その行動に驚いたのは鈴だけではなかった。千尋も木葉も羽鳥でさえも驚いている。
「あ、ごめん……でも待って。もう少しだけ、待って」
「……羽鳥さま?」
「ごめん。勝手を言ってるって事は重々承知してる。でも僕は全てが終わった時、君は味方だったんだって思いたい。僕は人間が好きだ。尊敬するお祖母様と同じ種族だから……もう少しだけ君と共に過ごさせてほしい」
「……鈴さんやもう一人の人間だけでは満足できないのですか?」
「そうだね。二人だけでは情報が少なすぎるし、鈴さんと菫さんは身内だ。でも君は違う」
羽鳥の引き止めに木葉は少しだけ戸惑ったような顔をしてしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。
「分かりました。ですが、長くはきっと居られません。私の体はもうじき動かなくなると思います。それでも構いませんか?」
それを聞いて今度は羽鳥が顔を歪めて、それでも頷く。
「構わないよ。良かったら君の最後の時を看取らせて」
その言葉に木葉は驚いたように仰け反ると初めてちゃんと笑った。口元に手を当て、声を出して。
「おかしな方ですね。悪趣味です」
「いや! 別に誰かが死ぬ所を見るのが好きとかそういう訳じゃ——」
珍しく取り乱す羽鳥に木葉はふわりと微笑む。その笑顔はまるで春の日差しのように柔らかい。
「分かっています。そうですね……これも何かのご縁なのでしょう。それでは、最後の時まで羽鳥さまの元でお世話になります」
「うん。よろしく」
羽鳥は安心したように木葉に手を差し出すと、木葉の手を取って握手している。そんな光景を見ていた鈴がちらりと千尋を見上げると、千尋も何か言いたげに、けれど何も告げずに切なそうに微笑んで頷いた。
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羽鳥の心が木葉に傾いている。それはきっと本人も自覚しているのだろう。だからあんなにもバツが悪そうな顔をして彼女の手を引き、帰って行ったに違いない。
鈴と二人で羽鳥達を見送り何となく自室に戻ると、鈴が堪えきれなくなったように千尋に正面からしがみついてきた。
「鈴さん?」
「私はどう答えれば良かったのでしょうか? 木葉さんが死を望んでいる事も分かるんです。でも、生きている限りまた新しい出会いがあるとも思ってしまうのです。私はどう言えば良かったのでしょうか?」
どうやら鈴は木葉の心に触れてからずっと考えていたようだ。
鈴の悩みは答えの無い問いだ。どの答えが最良かなんて、どちらかを選び取った時点で捨てた方の道を見ることはもう無いのだから。
千尋は鈴を抱き寄せて包み込むように抱え込んだ。
「鈴さん、それは木葉さん自身が考えるべきことです。ですが木葉さんは既に最後の目標を変えた。そのせいでもしかしたらその過程の間に何かが起こり、また最後の目標が変わるかも知れませんよ?」
「どういう事ですか?」
「木葉さんはここで私達に色んな話を聞かせてくれました。当初の目的はあなたと羽鳥を殺すことだったはずなのに、彼女はそれを選ばずに私達に話しをする道を選んだのです。そして死に場所を羽鳥の元に変えた。それだけでも随分違うと思いませんか?」
千尋の言葉に鈴はハッとしたような顔をして千尋を見上げてくる。その顔から少しだけ憂いが消え去った。
「そう……ですよね。それだけでも全然違いますよね!」
「ええ。まだ完全に彼女を信じる訳にはいかないし、全てが演技かもしれませんが、そうでなければ良いと思いますね……」
羽鳥の木葉への態度を見る限り最初は同情だったのかもしれないが、何か琴線に触れるものがあるのだろう。執着とまではいかなくても、興味はありそうだ。
羽鳥は千尋とよく似ていて自分の気持ちに少々疎い所がある。ここからあの二人の関係がどう変わるかはまだ分からない。
ただ一つ言えるのは、やはり鈴も狙われていたのだと言う事だ。
「鈴さん、どうか一人にならないでくださいね。私が出来るだけ側に居ますが、側に居られない時でも必ず誰かを連れて歩いてください」
「はい。約束します」
鈴はしっかりと頷いてもう一度千尋の胸に頬を寄せてきた。鈴はこんなにも小さくて繊細だ。柔らかな肌はほんの少しの衝撃でも傷がつく。だから余計に心配になるが、心は千尋よりもずっと強く広い。
「私達は互いを補っているのだなぁと、あなたを見ているといつも思いますよ」
何気なく千尋が言うと、鈴が不思議そうに顔を上げた。
「そうですか? 私はちゃんと千尋さまを補えていますか?」
「ええ。いつだって私の足りない部分をあなたが補ってくれていますよ」
そう言って千尋は屈んで嬉しそうに目を細めた鈴の唇に軽い口づけを落とす。 突然の事に鈴は驚いたような顔をして千尋を見上げてきたが、こんな事で未だに耳まで真っ赤にする鈴が愛しくて仕方ない千尋だ。