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鈴はお産が済んだ後しばらく放心していたが、その間に千隼の時と同じように千尋が瑠鈴を抱いて皆にお披露目に行ってくれていたのだが。
「戻りましたよ、鈴さん」
しばらくして部屋に戻ってきた千尋の腕に瑠鈴はいないし、おまけに何とも言えない顔をしている。
「どうか……されましたか?」
何やら神妙な顔をしている千尋に思わず鈴が問いかけると、千尋は寝ている鈴の側に腰掛けて話し出す。
「いえね……その、今初めて鈴さんが千隼が生まれた時に感じていた感情を知ったと言いますか……」
珍しく言葉を濁す千尋に鈴が首を傾げると、千尋は苦笑いを浮かべた。何の事か分からない鈴に千尋は言う。
「瑠鈴を見た皆の反応がそれはもう凄まじくてですね……この先のあの子の未来が少しだけ心配になってしまったと言いますか……」
困ったように笑う千尋がおかしくて鈴が目を細めると、千尋はそんな鈴の頬を撫でながら微笑む。
「皆が可愛がってくれるのはもちろん嬉しいですが、先ほど初めて鈴さんの気持ちが分かりました。あれは瑠鈴が勘違いをしないように気をつけなければいけません」
「そんなにですか?」
最後の言葉がやけに真に迫っていたので思わず鈴が問いかけると、千尋は真顔で頷く。
「そんなにです」
千尋がこんな顔をするなんて相当だ。鈴は笑いながら千尋の手を取り、その長くて美しい指に自分の指を絡めた。
「千尋さま、前に言ってたチューリップ畑が出来上がる頃に私の見た夢が実現するのでしょうか?」
「そうですね……いえ、むしろ鈴さんの夢以上の幸せがやってくるに違いありません。千隼が瑠鈴を抱いているのを見た時、私はそう思いました」
「千隼が瑠鈴を?」
それは是非とも見たかった! 思わず体を起こしかけた鈴の体を千尋が抱き上げてくれたかと思うと、そのまま強く抱きしめられる。
「ええ。安心してください。ちゃんと写真に残しましたよ。それにそんな光景はこの先何百、いえ何千回も見る事が出来ると思います」
その言葉に鈴は納得して頷いた。確かに千尋の言う通りだ。この先、そんな光景を鈴は誰よりも近くで見ることが出来るのだ。
鈴は千尋に体重を預けてゆっくりと息を吐き出した。そんな鈴を寝かしつけるかのように千尋が鈴の髪を撫でてくれる。
「ありがとう。そしてお疲れ様でした、鈴さん。どうか良い夢を」
「……千尋……さま、I will ……never forget ……what you have ……done」
眠気がピークだったのか、どうにか鈴はそれだけ伝えて瞼を閉じると、その瞼に微かに優しくて暖かい物が触れた気がした。
どれぐらい眠っていたのか、次に目覚めた時には鈴は見慣れた自室のベッドで眠っていた。
手に違和感を覚えてふと視線をその先へやると、そこにはベッドの脇でベッドに突っ伏して眠っている菫がいる。
菫の手はしっかりと鈴の手と繋がれていて、その背中には楽の羽織がかけてあり、二人がずっとここに居てくれたのだと知った。
「菫ちゃん……ずっと一緒に居てくれたの? ありがとう……」
思わず寝ている菫に話しかけた鈴はいつも千尋がしてくれるように菫の髪を撫でる。その途端、菫がガバリと顔を上げて目を覚ましている鈴を見るなり飛びついてきた。
「鈴! あんた全然目を覚まさないから皆で心配してたのよ!?」
「ご、ごめん」
あまりの剣幕に鈴が頭を下げると、菫はそんな鈴をまじまじと見つめて涙を浮かべる。
「いいのよ、目が覚めたのならそれで」
「うん。ところで瑠鈴は? 私、ミルクも何も——」
あげてないのだが。そう言おうとしたが、菫がそれを聞いて何か思い出したのか笑い出す。
「それなら大丈夫。雅が猫になって一生懸命あんたの胸をあの肉球で揉んでたわよ」
「そうなの!?」
「ええ。だってあなた起きないんだもの。初乳が肝心だよ! とか言いながらあの人を追い出して産婆さんと二人でね」
どうやら鈴が泥のように眠っている間も雅と産婆は最後まできっちりと仕事をしてくれていたらしい。本当に頭が上がらない。
「そっか……皆、本当にありがとう……」
こんな言葉ではとても伝えきれない大きな感謝に鈴が涙を零すと、そんな鈴に菫がそっとハンカチを貸してくれた。
しばらくしてようやく泣き終えた鈴に、「そう言えば」と菫が切り出す。
「瑠鈴ちゃん! あの子はもう絶対に美少女になるわよ!」
「そ、そう?」
「そうよ! あんたちゃんと見たの!? 私、瑠鈴ちゃんを見てすぐにベビー服に着手しないか? って絹さんと吉乃さんにお伝えしたわよ!」
「へ、へぇ……」
珍しすぎるこの菫のテンションの上がり方に思わず鈴は仰け反ってしまった。そんな鈴に菫はベッドに乗り上げてじりじりと近寄ってくる。