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~第一章 赫いカナリア~ 幕間 後編

 「お爺さん、これ下さいな!」

 アンナという名の少女は、自由奔放で快活な娘でした。地べたに直接敷布を引き、目元以外を口布で覆った高齢の露天商に、臆することなく声をかけています。白髪の老人が取り扱う商品は何れも舶来品と見られ、ミラディアではおよそ見る機会の無い珍しい骨董品や調度品、アンティークの小物と宝石、更には瓶詰の如何わしい薬品まで、無造作に並べられていました。

 当時のミラディアは敵国ラギオンと一時休戦状態ではあるものの、水面化ではいつ戦争が始まってもおかしくない膠着状態が続いておりました。


 国境付近での内戦は絶えず貿易は規制され、十分な物資が国民に行き渡らない状況だったのです。しかし、そんな緊迫状態であっても王都ラパンと国の重鎮、一部の魔術師ウィザード聖職者プリーストには十分に備蓄された食料と物資が支給され、彼らの懐と生活環境常は潤っていました。


 いつの時代も、国に搾取され苦汁をなめさせられるのは、力ない一般市民――私はこの耐えがたい不条理を、決して看過できません。たとえこの身が奈落に墜ちようと。祖国に対する、裏切り行為と解っていても……。

 両国間の争いが止まらない以上、私たちの子孫が犠牲になる未来しか望めないでしょう。機関ロート・レーゲンはまず、私利私欲に塗れたミラディアの王政を粛正すべきと考えました。

 上層部を根こそぎ一掃しない限り、腐敗した国家は変わりません。

 幼い少女の未来が、汚い大人の手によって摘み取られ踏みにじられる。

見目麗しい利発な少女アンナの運命も等しく――。


「お爺さん!ありがとっ」

 アンナは人懐っこい笑顔と天性の愛敬で露天商に気に入られ、アンティーク・ドールを半額で購入しました。スカートの裾を持ち上げてちょこんとお辞儀する礼節は、ブラウの教育の賜物でしょうか。

 ブラウの思惑がどうであれ、あの男が少女に一般教養を身に付けさせ、丁重に匿っている点だけは唯一の救いでした。

 少なくとも、ミラディアの貧困層のように奴隷扱いは受けていない証拠です。


 その後のアンナは軽い足取りでステップを踏みながら、露店を冷かして回っていました。腕に白い陶磁器のアンティークドールを抱え、ぴょこぴょことポニーテールを揺らしながら。


 私は少女の後を追いながら、一瞬の隙を待ち続けます。幸い、ブラウの付き人にも買い物の予定があったのか、商人とのやり取りで数分程、アンナから視線が外れました。

 そして、ついにその決定的瞬間が訪れます。


「きゃあっ?」

「この小童が!無礼を働きおって……!」

「いた……っ、ご、ごめんなさい」


 往来に男の罵声が轟いた刹那、アンナは突き飛ばされ地面に尻餅をついていました。私は目を見張り、野次馬に紛れて様子を窺います。


「私はアルベストの魔術師ウィザードであるぞ!貴様ごときの一般小市民が、高貴なる我が身に危害を加える等、言語道断!然るべき処断を受けて貰う」

「……っ、そんな、アタシ……。ちょっとぶつかっちゃっただけで……。そんな、つもりじゃ……」

 アルベストとは国王直属の魔術師部隊であり、国の治安を守るために存在している国家組織の一つです。選ばれた魔術師で構成され、国内の紛争を収めたり、法に則り罪人の処断を執り行っています。

 しかし、階級クラスごとにその役割は異なり、下級階級には力と地位を過信して己の意のまま振る舞う不届き者も、一定数存在しています。


 往来で無力な少女を罵るこの魔術師も、例外なくその類であると一目瞭然です。しかし、国民は魔術師に逆らう術を持ちません。ミラディアでは魔力の有無や身分による差別が横行しており、力ない一般人は彼らに怯えて暮らすより他に無いのです。


 王都ですらこの有様ですから、国境沿いの小さな農村の貧困層が、生涯奴隷や下僕として扱われるのは、避けようがありません。私自身が両親を失い、孤児となったように。


「やだ、痛い……!離してぇ……」

 アンナは大柄な魔術師に腕を掴まれ、強引に引き上げられました。この段階になって漸く、ブラウの付き人が異変に気付いた様子です。人通りの多い往来であれば、万一は起こらないと軽視していたのでしょうか。あるいはブラウから少女の監視を指示されて慣れており、油断していたのかもしれません。いついかなる時も監視対象から目を逸らさないのは道理。

 しかし、あの付き人の振る舞いには警戒心や危機管理能力が備わっているとは到底思えません。

 元々あの男は、アンナという少女に興味関心がないのでしょう。ブラウは聖職者として多くの崇拝者を抱えていますが、その中には金や名誉目的で付き従う者も存在します。つまり、ブラウは彼らの主人ではありますが、あくまで利害が一致した共生関係に過ぎません。

 人間とは己の利益と欲を追求する生き物です。彼らの様な生き方はある意味で正しいのでしょう。しかし、必要最低限の仕事以外拒否する怠慢は、私にとって軽蔑の対象でした。


 いよいよアンナがアルベストに危害を加えられる瀬戸際に、野次馬をかき分けた付き人が駆け寄る姿が視界の端に映りました。

 ですが――それより先に私は人波を縫って移動し、魔術師の前へ立ち塞がったのです。


 暗歩あんぽ――この足さばきは私が師匠に叩きこまれた、組織で生き残る術。暗殺技術の一種です。死角を突いて影を縫うように移動し、相手が反射する数秒先に対象へと肉薄、急所に一太刀を浴びせる。

 これは、天が私に与えた最初で最後のチャンスだと感じました。


「グッ……なんだ!?貴様……いつの間に……!?」

 国家魔術師と言えど、接近戦においては素人同然。この距離で即座に肉弾戦に持ち込めば此方に分があります。

 案の定、死角を突かれ胸元に暗器を突きつけられた魔術師は態勢を崩し、その隙にアンナは解放され、地面へ放り出されました。


「……っ、ぁ……」

 彼女は驚き目を丸くしたまま硬直し、私を見上げています。恐怖で声も出ないのでしょう。私は「逃げなさい」と一言告げて、魔術師ウィザードを睨みつけました。

「誇り高きアルベストの魔術師様でありながら、年端のいかない非力な少女に手を挙げるのはいかがなものでしょう?」

「……なっ、何だと?貴様は私に意見するのか?我らアルベストに狼藉を働くという事は即ち、国家への反逆罪だ!!罪人を裁くのは当然の義務だろう!」

「なんと傲慢で、浅ましい思考か……」

「貴様ッ!?……グッ……」

 私は怒りに奥歯を噛みしめ左胸に突き立てた切っ先を、男の黒装束に食い込ませました。横一文字に裂けた布の隙間から、一滴の血が滲み朱に染まります。男はたじろぎ後退したものの、好機を逃す程私は愚鈍ではありません。

 間髪入れず暗歩で男の背後へ先回りすると、相手が振り返った瞬間に再び暗器を構え踏み込みました。

 血相を変えた魔術師は、魔法で抵抗しようと左手のひらを広げ突き出します。装備した腕輪に魔法石スペルストーンを組み込ませ、それを触媒に魔法を繰り出す魔術師なのでしょう。

 この国では才ある魔術師とはいえ、魔法石の補助なしで魔法を駆使できる者は多くありません。それほどの実力を持つ希代の魔術師は、アルベストの幹部陣のみと言えましょう。

 幹部クラス相手ならいざ知らず、一般的な魔術師となれば多少の対処はできます。一歩も引かず、魔法が発動する一瞬の隙を狙い身構えていたその時――、


「そこまでだ!」

「……ッ、は……っ、ケラー様!?な、何故……?とてもケラー様直々に巡回なさるような場所では……」

 いきり立つ魔術師の肩を抑え、制する人物が現れました。彼は男をいさめると、私に視線を移します。目が合った刹那、底知れぬ畏怖で背筋に悪寒が走りました。

「ほう。君は僕が休憩中に市場を散策する自由すら、不要だとでも言うのかな?」

「いっ、いえ……!け、決してそのようなことは……」

「下がれ。これ以上アルベルトの名を穢し、国民を悪戯に脅かすつもりならば僕が許さない」

「は……ハッ!」

 悠然とした立ち振る舞いと、有無を言わさぬ重圧プレッシャー。私は即座に、ケラーというこの人物が魔術師部隊アルベルトの幹部陣と察し、暗器を収めたのです。


「状況は、この場の親愛なる蒼氓そうぼう達から聞いたよ。我が配下の無礼を、どうか許して欲しい」

「いえ……」

「貴女がいなければ、無実の少女が傷つけられるところだった」


 アルベルト幹部・ケラーは、金の前髪の下に覗く荘厳な紫苑の瞳で、私を値踏みするように見つめていました。

 物腰穏やかで礼儀正しく、口調は至極丁寧で麗しい。ローブの腕章が逞しい肩口と裏腹に、中性的な美貌を持つ紳士でした。

 しかし、瞳の奥に何故かゾッとするほどに、深閑な敵意を感じるのです。


「本当に、先ほどの動きは見事だったよ。下級階級の一般魔術師とはいえ、アルベルトを前に一歩も引かず、正義の為に立ち向かう、その心意気は素晴らしい。更にはあの洗練された体術。思わず見惚れてしまったよ。……君は、一体何者なのだろうか?」


 私は唇が上手く開かず、そっと息を呑み込みました。直接手を下さずとも、気配のみで人を制御できる。ケラーにはそんな才覚と圧倒的な権威がありました。

 組織の任務の為とはいえ、私の判断は確かに冷静では無かった。原因は、理解しているつもりです。私はあのアンナという少女に、入れ込み過ぎてしまっただけ。大人に利用され飼い殺される不自由な少女に、同情と親近感を抱いていたのは否めません。結果として、想定外に悪目立ちしすぎてしまった。

 まさか、アルベルトの幹部陣までもが登場する事態になろうとは。


「ブラウさまっ!あの人、あのおねーさんですっ」

「っ……」


 野次馬の輪に囲まれてケラーと向き合う私の耳に、聞き覚えのある少女の声が届きました。心臓が跳ね上がり、額を脂汗が伝い落ちます。

「アタシを助けてくれた人!」


「お騒がせして申し訳ありません、ケラー殿。その女性は私の部下です。幾らミラディアが平穏とはいえ、幼い子供の一人歩きは物騒でしょう?アンナの護衛の為、同行するようにと命じていたのです」

「……!」

 アンナの屈託ない言葉に続き、私が耳にしたのはブラウの淡々とした虚言でした。

「有難う、流石は私の自慢の部下だ。――お前がいてくれてよかった」


 その後の展開は、最早この場で語るまでもありません。


あの男は――ブラウはあの瞬間から、私の主になっていたのですから。

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