「少ししょっぱくて、その時に思ったんです。何だか噂に聞く海水みたいだなって。それから水を作る時に塩を入れるようになったんですけど——」
「ちょ、ちょっと待ってください! 鈴さん、あの水を飲んだのですか!?」
「飲んでません。舐めただけです。ペロって」
「ペ、ペロって……体の調子はおかしくなりませんでしたか?」
案外やんちゃな鈴は本当に好奇心が旺盛で、たまに千尋ですら驚くような事をしでかす。
「ええ、全く。面白いのはここからですよ、千尋さま!」
嬉々として話し出す鈴の顔は輝いているが、千尋は次はどんな話が飛び出すのかとヒヤヒヤしている。
「塩を入れると水はまるで喜ぶみたいに輝くんです。でも塩を入れないとなかなか虹が入らない。当時私は佐伯家の人たちに言われて何種類か同じものを作らされてたんですけど、何年か作っていると、塩を入れないでいる水はいずれ普通の水になってしまう事が分かって、私はそれからずっと塩を入れてたんです」
「実験をしてみたと言う事ですか?」
「はい。私もあの戦争の時にあの水について色々考えたんです。ほら、あの先代龍神の残した手記があったじゃないですか」
「ありましたね。あれにもなかなか興味深い事が沢山書いてありました」
けれどあの手記を見ても暗礁に乗り上げているのが今回の件だ。ところがどうやら鈴はあの手記を思い出して何かに気づいたらしい。
「あの手記に、原初の水はそれ自体が大きな生物ではないか、とあったのを覚えてらっしゃいますか?」
「ええ。私は何か大きな粘菌のような存在かと思ったのですが、鈴さんは違うのですか?」
「はい。私は、もしかしたらあの原初の水こそが、原初の龍の一部なのではないかと思ったのです。だって血液はしょっぱいですし」
「!」
千尋は鈴を凝視した。鈴はそんな千尋を真正面から真剣な顔をして見つめてくる。
「こんな考えを持っていたら、裁かれてしまいますか?」
どこか不安げにそんな事を言う鈴を見て千尋は即座に首を振った。色んな事に合点がいったのだ。気がつけば立ち上がり、机を回り込んで鈴を抱えあげていた。
「ち、千尋さま!?」
「私の妻は世紀の天才かもしれません。そうか……だからあの水には都と地上を繋ぐ力がある。それは原初の龍が神に都と地上を託された唯一の存在だから。つまり原初の水とは、原初の龍の血液だという可能性がある……鈴さん! 素晴らしいです!」
自分たちでは先入観が邪魔して考えも及ばなかった事だが、鈴の自由な発想はもしかしたら本当に原初の水の答えを導き出してしまったかもしれない。
「原初の龍という方がどんな方か分かりませんが、もしもあのお水がその方の血で出来ているのなら、きっとそんな使われ方はしたくないと思うのです。本当はもうそっとしておいて欲しいんじゃないかなって」
鈴はそう言って視線を伏せた。どこまでも優しい鈴だ。会った事もない原初の龍の気持ちさえも汲みたいと思っているのだろう。
千尋はそんな鈴を抱きしめて深く頷く。
「私もそう思います」
死んでもなおその血を誰かに利用されていると知ったら、自分ならどうするだろうか? そんな事は考えなくても分かる。
もしも本当に原初の水が原初の龍の一部なのであれば、きっとそのうち手酷いしっぺ返しを食らうだろう。
「千尋さま、もしも原初の水が本当に原初の龍さまなのであれば、どうか救ってあげてくださいね。きっと泣いていると思いますから」
「そうですね。きっと……泣いていますよね。鈴さん、どうかもう少し知恵を貸してくれませんか? どんな些細な事でも、思いついたら教えてください」
「はい! もちろんです」
笑顔で頷いてくれた鈴を、千尋はもう一度強く抱きしめておでこにキスを落とし、今度は二人で原初の水について語り合う。
「——そう言えば鈴さんが地上であの水を作っていた時、塩を入れなければただの水になると言っていましたが、どういう事なのです?」
「腐ってしまうんです。虹が入っている間は腐らないのですが、それが徐々に弱まり、普通の水のように腐って変な匂いがし始めるんです」
「変な匂い、ですか」
「はい。でもただ水が腐ったような匂いでは無いんです。それにその水を捨てたその瞬間、あっという間に草が枯れてしまうのです! だからしばらく除草剤として使ってみたんですが、効果が凄すぎて怖くて止めました」
「除草剤……」
真剣な鈴の言葉に思わず千尋は苦笑いしてしまうが、もしかするとあの異臭というのは腐った原初の水だったのではないだろうか。そしてそれは猛毒に変わる性質があるのかもしれない。