「分かりません。そのどちらかだと思うのですが、どちらにしてもそれは猛毒です。私はあの腐った水を飲んで死んでしまった小動物や虫をたくさん見てきましたから」
「それは佐伯家に居た頃の話かい?」
「はい。私は他に佐伯家でやる事も無かったので、あのお水を使って色々と実験をしていたんです。あのお水は腐ると毒になります」
それを聞いて全員が息を呑む。
「それってよぉ、もしかして最近立て続けに起きた龍の原因不明の死と、その時の異臭騒ぎと何か関係あるのか?」
「かもしれません」
「だとしたら猛毒だぞ!? 食事や飲み物にほんの少し混ぜたぐらいで成人の龍を簡単に殺しちまう事が出来るんだ! そんなのをほんの少しでも子どもが飲んだりしたら……」
勢いよく叫んで栄がテーブルをドンと叩いた。
「でも変だよな。何で幼稚園の水にんなもん混ぜたんだ? 少量で済むからか? それとも何か別の意図があったのか?」
不意に呟いた楽の言葉を聞いて鈴はハッとして顔を上げて楽の顔を覗き込んだ。
「もしかして……菫ちゃん?」
「は? なんだよ、どういう事だよ?」
鈴の言葉に楽が表情を変えた。菫にまつわる事を言われると楽は結構すぐに怒り出す。そんな所は千尋にとてもよく似ている。
「菫ちゃんを狙ったんじゃないでしょうか? 菫ちゃん本人ではなく、菫ちゃんの立場や地位を! もしくは千隼……」
確かに大量の毒が手配出来なかったというのも理由の一つかもしれないが、ピンポイントに幼稚園の井戸水にそれを混ぜたという事は、何かしらの狙いがあるはずだ。
鈴の言葉に楽が青ざめて立ち上がり、早口で捲し立ててくる。
「おい、菫の地位ってなんだよ!?」
「菫ちゃんに届いた不審な手紙、あれを菫ちゃんは無視した。もしもあちらの方たちが今も龍至上主義な方たちで、そんな中あの手紙を菫ちゃんに出したのだとしたら、それを断られた時点で菫ちゃんを狙ってもおかしくないって、そう思いませんか?」
「……その通りだな。なぁ、ちょっとしばらくこっちに戻ってきても良いか!?」
「当然です! いつでもここに戻れるように部屋はあのまんまです! あと、楽さんはしばらくの間、菫ちゃんの護衛に回ってください!」
むしろその方が良い。今までであれば狙われていたのは鈴だけだったかもしれないが、今の都には人間が二人も居るのだ。菫も一緒に狙われたとしても何もおかしな事ではない。
「でもそうしたらあんたの方が手薄になっちまうよ!」
「私には栄さんが居ます! ね? そうですよね? 栄さん」
そう言って鈴が栄を見上げると、栄は少しだけ驚いたような顔をして鈴を見下ろし、口元を引き結んで頷いた。
「その通りだ。鈴には俺がついてる。千隼も瑠鈴にもだ。楽、お前は菫さんと夏樹を守れ。いいな?」
「もちろん。俺ら火龍の本領発揮だ」
それを聞いて鈴は手を叩いて二人を褒め称えた。火龍はどの属性の龍よりも気性が激しく、一旦怒ると手が付けられないと言われている。そんな火龍の仕事は主に用心棒や軍に入る事なのだそうだ。
「都一の火龍が二人も味方に居るのです! 負ける訳がありません!」
鈴はそう言って頼もしい二人に称賛を送った。
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千尋は屋敷を出るなり龍の姿に戻ると、すぐさま王都の真ん中にある、朱色の塔を目指して飛んだ。あの塔こそが千尋の職場で、都の象徴のようなものだ。
千尋が塔にたどり着くと、そこには既に息吹の軍隊が隊列を組んでいる。
「息吹!」
千尋が急いで息吹の元へ下りて人型に戻ると、息吹は振り返って千尋を見るなりこくりと頷く。
「皆、後は任せる。さっきも言ったように都中の井戸をくまなく調査してこい。けど、見つけたらそこは封鎖するだけだ。絶対に触るなよ?」
息吹の言葉に皆が頷き、それぞれ割り当てられた場所に飛び去っていく。
「随分と行動が早かったですね、珍しい。おまけに皆、私服でしたが」
いつもの息吹であれば会議を通してからでなければ軍を動かせないと嘆いていそうな場面だと言うのに、今回はやけに早い。
千尋の言葉に息吹は苦笑いして首を振った。
「あいつらは勝手に、任意で集まっただけだからな。軍の中にも子どもが居る奴らが居る。そこを狙われたってのと、幼稚園にはほら、千隼がいるからさ」
「千隼?」
なぜ千隼? 思わず千尋が首を傾げると、息吹は豪快に笑う。
「千隼は鈴の可愛い息子だ。そんな千隼に何かあってみろ。鈴が憔悴してしまうってな、勝手に集まったんだよ。ま、皆に声をかけたのは私だけど、集まったのはあいつらの意思だ。今、流星が会議を開いてる」
「あなたは行かないのですか?」
「私は今日は非番だ。だから好き勝手に調査してくるさ。じゃな!」
それだけ言って息吹は飛び去った。相変わらず自由な息吹に唖然としていた千尋は、ハッとして急いで塔の中に駆け込み、自分の執務室に向かう。
「梨苑」
執務室に入ると普段着の梨苑が書類をまとめている。