屋敷に戻って買い物してきた物を分別していると、そこへ千尋がやってきた。
「お帰りなさい、鈴さん。特に変わった事はありませんでしたか?」
「はい! あ、でも家へ入る前にお隣のご夫妻に何があっても胸を張っていろと叱咤激励されました」
「叱咤激励?」
「はい。都では初さんの噂が流れているようで、その事についての叱咤激励だと思います」
それを聞いて千尋が深く頷いた。その顔はどこか満足げだ。もしかしたら千尋は事の裏側を知っているのかもしれない。
「もしかして千尋さま、何か知ってらっしゃいますか?」
「羽鳥の所の目や耳が流してくれた噂なので、知っていると言えば知っていますね。そうですか。どうやらこちらの作戦は上手くいっているようですね」
「初さんの噂を流すのが作戦なのですか?」
「ええ。これ以上あちらの味方を増やすのは得策ではありませんから。初の、というよりも前王の目的は恐らく都の奪還で、五月さんや琴音さんの目的は私でしょう。ですが都の方たちはもう私が鈴さんを溺愛している事を知っていますし、どれほど足掻こうともそれは変わらない事も分かっているはずですから、これを機に初が目覚めるかも知れないという噂を流してもらったのですよ」
「でもどうしてそれがこちらの為の噂になるのでしょう?」
初は元々は都のお姫さまで、ここでの立場だって罪に問われたとは言え千尋よりもずっと高いはずだ。そんな人が目覚めたらある程度はどれほど千尋が鈴を溺愛していようとも、初の味方が出来そうなものなのに。
不思議に思って鈴が尋ねると、千尋は鈴の鼻の頭をちょんと人差し指で突いた。
「それは簡単です。あなたが来てからというもの、私はほぼ婚姻色を出したまま仕事をし、あなたと千隼を連れてあちこちを飛び回り、出かける時は洋装であなたと手を繋いで歩いた。今では装飾品嫌いの私があなたとお揃いの耳飾りをつけて出歩いているのですよ? 何よりもあなたと菫さんが来たことで都には新しい文化が根付いた。その恩恵を受けているのは高官だけではなく、庶民です。そんな人達をここから追い出そうだなんて誰が思います?」
いつもよりもずっと甘い口調でそんな事を言う千尋に鈴は納得する。それは確かにそうかもしれない。都に来た時よりも鈴が生きやすくなったのは、きっとそれもあったのだろう。
そこへ呆れたような顔をして雅と栄がやってきた。栄は大きな米俵を抱えている。
「栄さん! 重いのにありがとうございます!」
「良いって事よ。あと一つは楽が持ってくるからな!」
「本当に助かります。いつもありがとうございます」
幼稚園に通うようになった千隼は、今まで以上に食べるようになった。そこへ今は楽一家も居るので米の消費量がとても激しい。
「米屋も喜んでるよ。これだけの米でもあっという間に消費しちまうんだからね。うちは良いお得意さんだ。あとさ、さっきのあんた達の話だけどね。ちょっと付け加えてもいいかい?」
栄から米俵を受け取った雅は米びつに米を移しながら半眼になって言う。
「は、はい。何でしょう?」
こんな顔を雅がする時は必ず何かお小言を言われる時だ。それが分かっている鈴は身を縮こまらせたが、千尋は腕を組んで雅を見下ろして微笑んでいる。
「鈴はいいさ。この子の髪型は私が毎日決めてるからね。あんただよ、千尋」
「私ですか?」
「そうさ。あんた、その耳飾りが見えるようにわざと最近片方だけ編んでるだろ? それを見て皆が余計に「また戯けてる」って呆れてるんだって自覚はないかい?」
それを聞いて鈴はハッとして千尋を見上げた。言われてみれば耳飾りを渡した日から千尋は髪を耳にかけたり、そちらだけ編み込んだり一つに束ねたりしていた。
「そうだったのですか!? 私はただの気分転換だと思っていました!」
もしかして千尋が最近急に髪型を変えるようになったのは、耳飾りを見せる為? そう思うと胸の中に甘酸っぱい物が込み上げてくる。
「どう考えても違うだろ。あの怠惰で有名な千尋だぞ? 髪を伸ばしているのだって切るのが面倒だって言う理由なんだぞ? そんな奴が毎朝髪型を考えて編み込んだり束ねたりする訳ないだろうが」
「そうだよ。こいつはね、鈴。あんたから貰った耳飾りが嬉しすぎて皆に自慢して回ってんだ。口ではあえて言わないで見せつける。それがこの男のやり口だよ!」
「やり口だなんて。それに口であえて触れ回るのは野暮というものでしょう?」
「野暮もくそもあるもんか。普段そんな事しないやつがそんな事をしたら、それは口で言うよりもずっと野暮なんだよ。でも絹達やあの宝石商が喜んでたよ。千尋と鈴みたいに番で相手にちなんだお揃いの耳飾りをしたいって注文が殺到してるらしい」
「良い傾向でないですか。経済が回るのであれば私はこれからも喜んで自慢してまわることもやぶさかではありませんよ」
「わ、私も頑張ります!」
経済が回るのは良い事だ。思わず拳に力を入れた鈴の頭を千尋が撫でてくれた。