「前回だけではありません! その前もその前も、千尋様は鏡をお持ちではありませんでした!」
「そうでしたか?」
「はい!」
楽はそう言ってじっと千尋を見上げてくる。そんな楽を見て千尋は微笑んで言う。
「今回の方は少し心配な事があるのです。万が一何かが起こったら、先方の家に申し訳が立ちませんから」
「そ、そんな訳ありの方なのですか?」
「訳ありと言うと語弊がありますね。とにかく鏡は持っていきます。それではそろそろ出ますね」
「はい。行ってらっしゃいませ」
千尋が外套を羽織ると、楽は扉を開いて千尋が出るのを待ってくれる。どうやら楽は本気でこの家で執事をするつもりのようだ。
「お久しぶりです、千尋さま! 地上でのお勤めご苦労さまです!」
「ええ、お久しぶりです。いつも手間をかけますね」
「手間だなんてとんでもない! さぁ、こちらです。皆様、既にお待ちかねですよ!」
千尋が仕事の会合などでよく利用する店に到着すると、待っていたと言わんばかりに馴染みの店主が千尋を個室に案内してくれた。
案内されたのは店内の端っこの一番目立たない個室だ。
「すみません、遅れました」
千尋がそう言って引き戸を開けると、一番に声をかけてきたのは流星の運命の番の息吹だ。
複数の人と番関係を結ぶのが一般的な龍にしては珍しい、互いにたった一人しか番を持っていない、大変貴重な二人である。
「千尋! 遅かったな! 久しぶり!」
息吹は真っ白な髪を下ろしっぱなしにして、相変わらず口調が雑い。それでも龍人の中ではトップクラスの美人だった。整った顔立ちの流星とはお似合いだと巷では評判だ。
「あなたは相変わらず元気ですね。お久しぶりです」
「千尋くん、着替えるのに何時間かかるの? 俺たちの事忘れてるのかと思った」
「すみません」
まさか鈴が作ってくれた弁当をのんきに食べていたとは言えず千尋がお茶を濁すと、息吹の後ろから龍人にしては小柄な初がひょっこりと顔を出した。
「お久しぶりです、初」
息吹の背中に隠れるようにしてこちらを見上げる初に千尋が笑いかけると、初は何故か悲しそうな顔をしている。
「……千尋……少しやつれた?」
初は千尋を上から下まで眺めて、何故か目に涙を溜めながら言う。そんな初に千尋はゆっくりと首を振る。
「そうですか? そんな事は無いと思いますが」
久しぶりに会ったというのにそんな感想しか無いのかと思う反面、千尋も懐かしいとしか思わなくて思わず苦笑いを浮かべる。
そんな千尋にさらに初は言う。
「ううん、絶対にやつれた。可哀想……人間界は龍にはやっぱり合わないんだわ」
どうしても千尋は人間界で過ごす事によってやつれたのだと思い込みたいのか、初はこちらの話など聞いてはくれない。
こうなると初はどんどん悲観的になっていくので、千尋は話題を変えるべく地上で買った土産を取り出した。
「結構楽しいですけどね、人間界も。そうだ、忘れる前に皆さんにお渡ししておきますね。はい、これが流星のです」
そう言って千尋は持っていた袋から和紙に包まれた箱を流星に渡す。流星はそれを受け取って訝しげに千尋を見てきた。
「これ何? 千尋くんが何かくれるなんて、怖いんだけど」
「怖いというのは心外ですね。私だってたまには贈り物をしますよ。これは息吹に。そしてこれが初に」
「おー、ありがとな! 開けてもいいか?」
「もちろん」
千尋が答えるよりも前に息吹はガサガサと和紙を破ろうとした所を、神経質な流星に止められる。
「息吹、貸して。君がやると無駄にゴミが出るから」
「ありがと!」
「相変わらず仲良しですね」
いつまでも微笑ましい二人を見て千尋が微笑むと、流星と息吹は二人してじっとこちらを見てくる。
「千尋くんはもう少し俺たちを見習った方が良い」
「そうだな。それは本当にそうだぞ、千尋。お前がそんなだから皆がいっつも心配する羽目になるんだからな?」
「これでも他の人達とは差をつけているつもりなんですけどね。初、私が開けましょうか?」
「え? あ、ありがとう」
こんな事を千尋の方から言い出すのはとても珍しい事だ。きっと初もそう思ったのだろう。ポカンと口を開いて切れ長の目を丸くする。
「いいえ、どういたしまして」
そう言って包を丁寧に開けて中の箱を初に渡すと、初は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「千尋が何かくれるのは初めてじゃない?」
「そうでしたか?」
「そうよ! 私の誕生日さえ覚えていなような人なんだもの!」
「それは……反省しています」
素直にそんな事を言う千尋を見て友人たちは驚いた顔をしているが、千尋は心の中では全く別の事を考えていた。