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~第一章 赫いカナリア~ 第十話 魔法の正体 後編

 ひんやりと頬を刺す冷気に身を震わせ、メルティーユはその場でじっと息を殺していた。


 先程まで荒々しく降り注いでいた水鉄砲は、滝壺の魚人類から距離を空けたことで小癪状態となり、一先ず最大の山場は乗り切った。とはいえ、奴は獲物が付近にいる限り執念深く鎌を振るうらしく、ドリーは魔法結界を緩めることができない。味方が深手を負った中、未だ一行の危機的状態は続いていた。


 レオナルドの言うように、渓谷の大橋は目と鼻の先だった。元々は村人が王都・ラパンへの移動手段として利用していた“イル渓谷”だが、滝や林間に魔物が生息しており、魔法や武芸の心得が無い一般人は、おいそれと侵入できる場所ではなくなった。

 橋は全長八十五メートル程の長さがあり、眼下には清流が滾滾と流れている。橋幅は狭く、人とすれ違うだけの十分なスペースがない為に一列に並んで渡る必要があるだろう。また、足場は簡易的な板しかなく、風に煽られかなり揺れが激しかった。


 万が一、この橋を進んでいる最中に敵や魔物に襲われでもしたら、落下して命を落とす可能性もある。橋の上で刺客を振り切ろうとするのは、余りにリスクが大きいだろう。この場で行く手を阻む敵――アンナを仕留めない限りは、メルティーユたちに逃げ場はない。


「うぅっ……」

「ドリー、ドリー……!しっかりして……」

 持参した革袋から水の入った瓶を取り出したメルティーユは、ドリーの傷口を洗って包帯を巻き処置を施したが、患部の出血は止まらなかった。

 メルティーユは止血の為に自分のワンピースの裾を裂き、布をドリーの左足にきつく縛り上げる。

 ――ドリーは衰弱状態の中で、魔法結界を張り続けなくてはならない。自分に戦う力があれば……。メルティーユはドリーをぎゅっと抱きしめて、レオナルドの背中を祈るように見つめた。レオナルドは一歩も引かず、対峙する“刺客アンナ”に狙いを定めている。

 一方、アンナ側からは、メルティーユたちの位置は気取られていないようだ。切り立った岩石の裏手に隠れ、ひたすら気配を殺して沈黙を貫く。


「アルベルトの一味じゃないなら、一体テメエはなんなんだ?所詮はブラウの金魚の糞、失敗作だろうが?」

「……ッ、アンタ――よくも、よくもブラウ様にそんな口を……!」


 場の空気が昏い殺意に支配されたのは、レオナルドがブラウの名前を出した瞬間だった。

 朧気な桃色の光の中、激昂した魔術師の姿がメルティーユの視界に浮かび上がる。艶やかなポニーテールの黒髪が風に靡き、ふわりと飛翔した彼女は水飛沫をかまいたちで切り伏せながら、レオナルドに肉薄した。


「――ハッ、図星かよ……」

「……あの方を侮辱する輩は、アタシが全員この手でなぶり殺してやるから……ッ!!」

 ダガーナイフがレオナルドの喉元に突きつけれようとした刹那、レオナルドは双剣を抜き放ちアンナをけん制する。

 風を起こしふわりと身をひるがえしたアンナは、顔色一つ変えず瞳に殺意を滾らせたまま、再び空中へと舞い上がった。

「グッ……、ギャアァッ」

「ちっ、邪魔……。雑魚は引っ込んでな!」

 アンナは周囲に風の渦を張り巡らせて水弾を弾き飛ばし、自分とレオナルドに横やりを入れる魚人類へ敵意を向けた。今の彼女の標的は、ブラウを侮辱したレオナルドのみ。目的を阻む目障りな魚人類を、先に排除するつもりのようだ。


 メルティーユはどくどく暴れる心臓を抑えつけながら、彼女とレオナルドの攻防戦を見守っていた。

 かまいたちの刃は、アンナがくるりくるりと空中で宙返りする度に魚人めがけて一閃、また一閃と突き刺さる。

 鎌のごとく鋭利なヒレから放たれる水鉄砲は、魚人類の武器であり身を守る防具だ。接近する者を遠ざけつつ、自分は滝壺という安全地帯から一切移動しないまま、じわじわと獲物をなぶり衰弱させる。

 しかし、好戦的なアンナに対し、魚人類の隠れ蓑戦法は通じるはずもなかった。

 つむじ風とローブの裾をひらりと躍らせながら、まるでステップを踏むように弾丸を回避していくアンナ。恐れを知らず、水弾の雨を切り抜ける彼女の身には未だ傷一つついていなかった。

「…グガッ…?」

 砲弾に怯むどころか蜘蛛の巣を縫うように攻撃を避け続けるアンナの姿を見て、魚人類に焦燥が生まれる。両ビレを先ほどよりも素早く回転させ、咆哮を上げながら連撃を放った。

 しかし、常人ではかわしきれない量の水弾を投げつけようとも、風の防壁を駆使するアンナには届かない。

「アハハ……ッ、陸地じゃあ生きてもいけない非力な下等種族の分際でさァ……!二度とアタシの前に現れるなよっ!!」

 彼女は夥しい量の水弾を、最早避けようともしていなかった。つむじ風の障壁を厚くして自身が竜巻へ代わり、魚人へと衝突したのだ。

「……ッ、アァッ!?」

 いくら優れた体躯を持つ魚人類でも、直接自身の懐に飛び込まれる事態は想定外だったに違いない。

 反応が遅れ、二本の鎌がぴたりと制止した。この僅かな好機をアンナは逃さない。身に纏った風を鋭い凶器に変化させ、体を一回転させながら無数の刃で魚人の上半身を細切れに切り刻んだ。


「……ほらァ……はやく、はやく死んじゃえぇッ!」

「……ッ……!?グゥ、ハッ……」 


 肉がひしゃげ血飛沫が飛び散る生々しい音と共に、魚人は断末魔すら上げる間もなく絶命し、滝壺へ消えていった。

「……っ」

 余りにも残酷な殺戮行為に、メルティーユは思わず目を背けた。ドリーは微かな声で「あの魔物を……一人で……」と呟き、眉根を寄せ瞼を閉じる。

 一方、滝壺に沈んだ魚人に興味が失せたのか、アンナは口元の返り血をぺろりと舌先で舐めとって、レオナルドへと向き直る。


「これで邪魔モノは片付けたね。次はアンタだ。でも、アンタはさっきの魔物みたいに簡単には殺してやらない。ブラウ様を侮辱した下種野郎は、絶対に許さないから……!」

「口を開けばブラウ様ブラウ様ってウルセェんだよ、クソアマ。……お前はあの男の命令がなけりゃ、自分で何もできねーのか?」

「……っ、な……」

「世間知らずの箱入り娘が。ほんの少し魔力がある程度で、イキってんじゃねえよ」

「……アタシは……ッ、ブラウ様は絶対なのよ……!!」


 メルティーユは身震いしつつ、別人のように激昂するアンナを注視していた。

 思い起こせば、蔦みどろの館で別れた際も、アンナは涼しい顔で家族を襲撃した。ドリィに大怪我を負わせ、メルティーユの命を狙い、悪びれもせず殺戮を愉しみ嘲笑を浮かべていた。

 ――しかし、同時にメルティーユは、アンナのもう一つの側面を誰よりも理解している。家族として暮らしていた頃、アンナは明るく朗らかで、誰より優しい少女だった。だからこそ、アンナの変化を受け入れられない自分がいる。     一体何故、アンナはここまで変わってしまったのだろう。

「みぃ……」

「大丈夫。大丈夫だからね……」

 肩に載った小動物が、不安そうな鳴き声を上げる。メルティーユはそっとその白い頭に触れると、手のひらで柔らかく撫でるのだった。



「肉を引き裂いて、骨を砕いて――たっぷり生き地獄を味わわせてあげる……!」

「チッ……、ちょこまかと……」

 レオナルドの双剣は、奔放に飛び回るアンナを中々捕えることができずにいた。アンナは風を自在に操り、巧みにかまいたちの刃でレオナルドを襲撃するため、距離を詰めることができない。


 レオナルドの身を守るものは彼の類まれな動体視力と剣技、そしてドリーの魔法結界だ。しかし、ドリーの体力は当に限界を迎え、障壁は薄くなり今にも消えかかっている。防ぎ切れなかった水弾は、レオナルドが剣の切っ先で振り落とし、岩や木々の間を利用し身を潜めることで回避していた。


「アッハハハ!隠れん坊でもするつもりィ?無駄よッ!!」

 アンナは高笑いしながら、レオナルドが身を潜める場所に突風の刃を連射する。木々を抉り、岩を砕く魔法の威力は、メルティーユが以前ブラウの屋敷で目撃した時よりも、格段に精度が上がっていた。


「チッ」

 レオナルドは跳躍しながら風の刃を逃れ、二本の双剣の剣圧で衝撃派を放ち、アンナの風刃に対抗する。

 魔法を使えないレオナルドが、剣技のみで風刃を相殺するのは至難の業だが、彼はアンナ相手に一歩も引かず、メルティーユとドリーからアンナを遠ざけるべく動いていた。

「ドリー……」

 膝の上で浅い呼吸を繰り返すドリーの体温が、徐々に下がっていることにメルティーユは気がついた。にも拘らず、抱きしめて手を握り、ただ励ますことしかできない自分に苛立ちと嫌悪が募る。

 でも――……。


 その時。とくんと、メルティーユの心臓の奥で何かが動く気配があった。

それは箱馬車の襲撃事件の際に、自分の内側から溢れ出したあの、あたたくてしなやかな“何者か”の気配だった。


「アハハ……ッ!アンタ、口ほどでもないじゃん!」

「……!」

 アンナの魔力は魚人類との戦いの後にも拘らず、未だ枯渇していなかった。それどころか、四方八方から押し寄せる攻撃を唯一人で受けなくてはならないレオナルドの方が、ジリジリと追い詰められていく。 

 彼の剣戟は接近戦なら敵知らずといえるものの、遠距離戦では分が悪かった。

 二本の剣を振りかぶって放つ衝撃波は連発できる技ではなく、打った瞬間に隙が生じるリスクもあり、それだけではアンナの魔法を防ぎきれない。相殺できたとしても、防御が精一杯という膠着状態だ。


「生きてることを後悔するほど、いたぶって殺してあげる……!」

 アンナが旋風を起こしレオナルドが僅かに体勢を崩しその隙に、死角から襲来した風刃の連撃が、レオナルドが左手に構えていた剣を弾き飛ばした。


「ふふっ、あははは!まずはどこから切断されたい?剣を振るうその逞しい両腕かしら?それとも、アタシの攻撃からちょこまか隠れて逃げ惑う、ご自慢の脚からァ……?」

「……ッ、てめぇ……」

 いくら反国国家組織ロート・レーゲントップクラスの剣客であるレオナルドでも、魚人の水鉄砲とアンナの攻撃を前線で受け続け消耗した状態では、体力気力共に底を尽いてもおかしくない。

「……っ」

 メルティーは全身から血の気が失せ、意識が遠のくような恐怖を感じた。


――レオナルドさんが、死ぬ……?


 レオナルドだけではなく、腕の中で静かな呼吸をしているドリーも。メルティーユの肩に抱きついて震えている、小さな命も。


 既にドリーが意識を失った為か、レオナルドを守っていた魔法結界は完全に消失した。その上、二刀流による攻防一体の剣技が強みのレオナルドが、既に一本武器を失った状態。

 アンナは舌なめずりをして冷笑を浮かべ、つむじ風の鎧を纏いつつレオナルドに高速で衝突した。

「ぐァ……ッ」

 レオナルドは剣を構え直し衝撃を分散しようとしたものの、支えきれずに体が水中へ放り出される。

 荒々しい水飛沫が打ち上がり、メルティーユの肉眼ではレオナルドの姿は確認できなくなっていた。


「……レオナルドさん……!」


「ウフフッ!安心してよ、溺死なんてさせないから。それじゃあ余りにも呆気ないじゃない?アンタに味わせる苦しみは、こんなモンじゃないから――。さ、早く出てきなさいな、剣客さん!」

 容赦なくいたぶり、苦痛を与え、じわじわと生命力を奪う。アンナは言葉通り、抵抗できなくなるまでレオナルドを痛めつけ、メルティーユの目の前で殺そうとしていた。

 レオナルドの剣は、川べりの平たい岩石の隙間に突き刺さっている。水中に放り出された彼は今、丸腰の状態だろう。水中から上がってきても、武器がなくては到底アンナに対抗できるはずがない。


 アンナはけたけた笑いながら、沈んだレオナルドを煽るように川を見下ろしていた。

「魚人類じゃないんだから、水中じゃ息できないでしょォ?あと何分持つのかしらぁ?……アハハッ!」


 メルティーユの心臓は早鐘を打ち、最悪の事態を想像して全身がカタカタ唸った。すると、ドリーがゆっくりと腕を持ち上げ、メルティーユの頬にそっと触れた。


「……げて、メルティーユ様」

「え……?」

「逃げてください、今のうちに……。あなただけでも……」

「な……にいってるの、ドリー?」

「組織には、レオナルド様が、伝令を飛ばしています……。だから、メルティーユ様だけでも、生きてここを……脱出できれば……。ロート・レーゲンが、あなたを……保護して、くれます……」

「……っ」

「……あなたは、生き延びて……」


 その言葉を告げると、氷のようなドリーの手のひらが、するりと岩の上に落ちた。


――逃げる?わたしだけ……?そんなの、そんなことできない……。


 ざわざわと、夜の渓谷が揺れる。薄く淡い花びらのような光が降り注ぐ中、メルティーユは自分の体と心が乖離していくような――不安定な感覚と、身の内から湧き上がる衝動を堪えていた。

「がは……っ」

「ふ、そうよ、そうこなくちゃ……!そんな無様な格好で、どうやってアタシを殺すつもりなのか見せてみなさいよ……!みっともなく悪あがきして、命乞いしてご覧なさい!!あは、アハハハッ」


 アンナは勝利を確信し、浮き上がってきたレオナルドを挑発していた。恐らくは川べりまで彼が辿り着いた瞬間に、風の魔法で再び水中に叩きつけるつもりなのだろう。

 最後まで自分を庇いながら、ドリーもレオナルドも力尽きていく。最悪の光景が脳裏によぎった時、 メルティーユの体は反射的に動き出していた。

 この先のことなんてもう、彼女の頭の中にはない。

――最後まで戦ってくれた二人のためにわたしができるのは、自分だけが逃げることでも、生き延びることでもない……!

 ドリーを岩陰に寝かせ、肩に乗せた小さな動物をその場に下ろすと、メルティーユは残された力全てを振り絞って岩間までひた走った。レオナルドの剣が、突き刺さっている地点まで。

 その間にも、レオナルドは川べりまで泳ぎ戻ろうとしている。アンナの視線はレオナルド《ターゲット》に釘付けで、未だメルティーユには気づいていなかった。彼女は元々直情的で一途。一つのモノに夢中になると他に目が向かないタイプだと、メルティーユもよく知っていた。彼女の目をかいくぐれるとしたら、今この時しかない。

 息を切らせ走り、長身の剣の柄が見えて来ると、メルティーユは両手でしっかりと握りしめ、一呼吸を入れてから一思いに引き抜いた。

「……うっ……!」

 せめて、レオナルドさんに剣を届けたい。魔術師相手に丸腰の状態では、太刀打ちどころか首を差し出しに行くようなものだ。僅かでも可能性があるのなら、自分にできることをしたい。

 無力な籠の中の鳥で終わるくらいなら――せめて今だけでも、レオナルドの役に立ちたい。メルティーユが覚悟を決めて武器を引き抜くのと、レオナルドが川から上がったのは同時だった。

「……ねえ、剣客さん?武器も持たない今のアンタに何ができるのぉ?泣き喚いてブラウ様への侮辱を謝罪したら、少しは長生きさせてあげてもいいのよ?ブラウ様、大変申し訳ありませんでしたって、誠心誠意謝罪しなさいよ!ホラ!」

 アンナは膝をついたまま激しく咽ぶレオナルドを見下ろし、彼の頭を掴み上げる。

――メルティーユの心は、驚くほど静かだった。一点の躊躇いもなく、ただ腹の底から声を張り上げ、無防備なアンナの背中めがけて走り寄った。


「うあああああぁ……!!」

「……っ?」


 生まれて初めてメルティーユの中に生まれた殺意と信念が、レオナルドの剣を通してアンナへと突き刺さった。


「く……ァッ……、アンタ……」

「はぁ……はぁ……」


 彼女の背に真っ直ぐ突き立てられた刀身は、花瓣はなびら蛍光虫の光に照らされ夜の闇に浮き上がる。白いローブにみるみる赤い染みが滲み広がって、アンナはその場にがくりと崩れ落ちた。


「………メルティーユ……ッ……」


 メルティーユはその場に尻餅をつき、ブルブルと震える自分の手のひらをただ愕然と見つめている。アンナは目を見開いてメルティーユを凝視したが、想定以上の深手なのかその場から動かなかった。


「……助かった、メルティーユ」

「……うっ、うぅ……」


 レオナルドは立ち上がって倒れたアンナの背後に回ると、メルティーユの頭をくしゃりとひと撫でした。柔らかく耳に落ちる彼の声を聴いた刹那、メルティーユの瞳から、大粒の涙が溢れ返った。


「俺をいたぶり殺したいんだったな、魔術師サンよ……。残念だが、今から拷問されるのはお前だ……!」

「がはっ……」


 レオナルドがアンナの背中から剣を引き抜く。びしゃりと鮮血が噴き出し、周囲を真紅の血だまりが穢した。

 メルティーユの震えは収まらず、行き場のない感情がただひたすら涙となって流れ落ちるだけだ。


「簡単には殺さねぇよ、安心しな。お前は何の目的で、どうして俺を狙った?言え」

「……ふ、誰が、アンタみたいな薄汚い剣客に、アタシとブラウ様の目的を……話す、もんですか……」

「あ?」

 レオナルドは剣の切っ先をうつ伏せに倒れたアンナの頭部に突きつけた。だが、アンナは酷薄な笑みを浮かべたまま、レオナルドを上目に睨みつける。

「アタシは、死ねない……。まだ……。ブラウ様のために……」

「……――なっ」


 そして、次の瞬間だった。アンナの体が突如、目も開けていられないほど眩い閃光に包まれたのだ。ドリーの魔法結界に酷使した光だが、メルティーユにはその白い輝きに見覚えがあった。


「……ブラウの、魔法……?」


 ブラウは蔦みどろの館全体に魔法結界を張り、侵入者から屋敷を守っていた。何人たりとも館に近づけぬよう厳重に包み込まれた光のバリアの中では、たとえ館の住人であろうと自由に出入りができない。

 つまり、今のアンナは術者以外は誰も手出しできない状態だ。レオナルドはチッと舌打ちをした。


「次は必ず、アタシがこの手で、殺してやるから――。ブラウ様の敵は、全て……!」

「……アンナ……」


 光が収束してゆくと同時に、アンナの姿も渦中に溶け込み消えていく。血に濡れた彼女は最後に敵意と憎悪を滲ませた眼差しを、メルティーユに向けていた。


「アンナ、どうして……?こんなの……うっ」


 アンナを――愛する家族を傷つけたくはなかった。

例え事情があろうとも、もうあの頃には時間が巻き戻らなくても。いつの日かもう一度、アンナやドリィと家族として打ち解けられる日がくるようにと、メルティーユは願っていたのだ。


 そして今日、その淡い願いが完全に打ち砕かれた。


「怪我はないか」

「いいえ……。わたしは、だいじょうぶ、です」


 レオナルドに声をかけられ我に返ると、血だまりに倒れていたアンナの姿はどこにもなかった。レオナルドはため息を吐き「結界と転送を組み合わせた魔法だろう」と説明を付け加えてから、ドリーの元へと歩き出す。メルティーユもまた、頬の雫を拭ってから彼の後を追いかけた。


 零れる涙は止まっても、手にこびり付いた生々しい感触と血の匂いは、いつまでも消えてくれなかった。

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