「あんなでも私の大切な旦那と可愛い息子なのよ。それを知りもしない奴らにこんな事言われたくないわ。でも……万が一これがイタズラなんかじゃなかったとしたら、あの二人に危害が及ぶかも知れないじゃない」
「菫ちゃんもだよ! 千尋さま、菫ちゃんもしばらくここに住んでも良いですか!?」
拳を握りしめて悔しそうな顔をした菫を見て、鈴が勢いよく立ち上がる。そんな鈴を落ち着かせながら千尋は微笑んだ。
「当然です。菫さんも楽も夏樹も大切な家族ですからね。それにそうしてくれた方が私もありがたいです」
「どうしてよ」
「鈴さんはあなたと居るといつも楽しそうですから。育児書を調べていたのですが、妊娠において問題なのは酒や煙草の他にも過度な心への負荷もいけないようです。ですから鈴さんには出産までの間、出来るだけ楽しくしていてもらわないと」
そう言って笑顔を浮かべた千尋を見て菫が引きつる。
「……あなたは本当に鈴命なのね……まぁでもそれはそうよ。心への負荷はたとえ妊娠していなくても心身に影響を及ぼすわ」
「ではそのように部屋の手配をしましょう。どうします? 部屋は分けますか? それとも三人で一つの部屋を使いますか?」
「寄宿舎はもともと二部屋しか無いから部屋は一つで良いわよ。私達に別々の部屋なんて、過ぎた贅沢だわ」
「あなたは本当に良妻ですね。では一部屋お貸しします。どうせここに居る間、寝る時は子どもたちは共に寝ると言うでしょうし、貸し出ししたお部屋は楽と二人で好きに使ってください」
鈴と結婚した事で夫婦の時間がどれほど大切なのかを知った千尋は最近になって子供部屋を作った。千隼は今はそこで眠り、最近では少しずつ一人でも眠れるようになってきたのだ。そのおかげで鈴と二人だけの時間を取ることが出来るようになり、毎日充実している。
「よ、余計なお世話なのよ!」
そんな千尋の意図を正しく汲んだのか、菫は顔を赤くして怒鳴った。
けれど菫が怒鳴った理由に気付かない鈴だけは首を傾げていて、その光景があまりにも可愛くて思わず鈴の頭を撫でてしまう。
「戯けるなら他所でやってちょうだい! それよりもこの手紙よ。私の所にまで届いたって事は、他の人達の所にも届いてるんじゃないの?」
「かもしれません。この件とは別に、羽鳥の耳と目が何かを嗅ぎつけたようなので今週、羽鳥の屋敷に行ってきます。その時にこの手紙の話もしてきます」
それだけ言って千尋は手紙を袂に仕舞うと、そこへようやく雅が戻ってきた。
「解決したかい? 菫」
「まぁね。やっぱり楽に相談して良かったわ。あいつ分からない事はとりあえず千尋さまに聞けって言うのよ」
「それが良かったのかい?」
「ええ。私は天邪鬼で素直じゃないから、いっつも自分で何とかしなくちゃって思っちゃうの。でもあいつは違うでしょ? 自分の手に負えないって思ったら誰の手でも借りようとするから。そういう所、尊敬してるの」
「菫ちゃん……楽さんの事、大好きなんだね」
目を輝かせてそんな事を言う鈴に、菫は恥ずかしそうにそっぽを向く。
「あ、当たり前でしょ。でないとこんな遠い所に嫁いで来ないわよ」
「うん!」
相変わらず仲良しな二人に目を細めながらも、千尋の心は穏やかではなかった。また誰かが鈴を狙おうとしている。鈴の座を。
♡
菫一家が神森家に戻ってきたのは翌日の事だった。
菫達は簡単な荷物だけを持って楽が前に使っていた部屋を使う事になったのだ。
「これはどこに置く?」
「それは夏樹のよ。だから子供部屋に運ぶわ」
「分かった! それじゃあ私、持って行ってくるね!」
「ありがと」
振り返りもせずにお礼を言う菫の声は弾んでいた。
菫は今、タッタちゃんを飾る場所を吟味している。その顔は真剣だ。壁には子供の頃に着ていた鈴とお揃いの着物が飾ってあり、それが嬉しくて仕方ない(ちなみに鈴も自室に飾ってある)。
他の物は色々と置いてきても、この二つだけは持ってきてくれた菫に鈴が感動していると、部屋のドアを誰かがノックした。
「開いてるわよー」
菫の声に反応して部屋へ入ってきたのは楽と栄だ。
「何か手伝う事あるか?」
「重いものないか?」
栄の肩にはちゃっかり夏樹が座っていて、楽の腕には千隼が抱えられている。菫は振り返るなりその光景をカメラに収め、首を振った。
「大丈夫よ。あんた達、仕事は?」
「もう終わり。千尋さまの仕事も午前中には片付いたし、姉さんのお使いも終わったし」
「俺達は見ての通り子守だ! あ、こら! 夏、髪を引っ張るな!」
栄はそう言って肩に乗る夏樹の脇腹をくすぐっている。
「後は買い物だけだよ。どうする? お前らも行く?」
「そうねぇ……鈴、どうする?」
「う~ん……そう言えばこの間お隣さんがね、新しいお店が出来たのよ! 鈴ちゃんも喜ぶと思う! って教えてくれたお店があるの」
「どこ?」
「桜通りの二番地。クッキーの専門店なんだって」
最近、洋菓子と洋食のお店がとても増えてきている。その度にご近所さんが鈴に教えてくれるのだ。