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第105話

「ですが、それしか鈴さんの寿命を延ばす方法が無いのですよ」

「そうなのかい? だからってあんた、人間と龍の婚姻って……いや、案外あるな?」

「そうなんですよ。意外とありました。そして結構上手くいってます。ただねぇ、そうなると私は法議長の仕事を止める羽目になるでしょうし、あまり楽はさせてあげられないかもしれません」


 そう言って千尋がため息を落とすと、それに関しては雅が笑う。


「いやいや鈴だよ? あいつは贅沢とかそういうのとは無縁だよ。むしろその方が良いんじゃないか――じゃなくて! 大前提が抜けてるんだ! そんなね、寿命伸ばすためだけに婚姻を結ぶなんてありえないだろ!? って言ってんだよ! 愛が何かも分からないような奴に鈴を嫁がせる訳――」

「愛していますよ」

「へ?」

「だから、愛していますよ、私は鈴さんを」


 雅の言葉を遮った千尋のセリフにとうとう雅が口をポカンと開いた。そんな様子がおかしくて思わず笑うと、雅は今度は口をパクパクさせている。


「聞きますか? 惚気」

「……惚気って……いや、いい。止めとく。で、いつから?」

「気づいたのはさっきです。ですが、多分気づかないうちに私は鈴さんに好意を持ち始めていたのだと思います」


 思えば、初めて鈴を意識したのは鈴の洋装を見た時だ。あの時に初めて鈴を可憐で愛らしいと思った。すぐにいつものように手が出せなかったのも、きっとそれが理由だったのだろう。


 それを雅に伝えると。雅は複雑な顔をする。


「結構前だな……で、あんたの愛は私達が言う恋人とか夫婦の愛なのか? それとも友人とかに対する愛なのか? 重要なのはそこだよ!」


 何としてでも千尋に鈴を嫁がせたくないのか雅が強い口調で言うが、千尋だってもう鈴以外との婚姻は考えられないのだ。


 都に居た時は鈴に対する気持ちが長い年月の間、果たして続くのか? などと考えたが、鈴を失いかけてそんな考えは吹き飛んだ。


「その違いは流石の私にも分かりますよ! 流星や息吹には触れたいなどとは思いませんから。ましてや抱きたいなどとは全く思いません」


 きっぱりと言いきった千尋に、雅はとうとうおでこを手で押さえて床に仰向けに倒れてしまった。


「……す、既にそこまでいってんのかぁ……気付くと早いんだねぇ……ついこないだまで愛が分からない、興味無いとか言ってたってのに……」

「はは、確かに」

「はは、確かに、じゃないんだよ! 大体そんな事すぐに信じられる訳ないだろ!」

「そうは言ってもねぇ……鈴さんだけなんですよ。私に幸せになって欲しい、と言ってくれたのは」

「ああ、そういや言ってたね。あんたには早く龍の都に戻って幸せになって欲しいんだって」


 どうやら鈴は雅にも同じことを言っていたようだ。何だかそれが余計に上辺で言ったのではないのだと実感できて千尋は思わず目を細める。


「困った事に大抵の方は私は既に幸せだろうと思っていらっしゃるようなのです」

「あんた見てりゃ自由にやりたい放題だからね。そりゃそう思うんじゃないか? その容姿で金もあって地位もあるんだから好きに生きられるだろ?」

「ですが、愛を知りませんでした。それは不幸ではないですか?」


 そう言って真面目な顔をした千尋を見て、雅は苦笑いを浮かべた。沈黙は肯定だ。


「ましてや自分が死の床についているのに、他人の幸せなど願えますか?」

「何だい、鈴が言ったのかい? さっき?」

「ええ。瀕死の状態でそんな事を言われたら誰だって落ちますよ。それまでは私だって種族の違いや、この気持ちが長く続くのかとか色々考えていましたが、あんな言葉を聞いてしまっては、私の悩みなど障害にもならないと思い知らされました」


 珍しくニコリとも笑わない千尋を見て、雅はゆっくりと頷いた。


「で、具体的にはどうすんだい? あの子は今期の花嫁だ。子どもは見込めないんだよ? それに鈴を番にしたってあんたはいずれ次の花嫁を見つけなきゃならない。その時に鈴はどうすんだい? 初みたいに都に置いてくるのか?」

「いいえ、その必要はありません。龍と番関係になったり本当に婚姻を結ぶという事は、私の眷属になるというのと同義です。寿命も龍と同じぐらいに伸びます。だから彼女には申し訳ないですが、私の刑期が終わるまで共にこの地を守ってもらう事になります。それにさっきも言いましたが、私は今まであの事件に関しては正直もうどうでもいいと思っていました。でも考えを改めました。徹底的に調べ上げて都に戻ります。鈴さんを連れて。何よりも、この気持ちに気づいてしまったらどのみち私はもう次の花嫁など探せませんよ」


 龍が誰かと恋に落ちたらどうして皆が一途にその人を愛し抜くのか、千尋にもようやく理解が出来た。鈴以外の人をもう欲しいとは思わないし、鈴に大して不誠実な事はしたくない。


「はぁ……この展開は予想外だったよ。でも既に150年も空いてんだ。とりあえずしばらくは花嫁の仕事はしてもらわないと」

「それはもちろんです。最低でもそうですね、あと10年ほどはこの地に留まるべきでしょう。それにこの事を鈴さんに伝える時期も重要ですね」


 今まで何にも執着出来なかった千尋に、初めて欲しいものが出来た。そういう感情は煩わしいとさえ思っていたのに、一度気づいてしまえば知らなかった頃に戻りたいとはもう思えない。


 はっきりと言いきった千尋に雅はようやく納得したように頷いた。そんな雅に千尋はにこりと笑う。


「ああ、そうだ。多分、私は明日から相当鈴さんを溺愛すると思います。先に断っておきますね」


 そう言って席を立った千尋の耳に、ようやく言葉の意味を理解した雅の怒鳴り声が聞こえたのは部屋の扉を閉めた時だ。


「はぁ!? な、何の予告だよ! 勘弁してくれよ!」


 扉越しに聞こえた雅の声に、千尋は声なく笑った。




 一体自分の身に何が起こったのか、鈴には全く分からなかった。死を覚悟した時にあれほどもう一度会いたいと願った千尋が目の前に現れたような気がするが、その後から全く記憶がない。


 気がついたら鈴は部屋で眠っていたようで、何故か鈴の部屋で千尋が何かを書いている。


「千尋……さま?」


 これは夢か? と思いながら恐る恐る声をかけると、千尋はピクリと肩を揺らし、ゆっくりと振り向いて近寄ってきた。


「お早うございます、鈴さん。具合はどうですか?」

「具合……私、一体何が……?」


 覚えているのは、寒さで背中が傷んだので蘭から貰った薬を飲み、その後気分が悪くなった事だ。それ以降の事は意識も朦朧としていたのであまり思い出せない。


「覚えていませんか? あなたは薬を飲んで倒れたのですよ」

「薬を飲んで? 好転反応……ではなくて?」


 まだぼんやりとしながら千尋に尋ねると、千尋は何故か悲しそうに眉根を寄せて首を振る。


「いいえ、あれは好転反応ではありません。その……そう、酷い食あたりです」

「食あたり……」

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