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第495話

 そんな鈴と千尋を見て雅の咳払いが聞こえてきたので慌てて千尋から体を離す。


「しかし何だね。原初の水っていうか、原初の龍とやらはそれを聞く限り本当に何でも出来たんだね」


 呆れたように言いながら雅は猫の姿に戻って鈴の膝に飛び乗ってきた。そんな雅を撫でながら鈴も頷くと、龍である千尋と栄、そして楽は険しい顔をする。


「そんな伝説は残ってはいないんですけどね」

「偉大だっていう伝説は今もあちこちにあるが、原初の龍自体についての話は言われてみればあんまりないな」

「俺もずっと考えてたんですけど、栄さんの言う通りなんだよな。夏に買った童話読んでても原初の龍については偉大さしか書かれてないんだ。その人となりとかはどこにも、全く記されてない」

「栄と楽の言う通り原初の龍についての表記はあまりにも少ない。鈴さん、明日から私はしばらく書庫に通おうと思います。ついでに何か面白そうな本を借りてきますね」

「はい、ありがとうございます! 私に何かお力になれそうな事があったら言ってくださいね、千尋さま」

「もちろんですと言いたい所ですが、あなたはただそこに居るだけで私の力になってくれているので、今更ですね」


 そう言って微笑む千尋を見上げて、鈴も微笑んで頷いた。こんな風にいつまでもいつまでも千尋は鈴に愛情を示してくれる。それがただ、嬉しかった。


♧ 

 都の外にある牢獄は二種類ある。一般の龍が入るただの牢獄と、高官の親族や高官が入る離宮と呼ばれる牢獄だ。


 龍至上主義だったほとんどの高官はこの離宮に入ってそこで罪を償うと言われているが、今は亡き謙信が建てたこの離宮は謀反を起こすための場所だったと言っても過言ではない。


 前王である兼続かねつぐは布団の上で固く目を閉じる娘の髪をそっと撫でた。


「ようやく念願が叶う……次こそは俺が原初の龍を手に入れ、いずれは千尋を……」


 この日をどれほど夢見ていただろうか。


 市井の中でも最も最下層で生まれた千尋という水龍は、その出自であってもほとんどの高官が欲しがった。それほどに彼は類稀なる力をその身に宿していたからだ。その力があれば龍の存在意義をよりはっきりと示すことが出来る。


 その為にどうしても千尋を手中に収めたかった兼続だったが、一番に名乗り出たのは当時都で最も大きな商売をしていた桃紀の実家だった。


 桃紀の家は資産家ではあったが龍至上主義ではない。常に市井の為に駆け回るような家柄で市井からは人気がり、いつか高官にと望むものも多かったが、そんな者を高官に置くことなど出来ない。


 だから兼続は国家の金庫を開け、当時一番兼続に忠実だった千眼の家に千尋を引き取るように指示を出した。王の一存で金庫を開ける事などあってはならない事だが、いずれ千尋は王になる。その為の先行投資だと思えば良い。


 けれど千眼もまた水龍だ。そこで兼続は千眼の両親に千眼を手放すよう命じ、その代わりに千尋を育てさせる事にしたのだが。


「まさか裏で千尋ではなく千眼に目をかけていたとはな……」


 兼続は自嘲気味に笑って初を見下ろす。


 千眼の家は千尋を必要以上に厳しく育て上げ、養子に出した千眼を兼継の見えない所で溺愛していた。その事を千尋が知らない訳がなかったのだ。


 兼続は太陽の位置を見て初の枕元にある薬湯に、新しく届いた血判がついた紙を入れて振った。その途端に紙は薬湯に溶けて虹色に輝いたかと思うと、辺りを酸っぱい匂いが漂う。


 それを水差しに入れて初の口元から溢れぬようにそっと流し込んでいった。


 初の喉が嚥下するのを確かめて口元を拭いてやると、初の体が何かに反応するかのようにビクビクと痙攣する。


「最後ぐらいは都の役に立て、我が娘よ。あの水龍達を手に入れる為に」


 そう言って謙信は初の頭を小さい頃のように撫でると、部屋を音もなく後にした。


 羽鳥の目と手が調べた通り、あの井戸から北に向かって一直線上にある井戸全てが汚染されていた。


 報告を受けとった千尋は鏡を仕舞って書類にペンを走らせる。本当はこんな事をしている暇などないと思うのだが、こういう時こそ目を光らせておかなければその隙に乗じて何かしでかそうとする輩がきっと居る。


 そういう意味では今こそ最後まで狡猾に潜んで居た輩をあぶり出すには最適な時期とも言えるのだが。


「千尋さま、少し良いですか?」


 部屋の外から控えめな声が聞こえてきた。鈴だ。


「ええ、もちろん」


 千尋はペンを置いて席を立つと、ドアを開けた。そこには俯いていつもよりもずっと小さく見える鈴がお茶を持って佇んでいる。


「鈴さん、どうぞ。少しお話しをしましょう」


 母親の愛情という物を千尋は知らないが、鈴を見ているとよく分かる。母親というのは我が子の事を常に心配し、守ろうとしているのだと。

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