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第482話

「私は異臭というのが気になりますけどね。都の外で起こった異臭騒ぎと、亡くなった掃除夫が嗅いだ匂いは同じ物だったのでしょうか? そう言えば羽鳥、元々の掃除夫はどうしているのです?」


 死んだ龍に「都に戻り口外するな」と告げた元の掃除夫は今、どうしているのだろう? そう思って羽鳥に視線を移すと、羽鳥は首を振っただけだ。


 どうやらその龍もまた既に処分されてしまっているらしい。


「あの掃除夫と同じ時期ですか?」

「むしろ前だよ。復帰してすぐに離宮で大気に還ったと離宮の世話係から連絡があったらしい。それから離宮の掃除は自分たちでするから、との通達も」

「なるほど。先手を取られてしまったのですね。ということは今の離宮は完全に孤立した場所だという事ですか」

「そういう事。アリの子一匹も入る事が許されない監視の強さだよ」


 それを聞いて千尋は冷たく微笑んだ。


「皮肉なものですね。罪人を見張るための監視が、今や真逆の仕事をしているのですから」


 いや、もしかしたら元々こういう時の為にあの離宮は建てられたのかもしれない。そう思う程度にはあの離宮の立ち位置は上手く機能しすぎている。


「そう言えばあの離宮の案を出したのは謙信でしたか」


 千尋の質問に答えたのは流星だ。


「そう。千尋くんが言いたい事は分かる。多分これは謙信が想定していた作戦のうちの一つだ。あの頃から離宮は罪を犯した高官を集めて洗脳する為の場所だったんだと思う。君なら通さないなって話をしてたからよく覚えてるよ」


 その法案が通った時、千尋は既に地上で龍神をしていたため、そんな馬鹿げた法案を通した当時の高官に呆れていたものだが、それが今になってこんな使われ方をするなどとは誰も予想していなかったのではないだろうか。


「謙信は本当に優秀な方でしたね。野心など抱かずに真っ当でさえ居れば、次の王位につく事もあり得たでしょうに」


 彼がそれほどまでに長い年月の先にある未来を予見してあの離宮を建てたり他の案を通していたのだとすれば、それこそ王の資質だったのではないか。


「とはいえ、もう亡くなった人だよ。それを嘆いても仕方ないし、たら、れば、で語るほど世界は甘く出来ていない。ほとんどの事はもう二度とやり直しはきかない。ここはそういう世界だ」


 珍しく強い口調で言う羽鳥の目には、何かを懐かしむような色が浮かんでいる。


「そうですね。過ぎ去った事はもう取り返しがつきません。だからこそ今を大事にしなければ。遠い先の未来の為に私達はその能力を使いましょう。それでは謙信が通した法案を羽鳥、全て挙げてくれますか? もしかしたらそこに今に繋がる何かがあるかもしれませんし」

「分かった。それで原初の水は——」


 そう言って羽鳥はちらりと流星に視線を移した。千尋もつられたようにそちらを見ると、流星は怒りなのか緊張なのかさっきからしきりに深呼吸をしている。


「今日はもう止めておきましょうか」

「そうだね。流星、もう聞かないから安心して良いよ」

「!? ふぅ……俺はもしかして人身御供になる為に王になったのかと思ったよ」


 冷や汗を拭いてそんな事を言う流星に少しだけ場の空気が和む。


 千尋は立ち上がって資料をまとめると、流星の号令を待った。


「ここに役一名、早く帰りたくてしょうがない人がいるから今日はこれで解散ね。皆、今日の宿題はそれぞれの伝で調べておくように。それから息吹が戻ったら前王は都の牢に戻す手配をするよ。続きはまた来週にでも。はい、解散」


 その言葉を聞いて千尋は誰よりも早く会議室を後にして、その足で頼まれていたお土産を買い、一目散に屋敷に戻る。


 思っていたよりもずっと早く会議が終わったのでまだ鈴の持たせてくれた弁当を食べてはいないが、どうせならこれも屋敷に戻り鈴の顔を見ながら食べよう。


 そんな事を考えつつ屋敷に戻ると、今日はやけに屋敷が静かだった。


「鈴さん? 皆、どこへ——」


 客間を覗くと、そこでは楽が本を胸に置いて大の字で寝ている。ふと外を見ると東屋では弥七と栄が笑いながら何かを見ていて、炊事場をこっそり覗くと喜兵衛が何か真剣な顔をして書きつけていた。


 けれど鈴と雅、そして子どもたちの姿が無い。千尋は不思議に思って庭に出ると、温室の方からレコードの音が聞こえてきた。


 近寄ってみると、ちょうど猫用のドアから雅が出てきて大きく伸びをしている。


「雅、鈴さんと子どもたちは?」

「ああ、千尋か。おかえり。早かったじゃないか。鈴達はさっき昼食を食べ終えて今、皆してお昼寝中だよ」

「鈴さんも?」

「そうさ。何なら子どもたちよりも先に船漕いでたよ」


 笑いながら雅は人の姿に戻ると、ふと千尋が持っていた弁当に視線を落とす。


「なんだ、食べなかったのかい?」

「ええ。思ったよりも早く終わったので、どうせなら鈴さんのお顔を見ながら食べようかと」

「……あんた、鈴の寝顔をおかずに飯食うんじゃないよ。貸しな。温め直してきてやるから」

「ありがとうございます、助かります」

「構わないよ」


 それだけ言って雅は千尋のお弁当を持って屋敷に戻って行く。その後姿は上機嫌だ。よほど鈴の膝ベッドが心地よかったのだろう。羨ましい事だ。

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