「大丈夫だろー。千尋さまは鈴が何したって喜ぶんだから」
「俺も弥七さんと同意見だな。桃紀さんが言ってたんだけど、千尋さまは弁当の時間になると一人でふらりと消えるんだって。この間、たまたまそんな千尋さまを見つけたらしいんだけど、一口おにぎり齧る度に感動して震えてたらしい。一回だけかと思って次の日も探したら、次の日もその次の日も全く同じことしてたらしくてさ、ちょっと怖かったって言ってたぞ」
「千尋さま……」
それを聞いて感動した鈴とは裏腹に、喜兵衛と弥七は青ざめている。
「いや、結婚してもう何年経つんだよ」
「本当に……そういうのを聞くと、あの時すぐに身を引いて良かったと思いますね」
「うちも割と戯けるな! って周りにからかわれるけど、その比じゃないんだよなぁ、この二人は……」
「そうですか? 大体の夫婦は皆さん同じことをしていると思います!」
「いや、それはねぇよ。少なくともうちはそこまでじゃない」
「そうですか?」
楽と菫も大概だと思うが? そう思うのに、何故か三人はじっとこちらを見つめたまま首を横に振る。そこへ雅の声が聞こえてきた。
「あんた達は異常だよ。それは間違いない。それから楽んとこも大概だ。で、今日の弁当は何だい? そろそろ千隼が腹減らして戻ってくるよ」
「あーあ! うー!!」
雅の腕には瑠鈴が抱かれていて、千隼という単語を聞いた途端に瑠鈴が奇声を上げだした。
「はいはい、嬉しい嬉しい。大好きな兄ちゃんが帰ってくるもんな」
「うー!」
瑠鈴は両手をバタつかせて喜びを表現し、皆でそんな瑠鈴を見て苦笑いを浮かべる。
「でも瑠鈴のおかげで千隼が急に何ていうか、凄くお兄ちゃんになった気がします」
「それはそうだろ。あんだけべったりくっつかれたんじゃ、嫌でも兄の自覚が芽生えるさ。可哀想に、千隼は昨日さんざん瑠鈴に起こされて最終的には自分で胸を叩いて寝ようとしてたよ」
「か、可哀想!」
「こら! 顔笑ってんぞ!」
ついついセルフでトントンしながら眠ろうとする千隼を思い描いて微笑んでしまった鈴を、楽が叱りつけてくる。
「ごめんなさい。それじゃあやっぱりしばらく瑠鈴は私と千尋さまの部屋で寝かせますね」
「そうだね。でないと千隼が睡眠不足になりそうだ」
そんな事を言いながら雅もおかしそうに肩を揺らしていた。
♤
「出張、ですか」
「うん。悪いんだけど、様子見がてら行ってきてやってくんない?」
久しぶりに職場に足を運んだ千尋は、真っ直ぐに流星の元へと向かった。今日ここへやってきたのは流星から呼び出されたのと、緊急の会議が入ったからだ。
「それは構いませんが、泊まり……ですよね?」
出来るだけ屋敷を空けたくなくて尋ねると、流星はこちらを見もせずに頷く。
「梨苑にも会わせてやって欲しいんだよ。琢磨はまだ会った事ないでしょ?」
「無いですね。それにしてもよく引き続き引き受けてくれましたね、彼は」
琢磨というのは前王の時の高官のうちの一人で、公平さという意味では千尋の次に名が挙がるような男だった。
けれど不慮の事故で逆鱗の一部を失い、この百年ほど眠りについていたのだ。そんな彼が先日ようやく目覚めたと報告があったのだ。
「そりゃ、俺が王になって千尋くんが結婚したって聞いたら戻って来るでしょ」
肩を揺らしてそんな事を言う流星に呆れつつ、千尋は頷いた。
「私の事も伝えたのですか?」
「伝えたよ! 戦争の話をするには君たちの事は外せないからね。俺も今度行くけど、月に一回程度で良いから千尋くんも行ってきてやって。かつて仕事場で一番よく戦った相手がようやく目覚めたんだからさ」
「それはもちろん構いませんが、鈴さん達を連れて行く訳には——」
「駄目に決まってるでしょ。それに琢磨は龍至上主義者だ。でもだからこそ今回の布陣に組み込んだ。野放しにしとくのは危ない」
それには千尋も賛成だ。もちろん琢磨が優秀な高官だった事も事実だが、都の龍たちは大分変わり始めているというのに、眠りについていた龍はその事をまだ知らない。ましてや琢磨はそこそこ年配だ。今更その移り変わりにすんなりついていけるとも思えない。
けれど高官であった彼を監視する訳にもいかないというのが本音なのだろう。
「鈴さんであれば琢磨も気に入るとは思うんだけどね、それ以前の問題だよ」
「そうですね。分かりました。では日取りが決まったらまた教えてください。それから今日の会議なのですが」
「ああ、そうそう。そろそろ皆集まってるんじゃないかな。太陽がてっぺんまで来たらって伝えたから」
そう言って流星は窓の外に視線を移す。千尋も窓から太陽の位置を見て頷いた。
「では行きましょう。羽鳥の耳と目が何かを持ち帰ったようですから」
絶対に良い話ではない事は目に見えている。何せ緊急会議なのだから。考えられるとしたら初絡みか、もしくは五月絡みのどちらかだろう。
この時はそんな風に安易に考えていたのだが、事態はそう簡単な話ではなかった。