目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第499話

 熱が集中する顔で千尋を見上げると、千尋はイタズラが成功した千隼のような顔をして微笑み、抱っこをせがむ千隼を抱き上げて静かに言う。


「千隼、良いですか? 大人の定義は人によって変わるかと思いますが、少なくともこの耳飾りは運命の番とお揃いでするのが習わしなんですよ。だからあなたが大人であろうが子どもであろうが、運命の番を見つける事が出来ない限り、あなたが耳飾りをつける事は許されません。私の言っている意味が分かりますか?」

「んー……ママ?」

「いいえ、ママはパパの運命の番ですから譲れません。あなたには、あなただけの運命の番がどこかに居るはずです。その方を頑張って探してくださいね」

「分かった。探す。そうしたら耳飾りしても良い?」

「ええ、もちろんです」

「amazing!」


 いつも思うのだが、どうして千尋はこんなにも鮮やかに千隼の機嫌を取る事が出来るのだろうか? そんな千尋の手腕に鈴は心の中で大きな拍手を送っていた訳だが、周りの皆の反応は様々だ。


「おい楽、お前はあんな風にシレっと夏に嘘つくような親にはなるなよ?」

「は、はい……すげぇ。滅茶苦茶言ってるのに納得させてる……」

「あの人、堂々と息子にまで牽制してるじゃない。どれだけ心が狭いのよ」

「でも地上に居た頃から大体千尋さまは滅茶苦茶言ってましたよね?」

「喜兵衛の言う通りだ。一番酷かったのは鈴が千隼を妊娠した時だったな」

「全くだよ。こっちの苦労も知らないでいつだって無理難題言ってくるんだ、千尋は。何が偉大な水龍だ。蓋開けてみりゃただのワガママな妻を溺愛しすぎる水龍だ」


 口々にそんな事を言う家族を他所に、千尋は上機嫌で千隼と瑠鈴とボール遊びをしている。そんな光景もまた楽や栄のような千尋の昔を知っている人達には異様な光景に映るようで——。


「栄さん、俺ね、たまに今でも夢見てんじゃないかなって思う時があるんですよ……目が覚めたら俺は木の根元に出来た洞で葉っぱにくるまって寝てんじゃないかなって……」

「お前、それは流石に現実逃避が過ぎるぞ。気をしっかり持て、楽! お前にはもう美人でしっかりした嫁と可愛い息子が居るんだぞ!」

「そう……ですよね?」


 ボールをぶつけられても笑顔で対処する千尋を見ながら楽はどこか遠い目をしている。そんな楽を見て菫が鈴の脇腹をおかしそうに小突いてきた。


「ちょっと、あんたの旦那のせいでうちの旦那が私達の事を夢だと思い始めちゃったじゃないの。どうにかしなさいよ」


 鈴はそんな菫の言葉に笑った。


 鈴はとても幸せな日々を送っていたのだ。あの日までは。


 あの異臭騒ぎがようやく落ち着き、井戸の水が全て正常に戻ったのはあれから一月も経った頃だった。


 それまでは幼稚園も学校も公共の機関も全てお休みをしていたが、桃紀、羽鳥、そして息吹達のおかげで毒物が混入されたと思われる水源が特定され、そこの水の流れを一定期間変えて濾過し、ようやく水は元に戻った。


 この頃になると都ではあちこちである噂話が流れるようになり、その話題の中心はもっぱら千尋に逆鱗を傷つけられてしまった初の事だった。


「どこもかしこも初、初、初だねぇ」


 買い物帰りに雅が呆れたような顔をして言う。雅は鈴よりもずっと耳が良いので、この雑踏の中からもちゃんと聞き取れているらしい。


「そうなんですか?」

「そうさ。でも千尋とか栄に聞いてた感じとはちょっと違うけどね」

「どういう意味ですか?」


 雅の言葉に鈴が首を傾げたその時、お隣の作家夫婦と屋敷の前でばったり出会った。


「あ、こんにちは」


 鈴が頭を下げて挨拶をすると、二人は物凄い形相でやってきて鈴の肩を掴んだかと思うと、矢継ぎ早に話し出す。


「鈴ちゃん! 良い所に! あんな噂気にしちゃ駄目だからね!?」

「え? は、はい」

「そうだぞ! 都の最近の発展は鈴ちゃんと菫ちゃんのおかげなんだ! それは絶対に揺るがない! 誰に何を言われても、胸を張ってるんだぞ!」

「は、はい。張ってます」


 あまりの剣幕に鈴が頷くと、二人は満足したように去っていった。一体何だったのだろう? よく分からなくて困惑していると、そんな鈴の隣で雅が肩を揺らして言う。


「言ったろ? 噂話の内容もあんな感じなんだよ」

「どういう事ですか?」

「初が目覚めるかもしれないけど千尋にはもうあんたが居るし、あんな事をしでかしたんだから千尋が今更、初を相手になどする訳がない。そんな感じの噂だよ」

「そう……なのですか?」


 てっきり初が目覚めそうなので目覚めたらまた一波乱あるんじゃないか、みたいな噂かと思っていたが、どうやら噂の内容は鈴が思っていたものとは随分と違うようだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?