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第101話

「それしか考えられないけどね。どんな手使ってくるのか分かんないけど、千尋くんはどのみち刑期を無事に終えるか無罪になるまでこっちには戻って来られる訳ないんだよ。でもさ、この感じだと初は君を無罪にする為に何かをでっちあげそうじゃない?」

「そこまでしますか?」


 ちょっともう初への認識が甘すぎた自分が恥ずかしいほどだが、思わず驚いた千尋に二人は真顔で頷いた。


「好きな奴の為なら何でもしちゃうよ、あれ」

「実際私達だって最初は滅茶苦茶嫌われてたからな! 千尋が私達に仕事の連絡をしょっちゅうしてきてくれてたから仲良くなれたんだよ」

「あなた達もまた利用されたと言うことですか?」

「いや、それはお互い様だから。それにそれを餌にしたのは僕たちだからね」

「なるほど」


 こんな会話をしていると、龍の都に戻ってきたのだなと実感する。だから余計に鈴や雅と話していると楽なのかもしれない。


 高官の職についた日から毎日がこんな会話ばかりだった。誰かを出し抜いたり踏み台にしたり、利用したりされたり、もううんざりしていた所にあの事件である。


 初達が何かを仕組んで千尋に罪を着せたというのなら、今はそれに感謝すらしているぐらいだ。


「私は都を出て良かったです、本当に」

「どうして?」

「でなければ、きっと初と同じようになっていたでしょうから」


 そう言って千尋は買ってきたおにぎりと卵焼きを食べたが、一口食べて箸を置く。


「食べないのか?」


 そんな千尋を見て息吹が不思議そうに言うので、千尋はそっと残りのおにぎりと惣菜を全て息吹の前に押しやった。


「ええ。食べますか?」

「いいのか!? ラッキー!」

「鈴さんのご飯が食べたい?」


 喜ぶ息吹の隣で流星がおかしそうに言うので、千尋は静かに頷いた。


「よく分かりましたね。喜兵衛のだし巻き卵と、鈴さんのとんかつが食べたいです。ああ、高菜と昆布のおにぎりもいいですね」

「毎日美味いもの食べてたんだね、千尋くんは」

「ええ、それはもう」


 そう言って微笑んだ千尋を見て、流星も息吹も呆れたような顔をしている。


 その時だ。楽が青ざめた顔でノックも無しに部屋に何かを握りしめて飛び込んできた。その手には千尋の手鏡が握られている。


「ち、ち、千尋さま!」

「ああ、誰かから通信が入りましたか?」


 調べ物は流石に邪魔されたくなくて部屋に置きっぱなしにしていた鏡だったが、どうやら大晦日振りに連絡が入ったらしい。


 千尋は立ち上がって楽から手鏡を受け取り自室に戻って手鏡を覗き込むと、そこに映し出されていたのは喜兵衛だった。


「喜兵衛?」


 この時点で何か嫌な予感がしていた。喜兵衛の顔は青ざめて唇が震えている。泣いているのか、目まで赤い。何よりこの手鏡を雅以外が使う事など滅多に無い。いや、むしろこれが初めてだ。


『す、鈴さんが――』

「何かあったのですか?」


 喜兵衛の言葉を最後まで聞かずに千尋が手鏡に食らいつく勢いで尋ねると、喜兵衛はガタガタと震えながら目を擦った。


『た、倒れて……意識が、無いんです……』

「え?」


 鈴に何かあったとすれば間違いなく背中の傷だと思いこんでいた千尋は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「どういう……事です? いつものではないのですか?」

『違います! いつもみたいに痛み止めを飲んで、それからすぐに気分が悪いと言ってそのまま……』 


 その言葉を聞いて千尋はピンときた。


「すぐに帰ります。私が戻るまで、出来るだけ胃の中身を吐かせておいてください!」

『は、はい!』


 手鏡の通信を切って千尋はすぐにリビングに戻り、流星を無理やり立たせた。


「流星、一生のお願いです。今すぐ地上への扉を開いてください!」

「……はあ!? なに、急に!」

「説明している暇はないので、これをお渡ししておきます。落ち着いたら連絡を入れるので」


 笑顔を何もかも忘れた千尋を見て、流星は何かを察したように頷いた。


「息吹、ちょっと行ってくるね」

「いや! いやいやいや! 千尋、お前まだ二週間も里帰り残ってるんだぞ!?」

「構いません。知りたい事はもう知れたので。流星、頼みましたよ」


 流星の腕を引っ張り無理やり連れ出そうとする千尋に、流星は困ったように言う。


「分かった分かった! もうほんと人使い荒いんだから! 流石千尋くんだよ!」

「ま、待ってください! 千尋さま! も、もう戻られるのですか!?」

「ええ。楽、すみませんが、屋敷の事頼みましたよ!」

「は、はい……行ってらっしゃいませ……お気をつけて……」


 しょんぼりとした楽に千尋は申し訳無さを感じながらも、いつも鈴にするように楽の頭を撫でて流星と共に屋敷を飛び出した。


 屋敷から地上への扉までは徒歩で10分ほどだ。千尋は珍しく全力疾走で坂を駆け下り、扉に到着するなり息を整える。


「あー、これ処分ものだろうな~」

「すみません。この分の刑期も伸ばしてくれと後で嘆願書を王に送っておきます」

「本当にね! 絶対だからね!? それじゃあ連絡待ってるよ。気をつけて」

「ええ、それでは」


 ゴゴゴ、と音を立てて分厚い扉がゆっくりと開く。その少しの時間さえ惜しくて変身を始めた千尋に後ろから流星の笑い声が聞こえてきた。



 雷鳴と共に里帰り期間を二週間も残して地上に舞い戻った千尋は、一目散に屋敷に向かった。


 気配を辿ると、どこに鈴が居るかがすぐに分かる。その方向に向かって走っていくと、何故か鈴を囲んで雅と見覚えのある少女が言い合いをしていた。菫だ。


 その隣で喜兵衛が水を持って右往左往している。


 そんな光景に珍しく苛ついた千尋は、無理やり二人の間に割り込み冷たい廊下に寝かされたままの鈴の体を無言で抱き上げようとしたが、菫が千尋の袖を掴んで叫んだ。


「触らないでよ! 鈴に触らないで!」


 千尋はその手を振り払い菫を見下ろして言う。


「邪魔です」


 その一言にその場に居た誰もが固まった。思っていたよりもずっと冷たい声が出てしまったが、今はそんな事に構っている場合ではない。


 千尋は鈴を抱きかかえて移動しながら怒鳴った。


「喜兵衛! 鈴さんが薬を飲んだ時の状況を教えてください」

「は、はい! 11時半頃に鈴さんは薬を飲まれていました! それから約20分ぐらいで気分が悪いと言ってお手洗いに向かって、なかなか戻らないので姉さんが見に行ったんです!」

「なるほど、ありがとうございます。雅! あなたはこんな時に何をしているのですか!?」

「っ!」


 千尋に怒鳴られてようやく雅は自分のすべき事を思い出したかのように動き出した。


 千尋はそのまま自室に鈴を運ぶと、寝台の上に寝かせて鈴の体に手を翳す。いつもは清らかな心音が、今はまるで濁った泥水のような音に変わってしまっている。


「心臓まで到達してる……まさか、致死量を飲んだのですか……?」


 千尋は鈴の胸に手を当てて少しずつ力を送り込んだ。弱っている体にいつものように大量の力は送り込めない。もどかしいが、仕方がない。

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