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第463話

 それを聞いて千尋が嬉しそうに笑いながらそっと鈴のお腹に手を当ててくるが、生憎今は静まり返っている。

「……演奏が終わると蹴ってはくれないのですね……」

「……そう……ですね」

 あまりにもしょんぼりとそんな事を言うので思わず鈴が答えると、千尋はおもむろに千隼を呼んだ。

「なにー?」

「千隼、パパがあなたにバイオリンを教えてあげましょう」

「ち、千尋さま?」

 何となくその後に続く千尋の言葉を想像する事が出来てしまって鈴が苦笑いを浮かべながら尋ねると、案の定千尋は——。

「そして弾いてください。私もリズムを取る我が子を感じたいので」

「うん!」

「……」

 確かにバイオリンを弾きながらでは鈴のお腹は触れない。苦肉の策なのだろうが、そこまでしてお腹を触りたい千尋に鈴は感激してしまった。

「そう言えば、いつだったかお爺さんが言ってました。バイオリンも子どもサイズの物があるそうですよ!」

「そうですか。では次に里帰りをした時に持ち帰れるように節子さん達に手配しておいてもらいましょう!」

 嬉々としてそんな事を言う千尋に鈴が頷くと、お腹の上で雅が呆れたような顔をしてこちらを見上げてくる。

「せっちゃんも良い迷惑だよ、全く」

「だが面白そうだ! 楽はピアノが弾けるし、夏にも何か楽器やらせようぜ!」

「い、いや、栄さん、俺のピアノは皆に聞かせるほどの物じゃ……」

「そうよ! 私だって歌はからっきしよ!? 多分、夏樹も……」

 栄の言葉に楽と菫は慌てたように言い、互いの顔を見合わせてため息を落としている。

「遺伝子的にも俺達のじゃな……俺のピアノも大概だけど菫の歌もなかなか……」

「ええ……悲しいけど、そっち方面の才能はちょっと……」

「そんなに酷いのですか? 菫さんの歌は」

 そんな二人を見て千尋がおかしそうに尋ねると、楽と菫が真顔で頷いた。

「前にこいつが何度か夏樹に子守唄を歌ったんですけど、それ聞くと夏樹、寝るどころか怯えて家の中の物を燃やそうとしたんです……」

「寄宿舎だから大変だったわ」

「そう言えば私、菫ちゃんが歌ってるの聞いた事ないかも」

「歌った事ないもの。私の歌はね、父様と母様に固く禁じられているの」

 怖い顔をしてそんな事を言う菫に鈴がゴクリと息を飲むと、隣で楽も同じような顔をして頷いている。

「そ、そんなに?」

「ええ、そうよ」

「こいつの歌は何ていうかずっと音程が平坦で、かと思ったら突然跳ね上がるんだよ。とにかく……怖いんだ」

 二人の言葉に流石の千尋も黙り込んだ。

「で、でも! 家事が出来なくても怖い歌しか歌えなくても、菫はそこらへんの龍よりも優秀だから!」

「ええ、それはよく知っていますよ。楽が番に求めたのは優秀な遺伝子などではなく、私と同じでその人となりだった。そうでしょう?」

「は……はい!」

「そうです! 菫ちゃんはたとえお経みたいな歌しか歌えなくても、素晴らしい人です! それにお経が歌えるならお化けも寄ってきません!」

 鈴も何かフォローしようと口を開いたが、それを聞いてすぐに菫が眉を吊り上げる。

「ちょっと聞き捨てならないわね! お経みたいな歌ってどういう意味!? 私、別に歌でお祓いしたりしないわよ!?」

「ご、ごめん」

 庇おうと思ったが失敗してしまった。そう思いつつ菫を見ると、菫は頬を膨らませながらもおかしそうに目を細めている。

「なるほどな! それじゃあ鈴の歌は父親譲りなのかね?」

「かもしれません。そう言えばmumの歌って聞いた事ない気がします」

 もしかしたら菊子は歌が苦手だったのかもしれない。

 何だか少しだけ新しい両親の情報が知れたようで鈴が喜んでいると、そこへ慌てた様子で梨苑がやってきた。何の前触れもなく梨苑がやってきたのはこれが初めての事だ。

 梨苑は物凄いスピードで屋敷の上までやってくると、そこから急降下してこちらへ下りてくる。

 広場に降り立った梨苑はすぐさま人の姿に変わるとこちらへ駆けてきたのだが、その顔色は真っ青だ。

「おや、これは梨苑ではありませんか。どうかしましたか?」

「ち、千尋さま! あ、あなた何したんですか!」

 梨苑はそのまま突っ込んでくるのではないかという勢いで駆け寄ってきたかと思うと、東屋に乗り込んできて千尋の目の前に大量の手紙を置いた。

「これは何です?」

「同僚達からの謝罪の手紙です! ぜ、全員辞めてしまいましたけど!」

「おや、そうですか。それは残念」

「それは残念じゃありません! 三日ほど突然休暇をくれたと思ったら、何ですかこれ!?」

「説明すれば長くなるのですが、彼らにはこの3日間私の下で働いてもらったのですよ」

 飄々と穏やかな笑顔を浮かべてそんな事を言う千尋とまだ青ざめている梨苑を見て鈴がハラハラしていると、梨苑はどさりとその場に座り込んで何かに納得したように手紙を仕舞った。

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