「あなたも頑張ったね」
鈴が思わず杖に話しかけると、木葉がそれを聞いて嬉しそうに微笑む。
「杖に話しかける人には初めて出会ったわ。あの方達はあなたの事を憎むべき存在だなんて仰っていたけれど、捧げ物達はあなたの事をずっと応援していたの。偉大な水龍が人間の娘に懸想するなんて、夢のまた夢だと思っていたから。現にあなたが来るまで水龍は激しい濁流のような気配がしていたのに、あなたが部屋に入ってきた途端にその気配が一瞬で静かな湖面のように落ち着いた。水龍にとってあなたは、私にとってのこの杖のような存在なのね」
木葉は鈴の手に今度は自分から手を重ねてきた。その手は荒れ果てているけれど、とても暖かい。
「応援してくださっていたのですか?」
「もちろん。龍には龍の矜持があるように、私だって最後のその瞬間まで人間で居たい。たとえ体が龍化し、いつかその力に飲み込まれてしまったとしても」
「どういう事ですか? そう言えば木葉さまは長い間都に居たのですよね? どうして龍化しているのでしょうか……まさか、誰かに無理やり!?」
何せ捧げ物などと言って無理やり都に連れて来られた人たちだ。それに話に聞く限り前王や前の高官達は人間を酷く嫌っていたという。もしかしたらそういう事も強要されていたのかもしれないと思い思わず強い口調で言うと、木葉は一瞬キョトンとした顔をして慌てて首を振った。
「違うわ! 鈴さんが想像しているような事はされていないし、そもそも私達はあの人達にとっては奴隷も同じ。手を出すどころか普段は様子を見に来る事も無かった。私が龍化しているのは、あの水のせいなのよ」
「原初の水、ですか?」
鈴はそれを聞いてゴクリと息を飲んだ。後ろでは千尋も羽鳥も察したように眉根を寄せている。
「龍はそう呼んでいるみたいだけど、私はあの水の事を嘆きの水と呼んでいるわ。初代の龍の血液から作られた、裏切りに嘆いた龍の水。あの水を飲むことで私達は龍化しているの」
「すみません、ちょっと失礼しますね。どういう事ですか? あなたはあの水について何かを知っているのですか?」
耐えかねたように千尋が近寄ってきた。そんな千尋に木葉の体が強張る。どうやら木葉は千尋が怖いようだ。
「大丈夫ですよ、木葉さま。千尋さまも羽鳥さまも龍の中でもそれはもうお優しい方達です。決してあなたの不利になるような事はしません」
はっきりと言い切った鈴を見て、木葉はまだ体を強張らせてはいるが、すぐに頷く。
「水龍はまだよく分かりませんが、羽鳥さまはお優しいのだろうなと分かります。知っているというよりも、私は何度も王に聞かされてきましたから。龍にさえ話さなければその報いを受ける事は無いのだと言って。それはその通りなのです。前王の前の王が崩御されたのは、身内にあの水の事を漏らしたからです」
「そんな話は初めて聞いたんだけど、千尋、知ってる?」
「いいえ。何せ私達が生まれる前の話しですし、ただの事故の後遺症だと思っていましたが……」
「ええ。当時の王は若くして床に臥せっていた。大きな事故に遭い、回復する事が叶わなかった。そしてとうとうご自分の死期が近いことを悟り、城の者達に水の話をしたのです。その後、当時の王は大気に戻らずに腐り落ち、その話を聞いた身内、そして使用人は大気に還りました。ただ、その当時城に居た捧げ物だけが無事だった」
木葉の言葉に千尋と羽鳥が黙り込み、互いの顔を見合わせている。
「なるほど。龍の呪は龍にしか効かないという事みたいだ」
「そういう事なのでしょうね。そして人から語られる場合はそれは発動しない。そういう認識で合っていますか?」
「はい。契約者にのみ課せられる呪です。その他の龍が、たとえば水龍がこの話を他の龍にしたとしても、呪は発動しません。その代わり、あの水の原液を扱う事が許されているのは契約者とその契約者に許された者のみとなっています」
「つまり、今は流星しか取り扱えないという事かな」
羽鳥の言葉に木葉は無言で首を振った。