内心そんな事を思いつつそっと視線だけを上げると、千尋は分かりやすく顔を真っ赤にしてこちらを見下ろしている。驚きすぎたのか、珍しく顔を隠すことさえ忘れてしまっているようだ。そして次の瞬間、慌てて口元を覆う。
「千尋さま?」
「え? あ、す、すみません。まさかあなたからそんな言葉が聞けるだなんて思ってもいなくて。ニヤけてしまうのであまり見ないでください」
「千尋さまが……ニヤける……」
それは見たい。思わず身を乗り出した鈴の体を、千尋は頭ごと抱きかかえてきた。こうすれば鈴の小さな身体はあっという間に千尋に覆い隠されてしまう。
「ず、ずるいです!」
「はは! はぁ……びっくりしました。私は今まで立場上、誰かにあなたは私のものだと言われる事など滅多に無かったのですが、不思議とあなたにそんな風に言われるのは最高に嬉しいですね。こんな感情は初めて知りました」
「いつも千尋さまに言われると嬉しいので、つい真似してしまいました。でもそれは千尋さまから言われるから嬉しいんだろうなって」
「それはそうです。私も他の誰に言われても嬉しくありませんから。心が繋がっているからこそだと思います。私もいつまでもあなたの、あなただけの龍神で居たいです」
「はい! では私はずっと龍神さまだけの花嫁で居ます」
互いに顔を見合わせて微笑み合うと、言葉が何も無くても愛しいという気持ちが溢れ出す。千尋に嫁いでもう大分経つと思うのに、この気持ちが冷めてしまう事なんて未だに訪れない。それはきっと、相手が千尋だからに違いない。
鈴は千尋を見つめて千尋にだけ聞こえるようにそっと囁いた。
「私にとっても千尋さまは運命の番だったんだって、今は心から思います」
それを聞いて、千尋はまるで花が綻んだように嬉しそうに笑ってくれた。
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鈴に対する見解は日を追う事に変わる。ついこの間まではまだまだ幼さの残る少女で、虐げられてきたせいかどこかおどおどして周りの顔色ばかり伺うような少女だったというのに、今では千尋の心臓と言っても良い程、無くてはならない存在になっているのだから。
瑠鈴が無事に生まれてさらに毎日が忙しくなった。千隼の時は色んな事があって生まれてからの子育てにはほとんど携われなかった千尋だが、瑠鈴が生まれた翌日に雅に怖い顔をして子育ての何たるかについて詰め寄られ、千尋は色々と覚悟をしたのだが——。
「……」
「大丈夫ですか? 千尋さま」
ようやく全ての用事が終わって寝台に倒れ込んだ千尋の背中を、鈴が気遣うように優しく撫でてくれる。
「はい、何とか……子育ての体力と仕事の体力は質が違いすぎますね……」
高官達の嫌味や暴言など可愛いものだ。中には言葉が一切通じない者もいるが、そういう輩はさっさと切り捨ててしまえば良いが、子どもたちはそうはいかない。
何が良くて何がいけないのかを丁寧に教えなければいけないし、何よりも瑠鈴はまだ赤ん坊だ。言いたい事がさっぱり分からない。
「鈴さん、瑠鈴が泣くのは?」
「ミルクかおしめ、後は抱っこして欲しいとかでしょうか?」
「なるほど……瑠鈴にも私の鱗は有効でしょうか……」
「喜ぶと思います! 千隼もそうでしたけど、やっぱり生まれる前から触れていた千尋さまの力が宿った物は今もお気に入りですから!」
「そうですか? では明日にでも渡してみましょう。そうだ、鈴さん」
「はい?」
突然名を呼ばれた鈴はキョトンとして千尋の顔を覗き込んできた。こんな顔はまだまだあどけなくて可愛らしい。特に瑠鈴を抱いている姿なんて、姉妹と言ってもおかしくないぐらいの可愛らしさだ。
「明日、少しだけ職場に顔を出して来ますね。お土産は何が良いですか?」
「お土産……あ! そう言えば今日、瑠鈴がささら屋の大福を食べて涙を流したんです!」
「ささら屋の大福を食べて泣いた? どういう事です?」
どうやら昼間、千尋が仕事をしている間に何か珍事件が起こったらしい。何かを思い出したのか鈴は口元に手を当てて思い出し笑いをしている。
「千隼と夏樹くんが食べているのを見てどうやら食べたかったらしくて。でもお餅は流石に喉に詰めたら怖いので、あげなかったんです。それで中の餡だけをあげたら急に震えて泣き出してしまって」
「美味しくなかったのですか?」
千尋の問いかけに鈴は首を横に振った。
「いいえ、逆です。美味しすぎて震えて、お餅も寄越せって泣いたんです。それで千隼と夏樹くんに襲いかかったんです」
「……まだ生まれて一月しか経っていないのに?」
「はい」
何と言う食い意地だ。呆れつつ鈴を見ると鈴はおかしそうに肩を揺らしている。
「それでどうなったんです?」
「それで、結局千隼も夏樹くんも瑠鈴に大福を全部取られてしまったんです。お餅もペロリでした。その後すぐに喜兵衛さんが二人にこっそりお手製の大福を作ってくれたんですが、良ければ明日のお土産はささら屋の大福にしてやってくださいませんか?」