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第464話

「そういう事ですか……はぁ……俺はてっきりあなたが皆を脅して回ったのかと」

「そんな面倒な事はしません。あなたの働きを皆に知ってもらおうと思っただけです。ですが全員が辞めてしまったのですか?」

「ええ、全員です。手紙には謝罪の他に激励というか、慰めの言葉も沢山ありました」

「皆、根性がありませんねぇ。本当にたったの3日で音を上げるとは」

「ち、千尋さま? 大丈夫なのですよね? 何かご迷惑をおかけしたりとか……」

 何だか二人の雰囲気が心配で思わず鈴が声をかけると、千尋は微笑んだだけだ。一方梨苑はちらりと鈴を見てため息を落とす。

「大丈夫ですよ、奥様。あなたの旦那様は至極真っ当な手段で高官補佐を大量に解雇しただけですから」

「ええ!?」

 どこが大丈夫なのだ!? そう思いつつ梨苑を凝視すると、梨苑はようやく落ち着いたのか苦笑いを浮かべている。

「本当に大丈夫です。彼らは高官という仕事を甘く見ていたんですよ。前の体制とは違って、厳しいのは千尋さまの所だけじゃない。誰の所に行っても遅かれ早かれ辞めていたと思います」

「そ、そうですか?」

 千尋が何をしたのかは分からないが、千尋が恨みを買うような事が無ければいい。そして千尋はまた嫌な役目を自ら買って出たようだ。

 鈴はそっと隣に座る千尋の手に自分の手を重ねた。千尋はよく鈴に献身的だと言うが、千尋だってそうだ。誰かが望む悪役をいつも自ら買って出るのだから。


 悲しげに千尋を見上げてくる鈴はきっと、千尋がまた嫌な役目を自ら背負ったのだろうと考えているのかもしれないが、それは違う。今回の事は完全に自分の為にした事だ。こうして千尋が屋敷で仕事が出来るのは、梨苑が優秀だからに他ならない。そんな梨苑を無意味な誹謗中傷などで失う訳にはいかないのだ。

 千尋は鈴の指に自分の指を絡めて笑顔を梨苑に向けた。

「報告ありがとうございます、梨苑。この3日間、私は思う存分仕事が出来ませんでした。やはりあなたでなければならないようです」

「はぁ……頑張ります」

「おや、嬉しくなさそうですね」

 梨苑は複雑そうな顔をして曖昧に頷いた。

 梨苑は千尋の下について数年になるが、異動願を出された事はただの一度もない。だからてっきり喜んで千尋の下に居たと思っていたが、どうやらそうでも無さそうだ。

「嬉しくない訳じゃないですが、俺が千尋さまの下に居るのは皆と少し理由が違うので」

「そうなのですか?」

「はい。千尋さまは仕事が早いじゃないですか。おまけに奥様が都に来てからは以前にも増して仕事が早くなったじゃないですか。だから必然的に終了も早いんですよね。そのうえ今は家で仕事しても良いって仰るし」

 その言葉を聞いて千尋は納得した。どうして梨苑が千尋の下に居るのかを。

「なるほど。あなたは煩わしいのが嫌いなのですね。確かに法議長という仕事は他部署との関わりがあるように見えて完全に独立した機関ですから、そういうしがらみが煩わしい者には向いていますよ。私のように」

「そうなんですよね。桃紀さんの所もやりやすかったんですけど、何か市井に問題があると早朝だろうが深夜だろうが駆り出されるので、それが俺には辛くて」

「そして消去法で私の所へ来たと言う事ですか」

「そうなんです。千尋さまは仕事さえしていたらそれで良いって人だって周りからは聞いてたので。変な飲み会とか懇親会とか無いかなって」

 はっきりと淀み無くそんな事を言う梨苑の顔に申し訳なさは一切浮かんで居ない。ここ数年の間にどうやら梨苑は千尋もまたそういう龍だと言う事を知ったのだろう。

「当然です。仕事が終われば皆他人です。それぞれしたい事もあるでしょう。それをいつまでも拘束する上司など、羽鳥だけで十分です」

 千尋とは真逆で羽鳥の職場は皆がまるで家族のように一致団結して仕事をしているし、しょっちゅう皆で出かけているが、千尋からすればそんな事をするのは正気の沙汰ではない。

 そんな千尋の言葉に梨苑はコクコクと頷いているが、他の皆は白い目を千尋と梨苑に向けてくる。その視線は完全に「もう少し周りと関われよ」と言っているが、相変わらず鈴だけはキラキラとした顔をこちらに向けていた。

「凄いですね! お二人はまるで引き合わされたように巡り合った最良のパートナーみたいです! 千尋さま、梨苑さまを大事にしなければいけませんね」

「そうですね。これからもよろしくお願いしますね、梨苑」

 それは鈴の言う通りだ。前に部下に居た龍のように好意を全面に押し出されても困るのだから。梨苑ぐらい他人に興味がなく、過度に接して来ない方が千尋にとっても良い。

「はい。こちらこそ」

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