必死になって言い返した鈴を無視して雅が言う。
「あんた達、鈴が寝落ちたら寝台に運んでもらわなきゃならないんだから、鈴より一秒でも長く起きてるんだよ!」
それを聞いて千尋がわざとらしく顔を顰めて雅を嗜める。
『こら、雅。鈴さん、何も無理して起きていなくて良いのですよ。眠くなったら遠慮なく寝室に戻ってくださいね』
千尋にそんな事を言われて鈴はハッとした。そうだ。無理をしてここで寝てしまったら、喜兵衛か弥七に迷惑がかかってしまう。鈴はコクリと頷いて言った。
「はい、ちゃんと自分で寝室に戻ります。やっぱり私には徹夜はまだ早かったのかもしれません。来年の大晦日までには雅さんのように夜行性になれるよう厳しい訓練をしたいと思います」
『夜行性? 厳しい訓練? 雅、また鈴さんをからかったのですか?』
「か、からかっちゃいないよ! 徹夜の厳しさを教えてやっただけじゃないか。あ! そろそろ年が明けるよ!」
そう言って雅が急いで話を変えた瞬間、大きな振り子時計が日付変更を告げた。重厚なその音に鈴はいつもうっとりと耳を澄ませてしまう。
12回目の音が鳴り終わった途端、千尋と雅、喜兵衛、そして弥七が一斉に声を掛け合った。
「明けましておめでとう! 今年もよろしく」
「おめでとうございます。本年度もよろしくお願いします」
「おめでとう。今年もまぁ、頑張ります」
『明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いしますね』
「あ、えっと、明けましておめでとうございます。至らぬ所もあると思いますが、今年もよろしくお願いします」
年が明けたらまずは挨拶をする。それはイギリスでも同じだ。
けれど日本に来てから新年の挨拶などすっかり忘れていた鈴は、慌てて皆に頭を下げた。
そんな鈴を嗜めるでもなく、千尋は目を細めている。
『雅、連絡をしてきてくれてありがとうございました。私も新年の挨拶に参加出来て嬉しいです』
「そうかい? なら良かったよ。鈴がさ、あんたも居たら楽しかっただろうなって言うからさ、どのみち連絡入れようと思ってたんだ」
『そうでしたか。鈴さん、来年からは私も居ますので、その時はいくら寝落ちても構いませんよ』
「お、落ちません!」
厳しい訓練をして、絶対に徹夜してみせる! 鈴は固い決意をして鏡を覗き込むと、千尋はそんな鈴を見て柔らかく微笑む。
『新年の挨拶も済んだのですから、皆さんあまりはしゃぎすぎないよう、節度を持って過ごしてくださいね』
「は~い。あ! 喜兵衛、そういや年越しそば!」
「しまった! すぐ用意してきます!」
「あ、私もお手伝いしますね! えっと……今からお蕎麦食べるんですか?」
安易に手伝うとは言ったものの、こんな深夜に蕎麦?
『いいですね、年越しそば』
「千尋さまは昨日は何を食べたのですか?」
『私ですか? 私は……そう言えば昨日は何も食べてませんね』
「えっ!? だ、駄目ですよ! ちゃんとご飯は食べてくださいね!」
驚いて思わず鈴が言うと、千尋は苦笑いして頷く。
『一人になるとつい食べるのを忘れてしまっていけませんね。今日から気をつけます。それでは皆さん、楽しい正月を過ごしてください』
「はい! 千尋さまもお正月楽しんでくださいね!」
鈴の言葉に千尋は微笑んでくれた。年末と正月に少しだけれど、千尋にちゃんと挨拶が出来て良かった。
来年、千尋の居る大晦日と正月はきっともっと楽しくなるに違いない。
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千尋は鏡を仕舞った後、外套を羽織って部屋を出た。まだ居間には明かりがついていて、中を覗くとそこには楽が真剣な顔をして何やら書き物をしている。
「楽、こんな時間に何を熱心にしているのですか?」
千尋が後ろから声をかけると、楽は体をビクつかせて振り返り、外套を着ている千尋を見て驚いている。
「さっき戻られたのに、また出かけるのですか!?」
「ええ。何も食べていなかった事を思い出したので」
「そう言えばそうですね。朝から千尋さまはずっと書庫に行ってましたもんね」
千尋の勤めていた都の城の書庫は、龍の都では一番大きな書庫だ。そこにはありとあらゆる書物が納められていて、見つからない本は無いとまで言われていた。
けれど書庫に自由に入る事が出来るのは高官の役職についている者のみで、その為に千尋は法議長になったと言っても過言ではない。
「そうなんです。特別お腹が減ったという訳でもないのですが、鈴さんに叱られてしまったので蕎麦でも食べに行こうかと思いまして」
「し、叱られた!? 千尋さまが人間の女に!?」