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第465話

 淡々と答えた梨苑は、何かを思い出したかのようにふと顔を上げた。


「そう言えば千尋さま」

「はい?」

「これは酒の上の戯言だと思うのですが、この間ちょっと気になる話を耳に挟んだんです」

「何です?」

「都の外の異臭の話なんですけど」

「異臭?」


 梨苑の一言に千尋は片眉を上げた。栄と楽もそれを聞いて眉根を寄せている。


「はい。そいつ外で掃除夫してたらしいんですけど、この間たまたま離宮の掃除夫が休んだらしいんです。で、その穴埋めにそいつが行ったらしいんですけど、その時に何か変な匂いがするなって思って禁足地に入ったらしいんですよ。そしたらそこは前王と初様の部屋に繋がる通路だったらしくて、いけないと思いながらも好奇心で奥まで行ったら、王と誰かの言い合う声が聞こえてきたらしいんです。その直後にまた異臭がして逃げて帰ってきたらしいんですけどね」

「初達の部屋から異臭ですか」

「はい。掃除夫はどうしても気になって休んでた掃除夫にその事を尋ねたら、離宮の掃除夫は青ざめてその掃除夫に言ったそうです。すぐに掃除夫を辞めて、都に戻れって。それからその話は絶対に外ではするな、とも」

「……それはまた……それで、その掃除夫は言いつけ通り辞めて都へ戻ってきたのですか?」

「みたいですね。でも酒の席でペラペラ話してたんで、そんな大層な話じゃないかもしれないんですけどね」


 そこまで聞いて千尋は口元に手を当てて考え込んだ。


 初が目覚めるにはまだ早すぎるが、誰かが何らかの意図を持って無理やり目覚めさせようとしているのであれば、話は別だ。


「ありがとうございます、梨苑。今はどんな些細な事でも情報を集めておきたいので助かります」

「いえ。趣味が飲み歩きなので嫌でもこういうのが耳に入ってくるんですよ。それでは俺はこれで失礼します」


 それだけ言って梨苑は飛び去った。鈴の特製クッキーを持って。


「どういう事だい? 千尋」

「私にも分かりません。ただ羽鳥が緊急会議を開きたいと言ってきたので、また何かあるのかもしれません」


 出来るだけ皆に心配をかけないよう言葉を濁した千尋を見て、雅と栄は胡散臭そうな顔をしている。


「千尋さまは大丈夫なのですか? 何か危ない事とか……」


 心配そうにこちらを見上げてくる鈴の肩を千尋は掴んで頷く。どう考えても心配なのは千尋よりも鈴だ。


「私は大丈夫です。私よりも鈴さんの方が心配ですよ」


 そう言って鈴のお腹にそっと手を当てると、内側から反応があった。きっと千隼の時のようにこの子もまた母を守ろうと話を聞いているのだろう。


「本当はこの子たちにこんな思いはさせたくないのですけどね」

「そうですね……でも大丈夫です、千尋さま! いつか本当に平和になったらたくさん遊びましょう!」


 鈴はそう言ってお腹を撫でる千尋の手の甲にそっと手の平を重ねてきた。こんなにも小さな手の平なのに、まるで全ての憂いを包みこんでしまいそうなほど鈴の手は暖かく優しい。


 千尋はそんな鈴の手を持ち上げると、鈴がいつもするように自分の頬にこすりつける。気がつくと、周りには誰も居なくなっていた。



 羽鳥の屋敷に千尋、流星、息吹が集まったのはその2日後の事だ。


「これはまた……菫さんを仲間に引き入れようとしてるって事なのかな」


 羽鳥は菫から預かってきた不審な手紙に目を通して呆れ果てたように言う。


「そのようです。ですが菫さんも人間だと言うことは理解しているはずなのですがね」

「それでも菫さんにこんな手紙を送ったって事は、どうしても鈴さんから君を奪い返したいって事なんだろうね。それで菫さんの反応は?」

「別に何も。あの方は楽の事を、夏樹の事を心から愛しています。私の事など眼中にもありませんよ」


 むしろ鈴を奪った悪党だと思われている節がある。まぁ実際間違えては居ない。何せ鈴は千尋と結婚してからもずっとこうして狙われ続けているのだから。


 そろそろそんな事を招いてばかり居る自分に絶望しそうだが、鈴が今も変わらず千尋を必要とし、愛してくれているのでどうにか気持ちを保てていると言っても過言ではない。


「なぁなぁ、これはつまりあれか? あいつら、菫は千尋を追って楽の番として都に来たんだろうって思ってるって事だよな?」

「そういう事なんじゃないの。そういう事を平気でやってのける連中だから、菫もそうだと思ってんでしょ? 菫が千尋くんを好き? ありえない!」


 手紙を見るなり爆笑する流星を軽く睨むと、千尋は頷いた。


「ええ、ありえません。菫さんは今や雅の次に怖い方です。何よりも高潔な方なので楽をそんな風に扱うことなどまずありえません」

「菫の千尋くんへの態度酷いもんね! 高官達もそりゃ菫が来たら戦々恐々とするよ」


 肩を揺らしながらそんな事を言う流星に羽鳥と息吹が頷いている。


 菫は高官達に混じっても何ら見劣りしない仕事をしているのだ。むしろ龍よりも都に尽くしてくれている。それはここに居る全員が知る所である。

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