「何よりもあんたでないと癇癪起こした夏樹を止められないだろうからね。火龍を育てるって大変なんだろ?」
「そうなんだ。俺も小さい時こんなだったのか~って思ったら、何ていうか千尋さまと栄さんには本当に頭が上がらなくて。あと、当時屋敷で働いてた人たちも大変だっただろうなって。あと鈴に突っかかってった時とかな」
苦笑いを浮かべる楽の顔には、以前のようなどこか遠慮したような表情は浮かんでいない。神森家の事をもう実家のように思えているという事なのだろう。
「でも千尋さまは仰っていました! 夏樹くんは火龍にしては本当に手のかからない良い子だって。それは偏に楽さんと菫ちゃんが愛情を注いでいるからだと思います!」
拳を握りしめて言うと、楽は照れたように笑った。
「ありがとな。でもそれは全部お前のおかげなんだ、鈴。それから菫のおかげだな。いつか恩返しするから待ってろ。そんなのいらないってお前は言うんだろうけど」
「いいえ! 言いません。ずーっと待ってます」
鈴も変わった。今までであれば楽の言うように遠慮していたような事も、誰かが誰かを思って何かをするという事は、その人に尽くしたい、助けたいと思うからだ。そしてその心はとても優しくて暖かい。
鈴の言葉に楽は少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐに笑み崩れる。
「ああ、いつまでも待っててくれ。それじゃあ俺達はこれで。また明日。ほら、夏」
楽が夏樹に別れを促すと、夏樹は微妙な顔をして何とか手を振る。
「ばいばい」
「はい! また明日!」
楽達を見送り食堂で夕食の準備をしていると、ようやく千尋が戻ってきた。
「楽はもう帰りましたか?」
「はい、ついさっき」
「そうですか。それで千隼の元気が無かったのですね」
「少しずつお別れが分かってきたのかもです。夏樹くんは変な顔してました」
鈴の言葉に千尋が笑う。子どもの成長が楽しみなのはどうやら千尋も一緒のようだ。
「千尋さまの用事はもう終わったのですか?」
「ええ。ああ、そうだ。のちほど羽鳥がやってきます。その時に鈴さん、先程の話しをしてやってくれますか?」
「もちろんです! 何かお役に立てると良いのですが」
そう言って視線を伏せた鈴に千尋が微笑む。
「お役にしか立っていないので安心してください」
「それにしても羽鳥さまだけなのですか?」
「ええ。もしかしたら鈴さんの言う通り、王がたとえ原初の水の話をしても何も害はないかもしれない。けれど万が一という事もありますから、その確信が無いうちは流星には秘密にしておきます」
「そうですね……すみません、余計な事を言ってしまったかもしれません」
千尋の言う通りだ。鈴の憶測で万が一流星に何かがあったら困る。
「余計な事だなんてとんでもない。あなたのおかげで危うく王を都に呼び戻す所をすんでの所で中止する事が出来たのですから、それだけでも十分ですよ」
こんな風に千尋は言ってくれるが、やはり余計な事を言ってしまったかもしれないという思いが過ったが、そんな鈴の頭を千尋が撫でた。
「それにね、鈴さん。多分本当に鈴さんの言う通りだと思うのですよ」
「どういう事ですか?」
「あの原初の水を地上にもたらしたのは前王でした。もしも言い伝え通りであれば、原初の水の原液を側近に渡した時点で前王は重大な契約違反を犯している事になるので、裁かれるべきです。それなのに前王は今もピンピンしている。何よりも王しか管理が出来ないというのもおかしい。何かの契約が必要なのだとすればそれにも頷けますが、流星いわく引き継ぎは口頭のみらしいのですよ」
「それはつまり?」
千尋が何を言いたいのかがよく分からなくて鈴が首を傾げると、千尋は少しだけ考え込むような仕草をする。
「つまり、原初の水には管理をしている龍が誰かなど、知りようが無いという事です。それこそ私は血判か何かの契約でも必要なのだろうと思っていたのですが、どうやらそうでは無いようなのですよね」
「それなら何故そんな噂が……もしかして元々は原初の水など、存在するはずではなかったとかなのでしょうか?」
何気なく鈴が言うと、千尋はハッとして鈴を凝視してくる。
「今日の鈴さんはとことん冴えていますね!」
千尋は鈴の頭をグリグリと撫でて少しだけかがむと、鈴の頬にキスをしてきた。驚いた鈴が思わず頬を押さえて千尋を見上げると、千尋はまるでイタズラが成功したとでも言いたげな顔をしている。
と、そこへ——。
「なぁ、いつになったらあんた達は食堂で難しい話と戯けるのを止めてくれるんだい?」
「雅さん!」
「おや、ずっとそこに居たのですか? 声をかけてくれれば良いのに」
「声かけようとしたら何かややこしい話ししてるし、それが終わったと思ったら戯けだしたんだよ! とんだもらい事故だよ! あとあんたはあたしがここに居る事に気づいてたろ!?」
眉を吊り上げる雅を見て千尋は肩を竦めた。どうやら本当に気づいていたらしい。つまり先程のキスは雅へのイタズラだったようだ。