そんな羽鳥の言葉に千尋は「何を馬鹿な事を」と思ったのだが、鈴はハッとして感動したような顔をしている。
「本当だ! そうかもしれませんね! だとしたら私は原初の水に感謝をしないと。こうして千尋さまと出会えたのですから」
「……鈴さん……では私も感謝しなければなりませんね。あなたに出会えた事に」
羽鳥にからかわれたのだと伝えるよりも先にそんな風に言われると、千尋はもう何も言うことが出来ない。ただ鈴の頭を撫でるだけだ。
そんな千尋達を見て羽鳥が苦笑いを浮かべた。どうやら余計な事を言ったと気づいたらしい。
「君たちは本当にいつまでも初々しくて見ているこっちが恥ずかしくなるよ。それにしても鈴さん、君は凄いね。よくそんな事を思いついたね」
「私は龍に伝わる伝説を知らないからですよ」
羽鳥に褒められて鈴は恥ずかしそうに笑みを浮かべるが、そんな鈴が千尋は誇らしい。千尋が番にと選んだ少女は、やはり正しかったのだ。
千尋は鈴の小さな手を取り、その指に自分の指を絡ませる。
「けれど鈴さんの話を聞いて私もある事に思い至ったのです。あの無差別に届いた手紙に送り返すよう書かれていた血判。あれこそ鈴さんが水を作る時に入れていた塩の代わりなのではないか、と」
「どういう事?」
「そのまんまですよ。鈴さんは原初の水を舐めたからこそしょっぱいと知っていた。だからそこに塩を入れていました。そしてもし前王が原初の水が原初の龍の血液で出来ていると知っていたのなら、血判を送り返せと言った事に納得がいきます」
「まさか、それで原初の水を量産しているという事?」
「ええ。鈴さん、いつもどれぐらいの水に対してどれぐらいの塩を入れていたのですか?」
「えっと……一升瓶に塩一つまみです」
「なるほど。そんな少量で良いのですね」
「はい! それ以上入れても腐ってしまうのです」
鈴の話を聞くなり千尋と羽鳥は顔を見合わせて頷いた。
「だとすれば実際の血液であればもっと少なくても良い可能性があるね」
「ええ。あの都外での異臭騒ぎも、もしかしたら何度も失敗した結果かもしれません。毒はついでに出来た副産物という奴ですね」
「それを都の囚人に試した?」
「そうではないか、と。もしもこれら全てが繋がるのであれば、あちらがこれから何をしようとしているか、おおよその見当はつきます」
「初の復活と、邪魔者の排除、かな」
「それ以外には考えられないかと」
そしてその筆頭が鈴だ。それは間違いない。そしてこの件は前王が深く絡んでいる。
「それが前王の口から語られたと言う証拠が掴めれば、こちらも流星に聞くことが出来るんだけどねぇ」
「そうですね。ですがおおよそ当たっているのではないでしょうか。鈴さんにも言いましたが、もしもあの伝説が本当であれば、これだけの事が分かっていて前王に呪がかかっていない事がそもそもおかしい訳です」
千尋がそこまで言った時、ふと鈴が口を開いた。
「あの、千尋さま、羽鳥さま」
「はい?」
「なぁに?」
「その異臭のする水を何とか入手出来ないものでしょうか?」
突然の鈴の申し出に二人は揃って首を傾げた。一体何を言い出すのかと思ったら、鈴はまた何かを思いついたらしい。
けれど絶対に碌でもない事ような気がして千尋は鈴に向かって首を振った。
「何となく予想がつくのですが、駄目です。絶対に」
「でも! その匂いがあの水かどうか分かるのは私以外にいません!」
やはり。千尋はおでこに手を当ててため息を落とす。
「鈴さん、いいですか? あれはとても危険なお水なのですよ。それを嗅いで確かめるつもりですか?」
千尋の言葉に鈴はコクリと頷いた。そんな鈴を見て今度は羽鳥まで呆れ顔だ。
「鈴さん、君の気持ちは嬉しいけれど、流石にそれは僕も許可出来ないよ」
「そうですよ、鈴さん。もし鈴さんに何かあったら——」
「でも私、もうあの匂いを何百回も嗅いでいるのです。それこそ地上に居た時に。だから他の方で調べるよりも、耐性のある私の方が良いと思います! あと、飲まない限り死んでしまう事は無いです。これは絶対に」
鈴の顔は真剣だ。その顔は千尋の愛した鈴そのものだった。お人好しでどこまでも周りの人達を大事にする鈴の、慈愛に満ちた強い視線に千尋は思わず頷きそうになるが、どうにか思いとどまる。
「だとしても、いけません。何かの不注意で口に入ったらどうするのですか」
千尋の強い言葉に鈴がシュンと項垂れる。そんな姿を見ると胸が締め付けられそうだが、千尋は項垂れる鈴を抱き寄せて優しく言う。
「……そうですね……すみません。でしゃばってしまいました……」
「でしゃばったとは思いません。鈴さんが龍の未来を案じてくれているのは痛いほどよく分かっていますよ」
「いえ……そんな大げさな事ではないのです。私は身勝手ので、千尋さまと子どもたち、それから家族や仲の良い友人たちと一緒に早く何の憂いもなく幸せになりたかったのです……だから手っ取り早そうな事を思いついてしまいました……」
「それは身勝手とは言わないのですよ、鈴さん」
鈴の心は知っている。いつも誰かの為に生きようとする人だ。だからこそ千尋はいつも心配になる。