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第470話

 二度目の出産は楽になるはずだよ、と最初に言い出したのは一体誰だ。思わずそんな事を考えしてしまう程、鈴は苦しみと痛みに顔を歪め涙を零す。それでも赤ん坊は一向にその姿を見せず、雅と産婆が互いの顔を見合わせて悩んでいた。


「やっぱり今回も角だね」

「そうですね……この角のせいで命を落としてしまう母親が毎年出てきますから……」

「縁起でもない事言うんじゃないよ! 大体こんなもんは生まれてから生やせば良いじゃないか! どうして生まれる前にしっかりくっつけちまうんだい!?」

「そ、それは私達に言われましても……」


 滅茶苦茶な事を言いながら雅は鈴は体をかがませて手探りで鈴の中を探るが、まだ何の手応えもないようだ。


「おまけに鈴は体が小さいからねぇ」


 心配そうに呟く雅の額には汗で髪が張り付いている。もちろん産婆もだ。


 皆がそれぞれの立場でこのお産に挑んでいて、誰が欠けても成立しない。


 お産とは、それほどの事なのだとこの10ヶ月間の間ずっと共に過ごしてきた千尋の感想だ。


 千隼の時、自分は側に居てやる事が出来ずにその役割を他の誰かがしてくれていた訳だが、それが酷く悔やまれる。


 千尋は鈴の汗と涙を拭いながら、力を流しながらずっと鈴に声をかけていた。まるでそれは自分自身に言い聞かせるかのようだ。


 それまでは自発的に赤ん坊が出てくるのを待っていた雅だったが、鈴の状態を見てとうとう雅が動き出した。


「本当はこの手は使いたくなかったけどね、こっちも大人しくいつまでも待ってる訳にはいかないんだ。千尋、良いね?」


 たすき掛けしていた紐を結び直しながら雅が顔を上げた。そんな雅を見て千尋はコクリと頷く。それを見て雅も頷いた。


 そして——。


 部屋の中に鈴の声にならない叫び声と、角を掴んで引っ張り出すという雅の行為に絶叫する産婆の声が響き渡る。


「強情な子だね! ほら、もういっちょ!」


 雅の声に鈴は朦朧としながらも頷く。千尋はそんな鈴の背中をそっと撫でながら力を流し込む。そろそろ千尋も限界だ。雅も産婆も、恐らく外で待つ皆も。


 その時だ。ふと鈴が微笑みを浮かべた。この状況でそんな顔をする鈴が理解出来なくて千尋は思わず問いかける。


「何故、笑うのです?」


 千尋の問いかけに鈴が大きく息を吸い込んでぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「うれ、しくて。あなたと私の夢が、一つ、叶う——っ!」

「! 鈴さん!」


 その言葉に千尋は息を飲んだ。反省ばかりしていた千尋とは違い、鈴はこの苦しいお産の間中ずっと千尋との未来を、約束だけを考えてくれていたというのか!


 いつか羽鳥が言った『鈴さんは間違えないと思うよ。いざという時はやっぱり君を一番に優先させてくれる』という言葉が深く胸に突き刺さる。


 それに気づいた途端、涙が零れ落ちそうになった。そこへ雅と産婆の声が重なる。


「頑張れ鈴! もうちょっとだよ!」

「もう少し! もう少しですよ!」

「っっっっ!!!!」


 そしてようやく、鈴のお腹が千隼の時のように平らになった。それを見た途端、千尋は全身の力がすっかり抜けていくのを感じる。


 ホッとしたのもつかの間、部屋の中に大きな泣き声が響き渡った。それを聞いて、千尋はようやく鈴を見下ろした。


「女の子だ! あんた達、女の子だよ!」

「水龍の女の子!? た、大変! 水龍の女の子なんて、もう何千年ぶりだというの!?」


 興奮したような雅と産婆の声をよそに、千尋は鈴を見下ろす。鈴も千尋をじっと見上げている。


 互いの瞳にそれぞれの姿が映し出され、鈴の目に映る自分を見てようやく千尋は自分が今、泣きそうな顔をしている事を知った。


 雅と産婆が二人して興奮した様子で生まれたばかりの赤ん坊の体を清め、赤ん坊を鈴の腕に抱かせて廊下に飛び出して行く。


 千尋は鈴の体を支えながら鈴の腕に抱かれている赤ん坊に視線を落とす。


 赤ん坊は鈴と同じ髪の色をしていた。鈴は震える腕で赤ん坊を抱いているが、支えた鈴の背中から伝わってくるのは愛しい、可愛い、幸せ、ただそれだけだ。


 千尋は鈴の体を赤ん坊ごと抱きしめた。最後の最後に鈴と我が子に力を流す。それはただの愛情だった。


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