご気分はどうですか?」

「……もう平気。ごめんね、ドリー」

「いいえ……」 

 小屋の中には、ドリーとメルティーユの二人きりだった。レオナルドは念のためにと村を見回っている。反国家勢力レジスタンスの戦闘部隊の一員である彼はいついかなる時も警戒を怠らないのだと、ドリーはメルティーユに語った。

「レオナルド様は、何も召し上がらなくて……。連戦続きでしたし、体調面が心配ですね」

「ドリー。その木の実と水、レオナルドさんに渡してきてもいい?」

「ですが、メルティーユ様にそのようなこと……」

「この近くにいるんでしょう?大丈夫、すぐ戻ってくるね」


 メルティーユは革袋の中に食料と水の入った瓶を詰めると、小屋を出てレオナルドを探すことにした。

 ドリーのいる小屋を離れたかったのは、気持ちの整理が追い付かないからだ。ブラウに研究材料として利用されていた事実もショックだが、ドリーはそのブラウに仕え、全てを知りつつメルティーユ達を欺いていたことになる。


 ――分かってる。ドリーはブラウ《あの人》の味方だった訳じゃない。全部仕事だから、ああするしかなかったんだと思う。でも……本当のことをずっと隠したまま、何食わぬ顔で私たちとずっと暮らしてきたなんて。


 頭では理解できても、心が反発してしまう。ドリーを信じていたからこそ、メルティーユの胸はざわついていた。

「あ……」

 もやもやした物思いを抱えたまま歩いて行くと、村はずれに見晴らしの良い小高い丘があった。一本の大樹がそびえ立ち、村全体を見下ろしているかのようだ。――傘上に広がった枝には、メルティーユが初めて目にする珍しい花が咲いている。幾重もの薄桃色の花弁がひらひらと、メルティーユの足元に舞い落ちた。原っぱを埋め尽くす花びらの絨毯を踏みしめて丘を登ると、大樹の根本には、レオナルドが横たわっていた。


「えっ?レオナルドさん……?!」


 花の絨毯の上で寝息を立てる彼は、自分の体の上に花びらが積もってもお構いなしのようだ。

「うそ。レオナルドさんって、外で昼寝する人だったんだ……?」

 出会って間もない相手だが、これまでの態度を見ていれば彼が普段いかに気を張っているか一目瞭然だ。まさか、レオナルドさんがこんなに無防備に眠る人だったんて……。驚きと戸惑いの狭間で揺れつつ、メルティーユは彼の傍にしゃがみこんだ。

「すー……すー……」

「……起こさない方がいい、よね」

 鋭い眼差しが目蓋で覆われると、寝顔は意外にもあどけなかった。花の頭に花弁を載せたレオナルドが呼吸するたび、それらもふわふわ舞い踊る。


 ――いつもはあんなにむすっとした人が、花びらをかぶってお昼寝なんて。


 なんだか滑稽でおかしくて、メルティーユはくすりと笑みをこぼした。無意識に彼の前髪に落ちた花びらを払おうと手を伸ばした――その時。


「……、サラ……」

「……え……?」


 レオナルドの唇が微かに動き、誰かの名前を呼んでいた。メルティーユはハッとして、レオナルドの顔を凝視する。だが、それきり声は聴こえず、再び健やかな寝息が漏れ始めた。


 いま、サラって言った……?不意に耳にした姉の名前に、メルティーユの鼓動が早鐘を打った。聞き間違いか、偶然か。しかし、確かめようにもレオナルドが眠っている以上はどうすることもできない。革袋を提げたまま、その場を立ち去ろうとすると――。


「――……まて」

「……っ、きゃ……!」


 レオナルドが突然、メルティーユの腕を掴んできた。目が覚めたの?目を丸くするメルティーユを尻目に、レオナルドは押し黙ったまま彼女を自分へと引き寄せた。

「えっ!?な、なんですか……レオナルドさん……っ!?」

 メルティーユはなすすべなく、レオナルドの上になだれこんでしまった。すぐ目前に端正な寝顔が迫って、思わずどきりとする。


 一体なんでこんなことに?寝ぼけてるの!?内心パニックのメルティーユだが、レオナルドは彼女の腰元に腕を回したまま、すやすや眠り続けていた。

「も、もしかしてレオナルドさんって、ものすごく寝起き悪いの……?は、離してくださいっ」

 温室育ちで男性経験のないメルティーユにとって、急な抱擁は心臓に悪すぎる。みるみる頬に熱が集まり、羞恥のあまりレオナルドを直視できなかった。 

 動けないメルティーユは力なくレオナルドの胸に顔を埋める、すると。


「ん……?」

「…………!」

「なにしてんだ、お前……?」

「ひゃ……っ、あ、あの……」


 突然起き上がったレオナルドは、あたふたするメルティーユの耳元に平然と囁く。そして、けろっとした顔で腕から解放した。

「はっ。まさか同衾でもしにきたか?残念だが、ガキを相手にする趣味はねーんだよ」

「……っ!?なっ、なっ、な……あなたが寝ぼけて、勝手に抱きしめてきたくせに……っ!ちょっとは良い人かと思ってたのに――信じられない!最低です!」

「お、おい」


 ――最悪!やっぱりただのイヤな人だった!


 全身燃えるように熱くなったメルティーユは、怒りで大声を上げると持参した革袋をレオナルドに放り投げ、急ぎ足で丘を下りて行った。取り残されたレオナルドは、革袋の中身を確認し後ろ頭をかく。


「誰かが近づいて来ようもんなら、一発で目は覚める筈なんだがな。アイツが戻ってきたのかと思った……」


 薄桃色の花びらが降りしきる中、彼の独白は風の音に紛れ消えていった。


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