その後、二人ですっかり冷めてしまったお茶を飲んで少しだけ未来の話をして、鈴は夕食の支度に行ってしまった。
鈴が居なくなっても部屋には鈴の温もりや香りがまだ残っている。
千尋は席に戻りペンを取り書類に視線を落としたが、先程の鈴を思い出して知らず知らず笑みを浮かべてしまう。
「ああ、駄目だ。どうしてもニヤけてしまう!」
鈴の敬語ではない言葉も弱音も思いも、全部引っくるめて千尋は噛み締めていた。
そんな自分に呆れつつ込み上げてくる思いを千尋は一人、胸の中で何度も何度も反芻し、その夜、千尋はどうしても堪える事が出来なくて鈴を夜通し愛してしまった事は、翌朝いつも以上にくっきりと出ていた婚姻色が物語っていた。
翌日の昼頃、千尋は鈴からの弁当を受け取って全身に出た婚姻色を隠すこともせずに龍の姿で大空を泳ぎ、書庫を目指していた。
今回の事が無ければ原初の龍の事など調べる気も起きなかっただろう。
理由は簡単だ。幼い頃から原初の龍の生まれ変わりだと言われ続け、そのせいで親にまで売られた。
自分を金などというただの物に変えた両親をもう恨んでなど居ないし、その後の人生の長い期間を孤独に過ごした事も鈴のおかげですっかり忘れる事が出来そうだけれど、こんな事でも無ければわざわざ自分をそんな目に追い込む事になった水龍の事など誰が調べるものか。
空を泳いでいると耳元で軽やかな鈴の音が鳴った。これは鈴がこの間、千尋にくれた物だ。
鈴は千尋が装飾品の類を好まないのを知っているので、こんな物をくれる事など滅多にない。
それでも鈴が千尋にこれをくれたのには、ある理由があった。
数日前の事である。
「千尋さま、その……千尋さまは耳飾りとかその……つけたりしますか?」
「耳飾り? いえ、あまり好んでつけたりはしませんね。祭典などでどうしてもつけないといけない事もあるので一応、穴だけは開けてありますが」
夕食後に書斎で本を読んでいると、鈴がやって来て突然そんな事を言い出した。鈴が千尋に装飾品の事を尋ねてくるのは珍しい。
「どうかしたのですか?」
思わず尋ね返すと、鈴は恥ずかしそうに指をすり合わせながら千尋の隣に腰掛けた。
何だかその様子が小動物のようでつい抱き寄せそうになるのを堪えていると、鈴は意を決したように顔を上げて拳を握りしめる。
「あの! これを……千尋さまにと思って……」
そう言って鈴が取り出したのは綺麗に包装された小さな箱だ。鈴からの贈り物など珍しい。そう思いつつ受け取ると、鈴の体からホッとしたように力が抜けた。
「開けても?」
「も、もちろんです!」
鈴は両手で顔を覆いながら何故か耳まで真っ赤にしている。
そんな鈴に目を細めながら包装紙を丁寧に開いていくと、そこにはあの宝石店の印字が入った小箱が現れた。
「宝石ですか?」
「いえ! いえ……と、とにかく開けてみてください。その、持っていてくれるだけでもその、嬉しいので」
何だか煮えきらない鈴に千尋は首を傾げつつ箱を開くと、中から片方だけの耳飾りが出てきた。
耳飾りは札のような形をしていて薄く削られた深い青色の瑠璃だ。そしてその下には銀で細工された丸い籠がついていて、中には小さな鈴が入っている。
「これは……どうしたのです?」
あまりにも美しい耳飾りに千尋が思わず尋ねると、鈴がそっと自分の髪をかきあげた。露わになった鈴の耳には今しがた千尋にくれた物と同じ形をした千尋の物よりも一回り小さい耳飾りがぶら下がっている。
それを見て思わず息を呑んだ千尋に鈴は恥ずかしそうにそれを髪で隠すと、事情を早口で説明しはじめた。
「実は先月、買い物先でばったりあの宝石店の方とお会いして、そこでついつい石言葉で盛り上がってしまったんです。そこへたまたま絹さんと吉乃さんが通りかかって石言葉のお話をしていたら、洋装に似合う安価の装飾品も店に置いてみたらどうかという話になりまして……」
「なるほど。それで、絹さん達はあの宝石店と提携する事になったのですか?」
「……はい」
どうやら鈴が繋いだ縁が思いもよらぬ形で繋がったらしい。それだけでも千尋はこの贈り物にどれだけの価値があるのかと思っていたのだが、その後の鈴の話を聞いて、千尋はすぐさま今までつける事の無かった宝飾品をつけようと決めた。
「その時に店主さんからとても良い宝石が入ったのだと言われて、そのまま皆で見に行ったのです。そこでこの瑠璃の原石を見つけてしまい、千尋さまの目の色だとはしゃいでしまって……。石言葉も永遠の誓いですし、これをどうにか加工出来ませんか? と店主さんに尋ねたら、店主さんは快く引き受けてくださって、絹さんと吉乃さんの助言もいただいて出来上がったのがこれなんですけど……」
そう言って鈴は千尋の手の中を指さした。