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第86話

「もうすぐ年越しそば食べるので、それ食べてから寝てくださいね、鈴さん」

「寝ません!」

「はは、いや、寝てください。もう目がほとんど開いてませんから」


 必死になって目を開こうとする鈴に雅も喜兵衛も弥七も笑う。


 去年の年末はこの時間には蔵の中で寒さに震えながら痛みと戦っていたが、今年はまだ千尋の治療が効いているのか、どこも痛まない。


「うぅ……思っていたよりも徹夜って過酷なんですね……」

「そうだよ。徹夜ってのは一朝一夕で出来るもんじゃないんだ。厳しい訓練を乗り越えて、ようやく出来るようになるんだよ。あたしみたいになるには、今のあんたじゃ無理だね」


 真剣な顔でそんな事を言う雅に鈴も真顔で頷くと、横から喜兵衛が熱い甘酒を淹れながら言う。


「姉さん、ただの徹夜をさも凄いことのように言うのは止めてくださいよ。それに姉さんは一晩起きてたって思い切り昼寝するじゃないですか」

「むしろ仕事サボって寝てたりしてる気がする」

「う、うるさいな! 猫は元々夜行性なんだから仕方ないだろ! 昼は眠くて仕方ないんだ!」


 三人の言い合いに鈴も思わず笑ってしまう。それと同時に、ここにもしも千尋が居たらどうだったのだろう? と考える。


 きっと、千尋も三人の会話をお酒でも飲みながら笑顔で聞いているのだろう。


「来年は千尋さまも一緒に過ごせたらいいな」


 ボソリと鈴が言うと、雅が身を乗り出してきた。


「それは千尋が聞いたら喜ぶだろうね。きっとたっかい酒とか買ってくるんだよ」

「では私は来年までにもっとおせちの練習をしないといけませんね。今のままでは喜兵衛さんの足手まといになってしまいます」

「そんな事無いですよ! 鈴さんは十分に手伝ってくれました。飾り切りも凄く上達しましたよね」

「本当ですか? それは嬉しいです!」


 鈴が手を合わせて喜ぶと、そんな鈴に弥七も言う。


「器用だよな、あんた基本的にさ。何やらせてもそれなりに作るもんな。祠の屋根も良く出来てた」

「あんたもう見に行ったのかい?」


 雅の質問に弥七はコクリと頷いた。


「朱色に塗りたいって言われたから、どれぐらい染料がいるか確認しに行ったんだ。そしたら、案外上手に屋根が修理されてて驚いたんだ」

「へぇ! 自分も明日見に行こうかな」


「あ! 私、明日あの祠に初詣するつもりなんです。良かったら皆さんで行きませんか?」

「あんた本気だったんだね。いいのかい? せっかく外に出られるのに」

「もちろんです! 外に出られるのも嬉しいですが、それよりも私は千尋さまの祠がちゃんと元の姿に戻ってくれた方が嬉しいので」


 長年放置されて朽ちかけていた祠が、少しでも神である千尋の負担を減らしてくれれば良いなと思う。そこまで考えてふとある事を思い出した。


「そう言えば、あの御神体は何だったのですか?」


 あの美しい金色の袋の中に入っていた物こそが千尋の依代なのだろうが、一体中身は何なのだろう? ずっと疑問だった事を三人に尋ねると、三人共首を傾げた。


「何なのでしょう……自分が社に来た時には既にあったので、知らないですね」

「俺もだな。不思議に思った事もなかったしな」

「雅さんは知ってますか?」


 期待を込めて雅を見たが、雅もどうやら分からないらしく、首を捻っている。


「そういや気にした事無かったね。掃除する時にあの袋自体は何度も触ってるんだけど、改めて言われると気になるね」


 言いながら雅はおもむろに懐から年季の入った手鏡を取り出して、何故か鏡に向かって千尋の名前を呼びかけた。


「雅さん、それ何ですか?」

「ん? これは千尋と繋がる不思議な鏡だよ。万が一何かがあった時、こっちから連絡出来ないんじゃ困るからね」

「凄い! それが前に千尋さまが仰っていた連絡手段なんですね!」

「ああ、そうだよ――あ! 千尋、遅いじゃないか」


 雅は鈴に返事をしながら鏡を覗き込んで相変わらず文句を言っているが、鈴からは手鏡に文句を言う雅しか見えないので、何だかその光景が面白い。


『すみません、先程家に戻った所だったんですよ』

「どっか行ってたのかい?」

『ええ。龍の力について調べ物をしていました。それよりもこんな時間にどうかしましたか? まさか鈴さんに何かありました?』

「鈴に? いや? 鈴は元気だよ。ほら」


 雅はそう行って鈴に向かって鏡を見せてきた。鈴が興味本位で身を乗り出して鏡を覗き込むと、そこには何だか既に懐かしい千尋の姿がある。調べ物をしていたというだけあって、髪はまだ解いていないようだ。


 そんな千尋を見て思わず鈴は笑顔を浮かべる。鏡の向こうでは千尋も笑顔を浮かべていた。


「千尋さま!」

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