事が終わり鈴は千尋に後ろから抱きかかえられてお腹を撫でられながらうとうとしていると、不意に千尋が鈴の首筋に顔を埋めてくる。
「千尋さま?」
鈴が首だけで振り返って千尋を見ようとすると、何故か千尋は目の下を赤くしている。
「えっと……照れて……いるのですか?」
「ああ、いえ、照れている……そうですね。照れなのでしょうか、これは」
珍しくよく分からない回答をする千尋に鈴が首を傾げると、千尋は優しく微笑んで言う。
「いえね、何かこうたまに無性に込み上げてくるものがあるのですよ。あなたを抱いていると。この感情がどこから来るのかと思って。でもすぐにふと思うのです。こんな事を真剣に考えようとしている私は、なんて幸せなのだろうかと」
「わ、私もあります!」
思わず千尋の言葉に鈴が言うと、千尋は笑った。
「そうですか? 以前はあんなにも仕事の事しか考えていなかったのに、鈴さんに会ってからというもの、どんどん鈴さんの事を考える時間が増えて、そのうち私はあなた以外の事を考え無くなりそうですよ」
「それは流石に無い……と言いたいところですが、私も似たような感じかもです。私が毎日頑張っているのは大抵千尋さま絡みの事だなって思うので。でもそんな風に考えて行動している自分はとても好きです」
素直に思っている事を千尋に告げると、千尋は目を細める。
「そうですね。私も同じです。ねぇ鈴さん、前にも言いましたがこの子が生まれて大きくなり、子育てが落ち着いたら色んな所へ二人で行きましょうね。もちろん地上にも」
千尋からの思ってもいなかった提案に鈴は目を輝かせて笑った。
「もちろんです! その頃には都や地上はもっと発展しているのでしょうか」
「どうでしょうね。でも都に居たら百年なんてあっという間です。その間に悲しい別れもあるかもしれませんが、それと同じぐらい嬉しい事もあるはずですよ」
千尋の言葉に鈴は色んな覚悟をして頷く。都にやってきた鈴とは違い、地上の人たちからしたら百年は一生だ。
これから鈴と菫は悲しい別れを沢山繰り返さなくてはならない。
けれどその代わりにまた新たな出会いがあり、喜びもあるに違いないのだ。
鈴はぐるりと体の向きを変えて千尋の腕の中で少しだけ、いずれやってくる未来を思って鼻をすすった。そんな鈴の頭を抱えるようにして千尋が言う。
「鈴さん、この先にあなたが多くの別れを繰り返しても、私だけはあなたと居ます。これからもずっと」
そう言って千尋は鈴のおでこにキスをして鈴の背中を撫でてくれる。その手は水龍とは思えないほど暖かかった。
そんな約束から一月。いよいよその時がやってきた。
鈴は深夜頃から少しだけ張り出したお腹に異変を感じて、すぐさま夜中にも関わらず隣で眠っていた千尋の肩を揺すり今の自分の状態を告げると、千尋はパチリと目を開き飛び起きて羽織だけ羽織ってすぐさま動き出す。
「鈴さんはここに居てください。今、どれぐらいの張りですか?」
「まだ少しだけなので、大丈夫です」
「分かりました。すぐに菫さんを寄越します」
千尋はそれだけ言って鈴のおでこにキスをして髪を撫で、部屋を出ていく。どれだけ急いでいても千尋はこれだけは忘れない。
鈴は千尋に撫でられた髪とおでこを抑えて微笑むと、お腹に話しかける。
「早く会いたいよ。出来たらすんなり生まれてきてね」
その言葉がお腹の子に届いたかどうかは分からない。何故なら今日は珍しく何の反応も無いからだ。
やがて鈴の陣痛が進むにつれてそれを聞きつけた千尋の同僚たちが集まりだす。
皆がソワソワしながら声をかけに来てくれたのだが、鈴は痛みを堪えながら頷く事しか出来ず、とうとう千尋が全員を部屋から追い出してしまった。
「千尋さま、ごめんなさい」
二度目のお産でも痛いものは痛いのかと実感しつつ鈴が言うと、ずっと手を握って腰をさすってくれている千尋が笑顔を浮かべる。
「構わないのですよ。皆も分かっています。何よりもこんな姿の鈴さんを息吹はともかく流星と羽鳥に見せるのはちょっと……」
そう言って千尋は襦袢姿の鈴を見下ろして言うが、その後すぐに言葉を付け足した。
「別に鈴さんがはしたないとかそういう事ではないですよ!? そうではなくて、鈴さんの襦袢姿を他の男に見られるのが嫌だっただけで他意は本当に——」
実は千尋も焦っているのか、いつもに比べてやけに饒舌に言い訳をしようとしているが、そんな千尋の手にそっと鈴は手を重ねる。
「知って、いますよ。大丈夫」
「……はい。いけませんね。私が慌ててしまって」
苦笑いを浮かべてそんな事を言う千尋に鈴も笑う。千尋でも慌てる事などあるのか。そう思うと何だか愛しさが込み上げてきた。こんなにもお腹や腰が痛くて骨も砕けそうなのに、それでも幸せだと感じる事が出来るのは、千隼を産んだ時と違って今回はここに千尋が居てくれるからだ。