鈴は眠っているし、しばらくは起きないと分かっていてもそうせずにはいられない。これが恋という感情かと一人納得しながら千尋は客室へ向かった。
客室へ行くと、そこには既に全員が固唾をのんで座っていた。
「お待たせしました。それでは説明をお願いします」
「ちょっと待った! あれが毒だったってどういう事なんだい!?」
「あれは毒と漢方を精製して丸薬にした物です。鈴さんは最初、舌や手足の痺れを訴えていませんでしたか?」
「う、訴えていました! でも、蘭さんからの手紙にはそれは好転反応だって書いてあるって……」
「書いてたよ! あたしも見たから間違いない!」
興奮した様子で雅が叫ぶと、千尋はゆっくりと頷く。
「そうでしたか。何かおかしいと思いながらもあの薬を置いていたのは、あの時にはまだ成分まで分からなかったからです。ですが、さきほど鈴さんを浄化していて、ようやく分かりました。巧妙に漢方に隠されていましたが、あれはトリカブトです」
「っ!?」
千尋の言葉に息を呑んだのは雅達だけではない。菫もだ。
「でも何で蘭がそんな……だって、今までの薬も蘭が渡してたんだろ? 鈴は申し訳無いって毎月小遣いのほとんどを薬代にしてたって言ってたよ!? まさか、ずっとこの時のために鈴を信頼させて、とかそういう話なのかい!?」
「雅、落ち着いてください。それをこれから菫さんに聞こうとしているのですよ」
「あ、ああ。ごめん。菫、あんた、何か知ってんだったら全部話しな!」
「姉さん! もう姉さんはちょっと黙っててください! 可哀想に菫さんが怯えているじゃないですか!」
「そうだよ、姉御。菫だったか? ほら、ケーキでも食ってちょっと深呼吸しな」
弥七が菫の前にケーキを押しやると、それまで無言で震えていた菫が少しだけ顔を輝かせた。
「これ、鈴の?」
「ああ。よく分かったな。パウンドケーキだ」
「美味しいのよね、これ……久しぶりに食べるわ」
そう言って菫はパウンドケーキを一口食べて涙をこぼした。そんな菫を見て千尋が声をかける。
「あなたもずっと我慢をしてきたのですね。ここでは何も我慢をしなくて良いですよ。ここには鈴さんの敵は居ませんから安心してください」
「え?」
「街で会ったあの日、あなたは鈴さんを「妹」と表現しました。対して蘭さんは鈴さんを「不肖の娘」だと言いました。どちらが鈴さんを思っているかなんて、すぐに分かると思いませんか? 何よりもあなたの私への敵意が凄かったですからね」
「っ!」
「思わず漏れた本音だったのでしょう。それに毎月鈴さんの薬を用意していたのも、鈴さんに朝食を用意していたのもあなた。違いますか?」
千尋の言葉に菫は黙り込んで小さく頷いた。
「どうして……分かったの。薬とか朝食なんてそんなの誰でも用意出来るのに」
「それは簡単です。優秀な蘭さんと、落ちこぼれの菫さん。そういう情報が入ってきていましたから」
「お、落ちこぼれ!? す、鈴が言ったの!?」
「いいえ。今回の話を佐伯家に持ちかける前に調べたのですよ。昨今の女学校は家庭科の授業もあるそうですね? そんな学校で優秀だと言われている方の作るおにぎりが歪な筈がない。ましてや殻入りの卵焼きを作るはずもないですよね?」
「……そ、それは……」
「薬に関してはただの勘です。あなたから薬品の香りがしているので。あなたは今日、ここに鈴さんのお薬を持ってきてくれたのですよね?」
千尋の言葉にとうとう菫は観念したように頷くと、懐からいつも鈴が持っている薬袋を取り出す。
「そうよ……あの子はこの時期になったらほとんど毎日薬を飲むの。絶対に無くなってると思って急いで持ってきたのよ」
「ここで新しく買ってもらっているとは考えなかったのですか?」
「考えたけど、あの子の性格的にもしもまだ背中の怪我の事を言い出せて無かったらどうしようって思って……それで」
そう言って菫は膝の上で拳を握りしめている。
「あんた……何だい、あんたも鈴と同じぐらい馬鹿な子だね! どうしてそんな回りくどい事してたんだい!」
「雅、それはきっと深い事情があったのだと思いますよ。そうですね? 菫さん」
「ええ。鈴の怪我はもう知ってるんでしょ?」
「ええ、知っています。かなり大きな怪我ですね」
「そうよ。あの怪我で鈴は死にかけたの。私を庇って……あの子は死にかけたのよ!」
何かを思い出したのか、突然菫は声を荒らげた。そんな様子に雅は驚いて口をあんぐりと開けているが、何となく千尋には分かっていた。
「普通、何かが倒れて来たら人は咄嗟にそれを止めようと前を向くか避けようとします。けれど、鈴さんの傷は背中にある。あれほどの大きな怪我を負う事故で気づかず振り向かなかった訳がない。それなのに背中に傷があるという事は、背中を向けた状態で事故に遭ったという事です。それは誰かを庇ったとしか思えません。あなた達は一緒に遊んでいたか何かをしていたのでしょう?」
「ええ……お人形遊びをしてたの。私、鈴が大好きで、本当に大好きで、あの子が引き取られてきた時はお人形さんみたいな妹が出来たんだって単純に喜んでたの。毎日鈴を連れ回して、お揃いの着物を父にねだったりして……でも、それをあの人はよく思ってなかった。それであの人は鈴の愚痴を蘭にいつも話してたみたいなの。だからあの日も……」
そこまで言って突然菫が口を噤み小刻みに指先を震わせる。それを抑えるかのようにお茶を一口飲んで深呼吸をした。
「あの事故の少し前に父は鈴の部屋を作るって屋敷の立て増しを頼んでいたの。その為の資材が私達の遊び場に置いてあった。そこで私達はいつも通り遊んでた。そうしたら突然ガタンって音がして、顔を上げようとしたら鈴が私を思い切り押したの。私は足を挟まれて、鈴はそのまま資材の下敷きになって見えなくなってた。私は驚いて鈴の名前を呼んだけど鈴は返事してくれなくて、その代わりに資材の下から血が流れてきて……もうどうしたら良いのか分からなくなって呆然としてたら、笑い声が聞こえたの。倒れてきた資材の向こうから、蘭の笑い声がした。その時は一体何が起こったのか分からなくて、気づいたら私は泣き叫んでて、大工の人達が私達に気づいて助けてくれた。病院に運ばれてそれから鈴は……記憶を失ってた。佐伯家に来た時から事故までの記憶が、ほとんど無くなってしまってたのよ」
「あなたと仲が良かった事も?」
「……ええ」
苦しそうにどうにか絞り出した菫の声には、沢山の感情が含まれていた。寂しさや怒り、悔しさ、それらがごちゃまぜになったような声に思わず千尋も胸が傷む。
「その時の事を、父は私に執拗に聞いてきた。あの人が私に思い出させるのは可哀想だって止めても、父は何度も何度も聞いてきた。だから私は正直に話したわ。全部、蘭の事も全部よ。そうしたら父は涙を浮かべて「そうか」って言って……鈴を蔵に住まわせる事になったの」
「どうしてです? 普通は保護しませんか?」