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~第一章 赫いカナリア~ 第十一話 漆黒の瞳に映るモノ 中編

 ブラウという「家族」、そして新たな生き甲斐を見つけたアンナは見違えるほど利発な少女となり、元々文字書きもできない下女だったとは思えない成長を遂げた。知能指数が生まれつき高く「魔力の才以上に多くの可能性を秘めた原石だ」と、ブラウも彼女を絶賛した。


 敬愛するブラウ様と共に、家族として永遠に暮らせるのなら――。


 アンナにとってそれは今までの人生の苦痛すら忘れられる程、身に余る幸福に感じられた。しかし、約束された安寧は、アンナが屋敷に引き取られたひと月後に、綻びを見せ始める。

「っ、ブラウ様……!ブラウ様……、血が……!どうして、そんな怪我を……?」

「……大丈夫だ。アンナ、心配はいらない」

「で、でも……っ!血が……たくさん……」


 ――それはサーズの月、半ばを過ぎた頃だった。

ブラウが、左脚を負傷して蔦みどろの館に帰還したのだ。普段、アンナは身の回りの世話をするブラウの側近数名と共同生活を送っていたが、ブラウは毎週必ず「用事」で王都に外出する日が決まっていた。


 ブラウは用事の内容をアンナに説明しなかったが、主人の予定を予測できたアンナは、留守中側近たちと盤上遊戯に興じたり、花壇の世話に励むなど、年相応の少女として何不自由なく過ごしていた。


 アンナは「現在いま以上の生活」を更々望んではいなかった。たとえ館に軟禁されて、自分が匿われた理由が一向に明かされていなくても、だ。スケジュール通りに日常が管理され、二度と外の世界には出られないとしても、構わないとさえ思っていた。


――アタシはもう二度と、醜く穢れた下女には戻りたくない。今のこの生活が本当にしあわせで、夢のようだから。一生このままブラウ様と、このお屋敷だけあればいい。ずっと、ずぅっと……。アタシの居場所は、未来永劫ここだけでいいから。


 盲目的にブラウを慕うアンナは「生きる意味」をブラウに見出した直後だった。そんな中で主人が大怪我を負い、膝をつく姿を見てしまっては冷静でいられなかった。

「ブラウ様……あァどうしよう……!どうし、どうしたら……アタシ、アタシ……っ、うぅ、ハァ……ハァ……ブラウ様が、死んじゃったら……アタシは……ッ、アタシはまた下女に逆戻りだ……!ああ、いや、イヤッ……!」

「アンナ!アンナ、落ち着きなさい」


 玄関から広間に戻ったブラウを一目見て、アンナは血相を変えて取り乱した。ひゅーひゅーと呼吸音を漏らし肩を小刻みに震わせながら、両手で頭を抱てしゃがみ込んでいる。双眸は血走り、涙が滲んでいた。

「ブラウ様、アンナ様!どうされましたか?」

「ああ、すまない。私の怪我は大したことはない。既に治癒魔法ヒーリングは施したから、数日もすれば完治するだろう。それよりも、アンナが“例の発作”を起こしたようだから、急ぎ鎮静剤を。部屋に送り届けてくれないか」

「またですか。あれからまだ、一週間も経っていないと思いましたが……。かしこまりました。アンナ様、さあ……気を確かに!」


 ブラウとアンナに気づいた数名の側近の内、一人がアンナの腕を引いて立ち上がらせた。その間もアンナは絶叫を上げ、狂ったようにブラウの名を呼び続けている。

「あの子の才は確かだが、精神面での懸念は残るな。このまま研究を進めて良いものか……。否、目的のためには今更、引くことなど叶わないがな」

「ブラウ様……」


 ブラウは側近の手を借りて床を立ち上がると、患部に片手を翳して呪文スペルを唱えた。純白のローブに染みを作る傷口は、今では殆ど塞がっている。自嘲混じりの笑みを零した聖職者プリーストは、側近に肩を借りながら自室へと戻って行った。



 ――アンナの“発作”が始まったのは、蔦みどろの館で生活を始めひと月が過ぎた頃からだった。最初のきっかけは、とるに足りない些細な出来事。ブラウに花壇の植物について指導を受けていたアンナが、うっかり植木鉢を取り落とし、割ってしまった時だった。


「きゃ……」

「アンナ、怪我はないかい?」

「ごめんなさい。……ブラウさま、ほほにケガを……。血が、出てる……!」

「ああ、破片が飛んだんだろうね。単なるかすり傷だよ。それより、アンナはなんともないか?」

「あ……イヤ……。ごめんなさい、アタシ、アタシのせいで……ブラウ様が、けが……ほほから、血、血が……あ、あぁ……!」

「アンナ?」

 ブラウは飛散した破片で微かに皮膚を切った程度だったが、アンナは悲鳴を上げその場に崩れ落ちた。植木鉢の破片の上に膝をつき、我を忘れて泣きじゃくり始めたのだ。

 ブラウが即座に彼女を横抱きにしても、発作は一向に鎮まらない。このまま暴れては体力と気力を消耗すると判断したブラウは、地下室にアンナを運び込み、側近の手を借りて彼女を寝台に横たわらせた。

「ブラウ様、これは“兆し”の症状でしょうか?そうだとすれば、我々にとっては僥倖ですが……」

「いや、恐らく精神的な要因だろう。“兆し”とは関係ない。魔法の発現ならば魔力を感じる筈だからな。そのまま、アンナを拘束しておいてくれ」

「ハッ」

「いやあぁ……ッ、離して……!はなしてぇ……!ブラウ様、ぶらうさま――……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!わるい子でごめんなさいっ、アタシを捨てないで……おねがい、おねがい……。アタシ、もっといい子になるから、ちゃんと命令に、したがうから……。だから……っ」


 アンナは頭上で両手首を縛られた上、側近に足首を抑えつけられた状態で発狂していた。ジタバタと藻掻き苦しみ、悲痛な声でブラウに許しを乞うている。


「アタシをぶたないで……!失望しないで……おねがい……!」

「大丈夫だ。アンナ、私の声が聴こえるか?……安心して休みなさい」

「……あ、あぁ……」


 ブラウはアンナに諭すように囁きながら、ガラス瓶と試験官が保管された戸棚を開き、ダークブルーの液体の入った小瓶を一つ取り出した。実験台上の注射針を注射器に手際よく取り付けると、瓶の蓋を外し注射器を垂直に立て、針の尖端を液体につける。陰圧状態で液体を一定量吸入すると、注射器を持ったままアンナの傍らに立った。


「……」


 注射器の液体は“忘却草”の成分を配合した鎮静剤だった。ブラウの手で注射を打たれたアンナは数秒で意識を失い、先ほどの狂乱が嘘のように鎮まり、すやすや寝息を立て始めた。一部始終見守っていた側近は、アンナの足首から手を離して安堵の息を吐く。


「今後も発作が起こる可能性があるだろう。私が館にいない場合、この薬品棚189番の薬剤を、アンナに投与するように」

「はい、ブラウ様」

「これで症状が治まってくれればいいが……」

「アンナ様の発作は、精神疾患の一種でしょうか?」

「断言はできないが、ね。魔法の才を持つ者は幼くして“兆し”に悩まされるケースがあるが、アンナの場合まだ発現は見られない」


 ブラウがアンナを匿った、本人にも明かされていない真の理由。

それはアンナの「魔力」の素質を、ブラウが高く買っていたからだった。アンナは異国――それも、東洋の血を引く類まれな少女。東洋の国・エスペラ出身の純エスぺラ人は、雇われ奴隷としてミラディア人に見下されているが、実際はミラディア人より優れた知能と魔力を備えている点を、ブラウは知識として熟知していたのだ。


 ミラディア人の多くはプライドが高く、自国民以外を軽視する性質を元来持っている。それはミラディアの戦乱の歴史が物語っているが、元々「魔力に優れた選ばれし国民」であるという自負が、より排他的な思想を助長させたのだろう。そこに加えて魔力を崇拝する宗教が広まって、国民はたちまち洗脳されていった。

 魔力こそが至高。魔法こそが正義。魔法があれば不可能はない――すなわち、魔力の才を持って生まれた者こそが、天に選ばれた上級国民なのだ、と。


 そして、国民の選別と階級制度が始まった。この階級制度は国家が国民を管理し制圧する為に非常に有効であり、才ある者と血筋の良い者は富と地位が約束されるが、それ以外の一般市民と貧困層は延々と搾取され続け、虐げられる結果を招いた。


「ふ、……全くもって、愚かしい――」

「ブラウ様……?何か仰りましたか?」

「いや」


 寝台で寝息を立てるアンナの寝顔を見つめ、ブラウはひとりでに呟いた。その抑揚ない声音から彼の本意を悟る者は、誰一人としていなかった。



 アンナの発作と魔力の“兆し”に関連性はないと判断したブラウは、研究を円滑に進める為、アンナとより一層絆を深めようと試みた。

 エスぺラ人の血は必ず「魔法複製人形レプリカント研究」に成果をもたらす。ブラウにとってアンナは貴重なサンプルであり、夢を実現させる希望の光だった。

 目的の為ならば、少女の心を利用することも厭わない。まずは、アンナから絶対の信頼を獲得し、指示を忠実に守る“実験体”に仕立てあげる必要があった。


 発病から半年後――アンナの発作回数は投薬で落ち着いていたが、心理的な負担とストレスが要因と判断したブラウは、アンナに一層目をかけるようになった。アンナはブラウと長時間離れたり、その身に危機が及びそうになると自制心を失ってパニック症状を引き起こす。すなわち、彼女の深層心理には「ブラウを失うかもしれない」「見捨てられるかもしれない」といった恐怖と不安が、常に蔓延っているのだろう。


 下女として礼遇を受け、仕える主人から手ひどい扱いを受けてきたアンナ。その心が一朝一夕に開けないと悟り、ブラウは改めて「計画」を立て直した。


「ブラウ様。もうケガしたり、危ないことしたりしない?アタシ、ブラウ様がいなくなったら何もできないよ」

「アンナ、安心しなさい。大切な家族のお前を残して消えるはずがないだろう?お前は私にとって、特別な存在なのだからね」

「とくべつ……?こんなアタシでも、ブラウ様の役に立てるの?」

「ああ、お前は私の希望だ。私の夢を叶えてくれる――宝物だよ」


 ブラウは自室にアンナを招いて休憩時間を過ごしたり、彼女が不安になる夜は一つの寝台で夜を明かした。添い寝だけに飽き足らず、アンナが好む物資や玩具は惜しみなく与え、実の親子以上の優しさをアンナに対して注ぎ続けた。


――それがたとえ、ハリボテの“虚像あいじょう”に過ぎなかったとしても……。


 ブラウは自分の大義のためなら、手段を問わない男だった。端麗な容姿と物腰の穏やかさ。更に聖職者としての話術と知識を駆使すれば、年端もいかない少女の心を掌握するのは造作もないことだろう。

 アンナと着実に信頼関係を積み上げた結果、二人の間にはやがて強固で歪な絆が、形成されていくことになる。


 アンナはブラウに“実の親子以上の感情”を抱くようになった。それは幼い少女が初めて知った「恋」という感情だ。ブラウはつぶさに、アンナの心境の変化を感じ取っていた。そしてこの感情を利用して、彼女の魔力を目覚めさせようと目論みをたてる。


「“兆し”を発現させるには、被験者が過度な身体的、精神的な負担を感じるか、心理的な強い抑圧が必要だ。だからこそ私は、アンナの“兆し”を発現させるため、この環境を利用しているんだよ」

「存じ上げております。実際、魔術師ウィザードの大半が“兆し”の発現前に、肉体及び精神に極度のショックを受けていた、という調査結果がありますからね。その上、兆しは多くの場合、本人には制御できないと報告されています」

「ある瞬間を皮切りとして、突如目覚める才覚……。当然、他者にも干渉することができないものだ。それが例え、優れた魔術師であっても、ね。――兆しはまさに、奇跡の産物といって良いだろう。“女神イリアーヌ”から我々人類が授かった、類まれなる福音という訳だ。しかし、世間には自分の魔力の才を知らず“兆し”を発現できないまま、一生を終える人間が非常に多い。特に、王都で教育を受けられない貧困層の中には、より優れた才能を秘めた子供がいるケースもある。……アンナのようにね。私の夢に必要な魔術師を育成するには、生まれや血筋だけに囚われず、才覚ある子供たちを管理する必要があるんだよ」


 地下室で側近に朗々と語るブラウの瞳は、恍惚とした煌めきを放っていた。ブラウは「魔法複製人形レプリカント計画」の第一歩としてアンナを保護し、更に目を付けた他の子供ターゲット達への接触を、同時に試みようとしていた。 


「アンナ、おいで」

「ブラウさま……。最近アタシと、あまりお話してくれない……。また、魔法の研究で忙しいの?」

「はは、すまない。けれど、これは私の仕事なんだ。……分かってくれるかい?」

「……うん……。わかってる。ブラウ様はアタシたちのために、毎日働いているんだもんね。それに、新しい家族もふえたし。会える時間が減って寂しいけど……。ブラウ様は、ずっとアタシと一緒にいてくれるよね?ちゃんと、ここに帰ってきてくれるよね?」

「ああ、もちろんだ。アンナと女中のドリー、そしてこの館で働く側近たちは、私の大切な家族だからね。けれど、私が一番大切に想っているのはお前だ、アンナ。お前を置いて私がいなくなることはないから、安心しなさい。研究が落ち着いた暁には、二人で過ごす時間を作ると約束するよ。今度は市場ではなく、海に出かけよう。アンナは船に乗りたいと言っていただろう?」

「ほんとう!?ふふ、嬉しい!……アタシ、ブラウ様のコト信じてる……ずっと……待ってる」


 寝台の上でブラウの胸に顔を埋めるアンナは、小さな猫のように身を丸めて瞼を閉じた。鎮静剤が効いているのか発作は落ち着き、以前のように取り乱す回数も減ってきている。ブラウはアンナの後ろ髪を優しい手つきで撫でながら、一つ溜息を吐いた。


 ――今のところ、彼女ドリーに不審な動きは見られない。しかし、どう考えてもあの立ち振る舞いは素人ではないだろう。


 王都・ラパンで偶然知り合い、アンナを国王直属の魔術師部隊・アルベストから救ったドリーの腕を買ったブラウは、彼女を屋敷へと誘った。

 ドリーは自分の身分を「東南の名もなき貧しい村の出身で、家族のために出稼ぎにきている」と明かしたが、それ以上の理由はブラウには語らなかった。

 また、護身術や魔法の知識があるのは「夜盗や盗賊から家族を守る為に、武術の心得がある父親に教わったから」と本人から申告を受けたが、その確たる証拠はなかった。ブラウは当然ドリーを警戒していたが、それ以上に彼女の能力を高く評価し、利用しようと思い至った。


 ――この屋敷にいる以上、そう簡単に脱出はできない。監視の目は常にある故、不要になれば始末するのも容易いことだ。アンナもドリーを気に入っている様だし、他者と同居することで感情形成に良い影響を及ぼす可能性がある。研究を円滑に進める為に、利用できる駒は利用させてもらおう。


 ブラウはドリーを自分の女中として雇い、六歳になったアンナには身の回りの世話をする新しい「家族」だと説明した。

 ブラウ以外の家族がいなかったアンナは目を輝かせて喜び、あっという間にドリーに懐いた。母のように温かく、姉のように優しいドリーを慕い、館で共に菓子作りをしたり食事を摂ったりと、実の親子のような時間を共有していった。

「今日ね、ブラウ様が言ってたの。もうすぐお休みがあるから、アタシを海に連れってくれるって!知ってる、ドリー?王都の港には大きな船があるの!アタシ、海が大好きだから、すっごく楽しみなんだ」

「そうですか……。楽しんでいらしてくださいね」

「……うん!……ねえ、ドリー。ドリーは楽しい?」

「はい?」

「……ううん、なんか。ドリーってあんまり、笑わないから」

「……」

「なんか、ドリーって昔のアタシ、みたい」

「アンナ様……?」

「アタシ、このお屋敷に来る前はそうだったんだ。笑い方も泣き方も、ぜんぶ忘れてた……。生きているのか死んでいるのか、自分でもわかんないくらい。えへへ」

 アンナはドリーに心を開いていたが、ドリーは蔦みどろの館で同居を始めても、常に顔色と態度を変えなかった。アンナの世話を甲斐甲斐しく焼き、ブラウの指示を忠実に守る彼女は、アンナにとっては理想的な女中で大切な「家族」の一員だ。しかし、ドリー本人にとっては違うのではないかと、アンナはどこかで寂しさを感じていたのだ。

 ドリーは小さく首を振って、柔和に微笑みながら言った。


「安心して下さい。……私は幸せ、ですから」

「本当に?」

「ええ。このお屋敷の女中になれたことは、本当に幸運です。もし、王都で仕事が見つからなければ私の家族は全員、助からなかったでしょうから……。ブラウ様とアンナ様には、心から感謝しています」

「……ねえ、ドリー。ドリーは本当の家族と、離れ離れなんだよね?」

「……はい」

「いつか、会えるの?お仕事をがんばれば会える?お金が必要なんでしょう?アタシがブラウ様に頼んであげよっか?」


 アンナの無垢で真摯な質問は、ドリーの凍て付いた心の扉を抉るに十分すぎる牙だった。ドリーは軽く瞼を伏せ、それから「いいえ」と呟いた。


「アンナ様のお気持ちはとても嬉しいですが、私はブラウ様から充分な給金を頂いております。ですから、どうぞお気になさらずに」

「うん。他にも手伝えることがあったら、何でも言ってよね」

「はい」

「――アタシたちだって、このお屋敷の“家族”なんだから!」


 ドリーが思わずアンナを抱きしめると、アンナは嬉しそうに笑いながら、ドリーの背中に腕を回した。自分の胸にすっぽり収まる小柄な少女は、ブラウの手によって幽閉され「何か」の目的に利用されているのだ。

 それを承知の上で指を咥えたままブラウを監視しなくてはならない身の上を、ドリーは密かに呪い続けていた。


 ブラウ、アンナ、ドリー……。三者三様の想いと思惑が複雑に絡み合ったまま悲劇の夜へのカウントダウンが始まるのだった。


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