何だか初の言葉は今の千尋の全てを否定しているようで千尋は思わず苦笑いしてしまった。そんな初に向かいに座っていた流星が嗜める。
「初、それは千尋くんに失礼なんじゃない? 慣れなくても自分の罪を償う為に頑張ってるんだから、そういう言い方はどうかと思うけど」
「そうだぞ、初。それに千尋はどっからどう見ても至って健康だし、むしろ前回より肌艶も良いだろうが。さては地上で良い物食ってんな!?」
ニヤニヤと笑ってそんな事を言う息吹に場が少しだけ和む。
「最近は洋食が日本にも入って来始めたんですよ」
「洋食? ああ、海外の料理か! 何だ、お前の所の料理人は洋食も作れるのか?」
「いえ、彼は日本食専門ですが、街に出れば洋食を出すお店は増えてきましたよ」
初の前であまり鈴の話はしない方が良い。
争い事が嫌いな事なかれ主義の千尋はこういう空気には敏感だ。無駄に初の機嫌を損ねてややこしい事になったり、雅のように突っかかられるのも面倒くさい。
「何が美味しい? 海外の料理は俺も興味ある」
「そうですね……とんかつが美味しいですね。それからお菓子なら私はパウンドケーキが好きです」
「へぇ! いいな、あたしも食べてみたいな! なぁ? 初」
「そう? 私はいいわ。人間の料理はどうも口に合わないの」
「初は本当に人間が嫌いだよな。前はそこまででも無かった気がするけど」
息吹の言葉に初はツンとそっぽを向いた。
「好き嫌い以前に興味がないの。だって、何もかもが私達より劣るでしょう?」
優生思想が基本のあまりにも龍らしい初の言葉に千尋は少しだけ眉を潜めた。
以前鈴に幼い時に両親から引き離された事を話した時、鈴は泣きそうな顔をしていた。その後、千尋に幸せになって欲しいとまで言ってくれたのは長い人生の中で鈴だけだ。
それを同族ではなく、人間が龍に言ったのだ。あれほどまだ生物としては未成熟だと思っていた人間が。
一見すれば龍神にそんな事を言うのは失礼だと思うかもしれない。実際、今までの花嫁にそんな事は言われた事がないので、やはり鈴が特殊なのだろう。
けれど、あの時の鈴の言葉は少なくとも千尋の心に寄り添うための言葉だった。
「何を以てして優れていると、何と比べて劣っていると決めるのでしょうね?」
「……千尋?」
争いごとが嫌いな千尋が珍しく冷たい声で言うと、部屋の中が静まり返る。
千尋はいつも微笑んでいて感情を表に出す事など無い。恐らく、それが龍の都の共通認識だろう。そんな千尋が眉を潜めてこんな声を出すのはとても珍しい。正直、自分でも驚いている。
「私はかれこれ千年もの年月を地上で過ごしました。私達にとっては千年などすぐです。ですが、地上の生物はそうではありません。ほんの短い一生を過ごすのに最適な進化をし、それぞれが次世代に命を繋ぎます。私は、彼らの方が私達よりも劣っているとはもう思えません」
「へぇ、千尋くんの珍しい本音だ」
千尋の言葉に相当驚いたのか、流星が持っていたお猪口を落とした。息吹も固まっているし、初など物凄い顔で睨みつけてくる。
「千尋はそんな事言わないって思ってた」
「どうしてです?」
「だって、あなたは……いいえ、何でも無い。やっぱり、千尋は地上になんて行くべきじゃなかったのよ」
「ですが、それが私の決めた私への罰です。いくらそれを誰かが嘆いても何も変えるつもりはありません」
「千尋くーん、そういう所だよー」
「そうだぞ、千尋。もうちょっと何か優しく出来ないもんかね?」
二人に言われて千尋が初を見ると、初はすぐさま息吹の後ろに隠れようとする。そんな初を見て千尋はいつも通りに笑顔を浮かべて謝った。
「すみません、言い過ぎてしまいましたね」
「……ええ」
鼻をすすってそんな事を言う初は全然大丈夫では無さそうだが、それを慰めようとまでは思わない。これ以上揉めるのが嫌でとりあえず謝ったが、だからと言って考えを改めようとは思わなかったからだ。
それと同時に、何故か今無性に雅に、喜兵衛に、弥七に……鈴に会いたかった。
♥
大晦日、鈴は既に居間で船を漕いでいた。
「鈴!」
「はっ!? 寝てません!」
突然の雅の声に鈴はハッとして顔を上げると、目の前でニヤニヤしながら雅がこちらを見ている。
「いや、寝てたよ」
「寝てません!」
「強情だねぇ。ほら、喜兵衛が甘酒持ってきてくれたよ。もうちょっと薪足すかい?」
「俺らは大丈夫だけど、あんたは寒いだろ? 取ってくるよ」
「いえ! 私は半纏があるので大丈夫です。寒いのでわざわざ出なくていいですよ」
鈴が笑いながら着ていた半纏を指さすと、弥七はそんな鈴を見て肩を竦めて笑う。